見出し画像

【マレー半島縦断記③】イスラム文化との邂逅

 朝チェックアウトしに行くと、「昨夜はメンテナンスの関係で大きな音を立てて申し訳ありません。」と、とてもすまなさそうに、天パお兄さんが眉を八の字にしている。やはりあれは異常だったのか。またも「大丈夫だよ〜」と良い客を装って、少し誇張するくらいの軽やかな足取りで宿を出たけれど、実際はかなりの寝不足だ。太陽光がさらにきつく感じる。

 宿から出て、当てもなく徒歩で街を見て回る。マラッカには腰折屋根を逆に折ったような屋根の建物が多く見られ、住宅も、東屋も、バス停も、チケット売り場でさえも、同じ作りだった。気温が高く雨も多いこの地域では、室内の熱い空気を如何に逃すかが重要になるのであろう。上の屋根と下屋との間に隙間を作り、煙突効果を利用して換気口にしていたのではないか。それが形骸化して、バス停など、壁に囲まれない建物にも、意匠として残ったのではないだろうか。と想像した。

道路沿いの東屋
歴史のありそうな住宅街
行きたかった美術館が月曜閉館だったので、チケット売り場を描いて鬱憤を晴らす
バス停スケッチ

またも墓場で蚊にたかられる

 マラッカ市街地から歩いて15分ほどの、小さな山に作られた墓地を見に行った。Googleマップで下調べをしていたときに、面白い写真を見つけて、絶対に観に行こうと思っていたのだ。敷地がとっても広かったので、その写真の場所をピンポイントで見つけるのはまず難しいだろうな、と思っていたら、敷地に踏み入って2分、あまりにもあっさりと見つけてしまった。建物を模した墓だと思っていたけれど、人の名前や生没年もなければ、後ろはハリボテのようになっている。これはアートと呼ぶ方が相応しいかもしれない。一個だけしかない特別なものには、あまり惹かれないことに気づいた。
(↓件のGoogleマップリンク。写真まで指定してリンクを貼れるのすごく便利)

 丘の頂上まで登っていったら、墓場の頂上で、ハンモックに吊られて寝ている人を発見した。自分で持参してきたのだろうか。見たところ、墓場に興味があるというよりは、静かで快適なことを理由に選んだように見える。たしかにマラッカの街が一望できるし、風も気持ちがいい。とても快適そうにピクリとも動かずに眠っており、僕の気配はこれっぽっちも感じていないようだ。しかし、上には上がいるものだ。「そんなに墓場が好きなのに、あなたは墓場で寝たことさえないんですか?」と、スースー眠っている彼に言われる場面を想像してしまう。ハンモックか、そういう旅もしてみたいな、と思った。

 蚊の問題はずっと付き纏う。スケッチのために5秒と静止しただけでも、両手ともに蚊が止まっている。20匹ほど叩き潰したけれども、一向にやむ気配がない。汗の匂いを頼りに寄ってくるというし、この発汗量に為すすべなしと見て、一時退散。多勢に無勢だ。この先も、いくつか墓場を回る予定なので、流石に虫除けをさがすことにした。
 街に戻って、ローカルコンビニのおばちゃんに腕を見せて聞いてみると、「あらひどいわね〜。これ塗っとけば大丈夫よ」と軟膏をだされたのだが、僕が欲しかったのは単に虫除けスプレーである。刺されたものはほっておけば治る。「Before bite. Protect !」と下手な英語とジェスチャーで伝えたら、「我明白你的意思啦!(あんたの言いたいことはよ〜く分かった!)」と近くの薬局の場所を教えてくれた。中国語も話せたんかい。そこで探して来なさい、ということだろう。物分かりが良くて助かる。購入して早速振りかける。先ほどのコンビニに戻って、無事買えたよ〜と報告しに行ったら、カウンターに座っている人が変わっていて、すごく気まずい思いをした。冷えたコーラを一本買って、一休み。

 またもさきほどの墓地に戻って隅々まで見て回る。蚊はだいぶマシになったものの、暑すぎたことと、一度一通り見ていたことで、あまり立ち止まらずに、めぼしいものだけを巡って行った。もはや散歩に近い。
・何かを見るときは、一回目という新鮮さが重要
・蚊は虫除けスプレーを買うことで対策できる
という、ポケットモンスターをプレーするだけで簡単に気づけそうなことを、マラッカにまで来て学んだ。

ムスリムの能力

 Masjid al-Azim Melakaというマラッカ最大のモスクへ。人生初めてのモスク参観なので、少し緊張していたのだが、入ってみると、あまりにも僕のことを皆が気にしないのでホッとした。建物の外や廊下部分を別として、メインの礼拝空間の中には女性の姿を全く見かけなかった。男女差がこれほどまでに明確にでるのは、今の世界潮流とのギャップがすごい。彼らにとってはそれが当たり前なのだろう。何千年と続いてきた宗教は、そう簡単には変わらない。

 寝っ転がっている人が結構いたので、僕も真似して寝転がってみた。やはり昨日の寝不足がたたり、少し眠い。そしたら、青いシャツを着た男性が声をかけてきた。イスラム教徒以外はここで寝てはいけないのか!と急いで立とうとしたら、寝たままで大丈夫、というジェスチャーをしている。

 「寝ることは構わないんです。誰でも、いつまでも、寝て良いんです。ただ、足を外側に向けて寝た方が良いです。」と言いながら立ち去っていく彼。確かに言われてみれば、他の人は皆、足を祭壇から見て外側に向けていた。まだまだ観察力と注意力が足りない。どうやら僕はこのモスクで唯一、唯一神に向けて足を向けて寝ていた背信者になる。このくらいの知識は下調べしてから行くべきだと反省した。

 逆を向いて寝転がりながら振り返ると、先の男性も振り返って見守ってくれていた。英語がちゃんと伝わったのか確認してくれたのだろう。春風のような爽やかな笑顔でニコッと笑って、彼は家族の元へ戻っていった。こういったマナーを、外国人や異教徒に、正確に、それも嫌味な感じを出さずに伝えるのは、相当難しいだろう。優しく注意をしてくれたお兄さんにとても感謝。

寝転がる人々。写真左手の方に祭壇がある

 僕は日本に住んでいたときに、ご飯に割り箸を立ててしまう中国人を、荷物で電車の席を取ってしまう欧州人を、見て見ぬふりをしてしまっていた。彼らは悪気があったのではなく、知らなかっただけなのだ。知っている人が教えてあげる、ただそれだけのことが、なかなかできないのだ。彼の行動が、コーランの教えなのか、はたまた彼自身の人間性かは分からないが、彼のおかげで、僕のムスリムに対する印象は良い方向へと大きく傾いた。

 お手洗いに行ったら、大量のシャワールームが併設されていた。身体ごと清めてから入る必要があるのか?と一瞬不安になったけれど、それらしい注意書きは見あたらなかったから、まあ大丈夫だろう。それでも、汗だくで入場してしまったことはやはり良くなかったのかもしれない。あと、小便器がなかったことにも驚いた。イスラム教徒は小便をしないのだろうか。いちいち個室に入って、リュックとズボンをおろして、という動作が億劫だった。おまけに床はシャワーの水でベッタベタに濡れている。

 敷地を出る前に、モスク外観の幾何学模様の写真を撮っていたら、後ろから「ONISHAN!」と2回ほど僕に向かって言っている声が聞こえて、写真ダメなやつか?と恐る恐る振り返ると、肩を組む男性二人の姿が。「please! photo!」まるで30年前の世の中にタイムスリップしたようだ。

しょうがないから載せてあげよう。(この右の人が彼、左の友達は少し困っていた)

 観光地でカメラを構える日本人と、撮られたがる外国人の構図。少なくとも友好的であることにほっとしながら、オーケーオーケーと撮ってあげると、「アリガト!」と言われた。いろいろと混乱して、呆気に取られてしまった。どうやら写真は僕に話しかけるための口実だったらしい。してやられた。
 なんで日本人だと分かったの?と聞いたら「It’s simple.」と言っていた。そのあとの説明を待ったけれど無かったので、簡単に見分けられたという意味だろうか。

 「日本のどこから来たのか?」「マラッカは初めてか?」「何日滞在するのか?」「次はどこへ行くのか?」「一人か?」と、旅人に対する質問英会話基本セット教本みたいな内容を繰り出されて、会話が進んでいく。彼はマレーシアにある日本企業の子会社に勤めているらしく、日本に関心があったみたいだ。彼に言わせると、マレーシアは東京くらい治安が良いから安心しろ、とのこと。日本人からすると、治安がいい場所の例えとしては、あまり相応しくない気がするが、彼は“めちゃくちゃ安全”という意味で使っていそうだった。

 これはひょっとしたら長くなるか…?と感じ始めたくらいで、「じゃあ良い旅を!」と唐突に立ち去っていった。こちらの微妙な表情の変化を読み取ったというのか…?恐ろしいまでの観察力だ。さらには、「マレーシアで何か困ったことがあれば、警察に電話してね!俺じゃなく!」というジョークまで添えて。コミュニケーション能力まで高い。営業の仕事でもしているのかもしれない。「いやあんたの電話番号しらんのよ」というツッコミは、別れてから思い浮かんだ。そのときの僕は「あはは、センキュー」しか言えず、とても悔しい思いをした。

【ムスリムの凄さまとめ】
・コミュニケーション能力が高い(優しく注意ができる、ジョークが言える)
・観察力がある
・小便をしない

首都クアラルンプールへ

 バスターミナルまで、30分ほどてくてくと歩いて向かった。先生が別れ際に、「東南アジアを旅するのに傘も持っていないの!?」と持たせてくれた傘が日除けに役立つ。途中で屋台のオレンジジュース(安い、うまい)とインドカレー(うまい、辛い、早い)をいただき、バスチケットを買い求めた。自動券売機を試してみたら、当日券が表示されなかったので肝を冷やされたけど、窓口に行ったら普通に買えた。

 「名前なんていうの?」「ア〜トゥ〜ヤ?」外国人には「つ」の発音が難しい。続いて鈴木を説明しようと、SUZU まで伝えたら、こうでしょ!と言わんばかりにKとIのキーを大袈裟に叩いてみせて笑うムスリマ姐さん。オーと声を出しながら、二人して親指を立て合った。世界のSUZUKIの名はマラッカにまで轟いている。

 15:45発のクアラルンプール行きへ乗り込む。約20時間ぶりに冷房にありつけて、人類の叡智に感激する。バスに乗る前に汗だくのシャツを替えておいたから、とても快適だ。人前で(一瞬だが)上裸になることを躊躇わない自分に、自分でもびっくりした。確実に面の皮が厚くなっている。街中を上裸で走るおっさんになるまで、あとちょっとかもしれない。
 スマホにダウンロードしておいた小川未明の童話を3つと、寺田寅彦の短いエッセイを2つ読んだ。外は相変わらず変わり映えがなく、ココヤシか擁壁か、太陽光パネルしか見えてこない。

 4時間ほどでクアラルンプールについた。大きなバスターミナルらしく、多くの人が行き交っている。適当に見定めたエスカレーターを登っていると、誰かが僕を呼んでいる声がした。下を見ると、おばあちゃんが必死に手を振っている。周りにも人が沢山いるのに、なぜ僕なのだろう?と思いながら、エスカレーターを逆走する。「ありがとねぇ〜やさしいのねぇ〜」としきりに言っている。年齢の割に英語が上手で、改札まで荷物を運んであげている間に、まあまあいろんな話をした。「あんたくらいの歳の孫がいるのよ〜」と言っていた。世界共通ワードだ。一人で来ていることに結構驚いていたので、相当若く見積もられていそうだった。

陽が落ちて行くクアラルンプール

 今夜の宿が抜群に良かった。チェックインから部屋に案内されるまでの間に、「またここにくるためにクアラルンプールに来ても良いかもしれない」と思ったくらいだ。広い共有スペースに、24時間入れる温水プール、小さなテラスや屋内のニッチが至る所にあり、ホステルなのに、ベッド以外の居場所が沢山ある。ヨーロッパからと思しき旅行者が多く、それぞれの場所を見つけて話したり、日記をつけたり、仕事をしたり、お酒を飲んだりしていた。そういう人々を横目に見つつ、屋上に登るまでの一連の空間体験が本当に素晴らしい。

 一階のレストランで食事を取る。ここもオーナーが同じなのか、似た名前がついているし、吹き抜けで繋がっている。チキンライスとソーダを頼んだ。料理もとても美味しくて、空間も雰囲気も店員さんも良いのに、音楽がだめだった。HappyとDancing Queenはないだろう、勘弁してくれ。

スイスのお花屋さん事情

 宿に戻ったらルームメイトが話しかけてくれた。僕の他にはこの、大きめのメガネをかけたスイス人の女の子しかいなかった。多分20代前半くらいだろう。

 なぜマレーシアに来たか、どこ出身か、何日目か、という基本情報を交換したのちに、段々と細かい話までしてしまった。建築設計の仕事をしていること、古跡や墓場を見に行くことが好きなこと、墓場の調査をして本を出したいこと、将来は自分の事務所を持ちたいこと…など。挙げ句の果てには、あなたが一番好きな建築は何?という問いに、羅東文化工場の素晴らしさまで熱弁してしまった。noteにまとめていなかったら、英語で説明することなんて、とてもできなかっただろう。考えを書き出してまとめておくことは、話すときも(たとえそれが外国語であっても)とても役に立つ。彼女と話しながら、もっとこういう文章を沢山残さなければ、と思った。

 カテドラルという例えが、ヨーロッパに住む彼女にストレートに伝わったように思えて、とても嬉しかった。カーヴァーの『カテドラル』でも、大聖堂の説明を口ですることで、盲目の他人と心を通わす場面が登場する。見える世界が違っても、言語が違っても、カテドラルには人を繋げるパワーがあるのだろうか。
(もし良かったら併せてお読みください↓)

 彼女はスイスでお花屋さんをやっているらしい。花屋さんが英語でFloristということさえもここで知った。彼女の質問が上手で、僕の話ばかりしてしまったけれど、あなたの話も聞かせて!と言って聞いたこと。

「うちに来るお客さんの大半は——男性は特に酷いわね——自分が何を買うかさえ分かっていないのよ。『いや、彼女が花を欲しいと言ったから…』とかそれくらい。だから私たちは、彼女がどんなものが好きかとか、彼がどんな人生を送ってきたか、ということをヒアリングするのよ。それで、彼と一緒に、渡す相手に相応わしい花を探してあげるのよ。」

「面白いのは、だいたいの人は花の名前や見た目より、先に値段を気にすること。ほんっとうに理解できない(caaaaaan’tと伸ばしていた)。だって、安い花が欲しかったら、スーパーマーケットで買えば良いじゃない。ねえ、そう思わない?」

「スイスでは、16歳から働き始める子が多いのよ。だから15歳のときに、人生の選択を迫られるというわけ。特に明確な夢が無かった私は、それはもう色んな場所に職場体験に行ったわね。20くらいは行ったんじゃないかしら?その中で、一番しっくりきたのが花屋さんだったのよ。良いじゃないこの仕事!って。」

「人生を通して花屋さんでいるかどうかは分からないわ。私の友達もそう言っている子たちは多いわね。もちろん花屋の仕事は好きよ。でもね、30や40にもなって、花屋さんのままでいるイメージは湧かないわ。」

 彼女の仕事や人生に対する考え方を聴いていたら、彼女の質問が上手なことに納得がいった。花屋さんとこんなふうにじっくり話し込んだのは、人生で初めての経験だったけれど、人の話を聞いて、悩みを解決に導いて、おまけに綺麗な花を持たせてくれるなんて、まるで臨床心理士みたいな仕事だ。今度台湾に帰ったら、花屋さんに行ってみようかな、なんて思ったりした。
 結局最後まで、お互いに名前と年齢とSNSのアカウントは聞かなかった。旅先の出会いであることをリスペクトできる関係がありがたい。それにしても、お互いの、日本語とドイツ語の発音の酷さに笑い合った夜は、とても楽しかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?