クレジットカードでもラーメンを食べられない若い衆

クレジットカードでもラーメンを食べられない若い衆

10月15日

この日は土曜日と言うこともあり、序盤から同伴出勤などのお客様がチラホラ。

コロ助が一段落して同伴出勤なる昔からの慣習が戻りつつある。

最近は金曜日の客数が本当に少ない。

コロ助以前の歓楽街では週末の金曜と言えば「妙なテンション」で街に繰り出す男性が数多くいたものだ。仕事や人間関係で疲弊した心の一週間分のケアにお金を使うのだ。

しかし、最近の歓楽街では金曜日と言えば可処分所得の低い若者があてもなく歓楽街を練り歩くのが普通の風景になってしまった。

彼等の多くは飲食店には入らず同年代の女の子との新たな出会いに胸を膨らませつつコンビニで、安価で、いち速く良い気分になる「身体に悪いストロング系チューハイ」を購入して路上で呑む。

私が彼等と同じ年代の若い頃はバブルが崩壊した直後。

しかしながら、今のように深刻な不景気ではなかった。学歴が無い者も身体を酷使して働けばそれなりの給料が支給されていた。

その当時は派遣社員などの雇用形態は存在せず、極端に言えばアルバイトか、日雇い労働者か、正社員かの三択と言った状況だった。

今の若者は彼等と同年代の私より過酷な雇用環境で働いている。

不幸なことだ。若者達が自分の人生の未来に期待できない国に発展は無い。これから先が思いやられる。

金曜日の人出が大幅に減少した要因はテレワークだと個人的には考えている。自宅で仕事をすれば良い環境はサラリーマンにとって出勤する必要がなくなることを意味している。

出勤しないのだから、わざわざ自宅から歓楽街に繰り出すのは、よほどの強い動機が必要となる。

今回の土曜日は、深夜まで客足は続いて私の店も賑わった。

店の片付けが終わり、「あぁ、何か汁物がたべたいなぁ。」そう思った私は馴染みのラーメン屋さんに向かった。

発券機が設置してある意味が始めて理解できた

このラーメン屋さんは私が活動する歓楽街の中においても近隣に勢いの良いキャバクラやガールズバーなどの俗に言う「色物」が数多くある立地で毎晩のように「若い酔っ払い」が訪れる店だ。

この店は、なんと昼間も営業している。

昼の部は従業員、夜の部はオーナーが「ワンオペ」で営業するという形態の店だ。

このお店はいわゆる歓楽街の路面店で家賃も高額だ。

高額な家賃の為に昼間の営業をせざるを得ないのだと推測出来る。この地域で昼間にランチでラーメンは、さすがに商売としては辛い。

このお店はオープン当初から通っているのだが日を追うごとにボトムアップ式に値上げをしてきた。これは、コロ助が蔓延する前からだ。

ここまで読んで「あぁ、なるほどそういうことか。」と納得できる人は飲食業界を深くまで熟知している人だろう。この店には寸胴が無い。個人経営のラーメン屋さんの多くは客席から見える場所にスープを炊く寸胴がある。

何故、この店にはスープを炊く寸胴無いのか。

ここから先は私の妄想として読んで頂ければ幸いである。

つまり、この店は製麺屋さんから「麺」と「スープ」の両方を仕入れているのだ。

ここ数年の傾向として寸胴が無いラーメン屋さんが数多く登場している。経営効率的に考えると「素晴らしい」ビジネスモデルだと言える。

しかし、何事も「商い」は落とし穴が付いて回る。

材料を仕入れる業者に依存度が高いほど主導権を材料屋に握られる。

店を運営するにあたり材料が供給されなければ致命的なのだから。

ここ最近、東ヨーロッパの某国で起きている「軍事行動」によって、あらゆる材料が値上がりしていることも大きな視点で考えると同じ要因だと言えよう。

このラーメン屋さんは本当に美味しい。

個人的に「麺」は気に入らないが「スープ」は完璧である。

製麺屋さんが起死回生の一発を目論んで銀行から設備資金と言う「前向き」な融資を引っ張り、スープを炊くセントラルキッチンを作ったのだろうと食べながら妄想を巡られたものだ。

私は深夜まで営業を続け、アルコールも入り泥酔とまでは言わないが車を運転すると相当なペナルティーを受けることになるレベルでラーメン屋さんに訪れる。

このラーメン屋さんに久方ぶりに訪れた。

この店が開業した当時に物珍しさもあって訪問したときのラーメン一杯の価格は私の記憶が正しければ一杯850円。それが今では1,200円になっている。

私はいつも発券機で「定番のラーメンの半そば」と「ハイボール」を2杯ほど注文する。

何故、2杯なのか。

それは、オーナーの飲むハイボールも含まれているのだ。

歓楽街で同じ飲食業を営む立場として、このような慣習は日常的な事として今も行われている。

私の立場で「帰りに1杯ラーメンを食べよう」と思えば軽く2,000円は超えてしまう。

なので、売り上げが乏しい日はお店で冷や飯を食べてトボトボと歩いて帰ることになる。

この日も同じように発券機にハイボール2杯と定番ラーメンをオーダーをした。

「最近どうですか」

毎回、このような切り口で会話が始まる。

今日は寒いですね、雨ですね、そろそろ年末ですね、などの切り口は同業者の間の会話には存在しない。少なくても私はそうだ。

そのような、会話を進めながらオーナーがラーメンを作ってくれる。

今から書くことは飲食業を営む人なら共通して感じることだと思う。

我々のような飲食店主は自分の店で常にカウンターの中にいる。

そして、お客様からのオーダーに全力で応えるべく一生懸命ベストを尽くそうと調理をする。そして、お客様が帰られたら食べた後の洗い物をする。

「自分が作った食事ではなく人(他人)に作ってもらった食事をしたい」

しかも、なんと食べ終えた後の食器を洗う必要がない。

このような、強烈な欲求が飲食店を営む人は誰しもあると確信する。

だから、美味かろうが、不味かろうが、心の充足の為に、つい「寄り道」して帰ることになる。

本当は我慢して自身の店で卵かけご飯でも食べて帰ったら良いのに。

スタッフが複数人数いる店は状況が違う。

「練習を兼ねてまかないを作ってみなさい」

このような事ができるからだ。

他店に行くのとは心情的に少しばかり違うが満足度は確実にある。

話を本題に戻そう。

ラーメンが出てきて久しぶりの「この味」を堪能していたときだ。

若い男性が酔っ払って入店してきた。

通常ならば発券機に向かうところだが彼はそのようにはしない。

カウンターに陣取り、開口一番「マスター、クレジットカードは大丈夫?」

率直に感想を書くと「びっくりした」である。

この店のラーメンが1,000円超えるにしてもクレジットカードはないだろう。思わず目を疑ったのだが、目の前にある情景は紛れも無い事実である。

歓楽街で約10年飲食店を運営してきた私にはピンと来た。

この男性は「夜の人間だ。」

この場合の特徴としては、まず香水をつけている。そして、「やさぐれて」いる。そして、現金が無い。コロ助前ならば羽振りが良かった者も多かったが、最近ではキャッシュが無い。その傾向が強い。

ラーメン屋のオーナー:「あぁ、クレジットカードね。いいけど、大丈夫?」

若い衆:「おぅ、コレでお願い」

ラーメン屋のオーナー:「使用不可になっとるよ。」

若い衆:「じゃあ、コレ試してみて。」

ラーメン屋のオーナー:「あぁ、またダメだねぇ。」

若い衆:「ああぁぁー。もう嫌だー!」

正直、この店には数年ほど通っているがこのような場面は見たことが無い。

このラーメン屋のマスターも地獄だなぁと思いながら帰ろうとすると、また若い衆が2人入ってきた。

「マスター、クレジットカードでいい?」

その日は歩いて帰る気力も無く、最近ではめったにしない「自分へのご褒美」でタクシーに乗って帰った。

今現在の地方都市の歓楽街の状況は深夜営業のラーメン屋さんで実体験することが出来る。半年後の状況を想像するとゾッとする話だ。

この店にとって「今や」発券機を設置する事はオペレーションの簡略化や人件費の削減が本当の目的ではない。

本当の目的は、

「先払い」

それに尽きると感じた。

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