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howmilesaway 5

  クリームを確保してバスルームに戻る。大きな容器に入ったクリームはもう残りが少ないのかなんだか軽くて、その軽さがとても心もとない。新しいやつ買っといてよかった、って思う。古いやつは今日使い切っちゃうかもしれないから、新しいやつも一応一緒にバスルームに持って行った。

 バスルームの大きな鏡の前で、裸になった自分の体を見る。私が一日の中でいちばん嫌いな時間だ。

 鎖骨から胸元、そして脇にかけて、浅黒いあざのようなものが広がっている。お腹のあたりは白くてつるんとしているけど、でも下腹部から下半身にかけてまたそのあざが再開して、今度は足の付け根の方まで広がっている。背中の方はもっとひどくて、首の下から背中の中腹にかけた大半が赤黒い。あざが広がっている皮膚はただ色が黒いだけじゃなくて、日や時期にもよるけど、部分によってかさかさ乾燥していたり、ぶつぶつと鳥肌が立ったようになっている。この体を見るのはどうしようもなく憂鬱だ。

 五歳の時に変な蛇に噛まれてからずっとこのあざと付き合って生きている。私は外を散策するのが好きだった。ママやパパがついていなくたって、平気でどこにでも行こうとする子どもだった。その日も私は家で仕事をしているママの目を盗んで、勝手に外に出た。

 庭を走り回って、得体の知れない花の蜜を勝手に吸ったりした。ふと、少し遠くになんだか見たことのないような、やけに派手な色をした生き物が這いつくばっているのに気付いた。私はその生き物に近づいた。

 距離が近くなった瞬間、その生き物はうねうねと動き、シャーと口を開いて私を威嚇した。大きく開かれた口の中から、細長いグロテスクな舌がチロチロと動くのが見えた。蛇だった。

 蛇は素早くて、動く暇も与えず鋭い歯で私の手に噛み付いた。私は悲鳴をあげて、近所中に響き渡るような大声で泣き叫んだ。ママや近所の人がその声に気づいて駆けつけた時にはもう蛇は逃げていて、私は噛まれた手を押さえながらずっと大声で泣いていた。手が痛くて泣いていたというよりも、蛇に噛まれたことがショックで泣いていたんだと思う。蛇が私を威嚇する瞬間、そして噛み付く瞬間が脳裏に焼き付いて離れなくて、怖くてずっと泣いていた。

 ママは大慌てで私を病院に連れて行った。お医者さんは傷はそんなに深くないけど、多くの蛇は毒を持っているから気をつけた方がいい、しばらく娘さんから目を離さずに異変がないかしっかり見ていてください、と言った。ママはこわごわ頷いて、しくしく泣く私の手を引いて家に帰った。

 そしてその夜、私は四十度の熱を出した。全身に蕁麻疹が出た。頭が割れるように痛くて、体が熱くて痒くて、とにかく地獄みたいに苦しかったことをなんとなく覚えている。緊急で駆けつけだお医者さんはうんうん苦しむ私に夜通しついてくれていた。正直いつ事切れてもおかしくない状況だったらしい。お医者さんはママとパパに、「覚悟をしておいてください」って言ったんだって。ママとパパは涙ぐみながら私の手を握って「頑張って、頑張って」って必死に私を励ました。

 翌朝、熱はなんとか下がった。お医者さんは「本当によかった、峠は越えましたよ」って言った。全身を覆っていた蕁麻疹もだんだん消えていった。でも、蕁麻疹は完全に消えたわけじゃなくて、胴体に出たのはあざみたいになって残り続けた。そのあざはただの跡じゃなくて、自我を持っているように疼いたり、痒くなったりする。あざがじくじくと痛むたびに、私はあの蛇の恐ろしい顔を思い出す。

 皮膚科のお医者さんは、このあざは綺麗に消えるかどうかわからない、一生このままかもしれないって言った。でも顔や手足に跡が残らないでよかったですねえ、と無神経に笑うお医者さんに、なんとかならないんですか、女の子なのに、とママは言った。お医者さんは言った。具体的に治す方法はわからない、ただとりあえず大事なことは保湿すること。乾燥が肌にはいちばんよくないし刺激になる。それから、疼いたり痒くなったりしてもむやみにあざに触らないこと。とにかく朝晩お風呂上がりにしっかりクリームで保湿して、それ以外は触らずにそっとしておきなさい。私はその言葉を信じるしかなくて、とりあえず言われた通り、クリームをあざに塗り続ける生活を十年以上続けている。

 あれからあざに触るのを我慢して保湿し続けているけれど、果たして効果があるのかはよくわからない。あざはなんとなく薄くなっているような気もするし、別に変わってないような気もする。十年以上経ってもあざは疼いて痒くなる。私はこのあざを罰なのかもしれない、と考えることがある。ひとりで勝手に外に出た罰なのかもしれないって。ママがあれだけ勝手に出ちゃダメよ、危ないのよって口を酸っぱくして言ってたのに、その言いつけを破った罰なのかなって思うのだ。自由を求めた私への罰なのかもしれないって。

 この体を見ると、彼氏なんて作る気にならない。だって私の年で彼氏を作るってことはセックスするってことだ。セックスするってことは裸を見せるってこと。こんな体、見せられない。もし誰かが私のことを好きになっても、こんな体受け入れてくれるわけない。大丈夫だよ、俺はこの体も好きだよってもしかしたら言ってくれるかもしれないけど、可愛い顔の綺麗な体の方がいいに決まってる。

 ハナを見るといいなって思う。ハナはマイクとうまくやっている。「初めてしたとき
?そりゃ怖かったよ!」ってハナは言った。でもそれは相手と行為するということに対しての恐怖で、異物が自分の中に侵入するということへの恐怖で、自分の体を見られるということへの恐怖ではない。そりゃあ、女の子なら誰だって恥ずかしさはあると思う。ハナだって恥ずかしかったと思う。でも私のは恥ずかしさなんてかわいい感情じゃない、正真正銘の恐怖だ。そこが根本的に違う。私の体は、私の弱みだ。誰にも見られたくなかった。

 人を好きになったことがないわけじゃない。忘れられない人がいないわけじゃない。今だって私は、ひとりの男をを待ち続けている。 

 彼と会う前にあざを治そうって思ってた。綺麗な体を彼に見せたかった。でもそれは多分、もう無理だ。

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