【マレー半島縦断記②】アナザーキャンパスライフ
昨夜はかなり酔っ払いながらも、しっかりホステルにチェックインをして、ぐっすりと眠った。6個も寝床があったのに、夜は部屋に僕しかいなかったため、とても静かで快適だった。朝目が覚めたら他のベッドに一人の女性がスヤスヤと眠っていた。道路向かいのお寺から、聴きなれない鐘の音がリンリンと鳴り響いていて、一体ここは何処なのだろう、と一瞬混乱した。
整列する墓、時の流れ
お昼ご飯から先生と待ち合わせをしていたので、地下鉄を途中駅で降りて墓を見にいく。勿論、駅からのアクセスは良くないので、汗を流しながら歩く。「朝は何を見てきたの?」と聞かれたら答えづらいな、なんて答えようか、と思いを巡らせながら歩みを進めた。まだまだ、墓を見に行くこの趣味を、胸を張って言うことができない。
大通りのガソリンスタンドの裏手に、全く同じ墓が大量に規則的に並ぶ墓場があった。昨日とは全く対照的な整列感がある。見たところ仏教のお墓のようだが、なぜこんな墓を拵えたのだろうか。ここには名前の記載はあるのだが、墓個体間の差異はない。無個性であること=匿名性をもつこと、がシンガポール人の心なのだろうか?
Jurong Eastという駅で降りて、先生のおすすめの、バクテーという料理で有名なお店へ。先生はまたも先に着いて待ってくれていた。漢字では肉骨茶と書くけれど、バクテーはどう考えても中国語読みではない。何語由来なのだろうか、と考えてしまって先生の話があまり入ってこない。
これがまた美味しかった。豚あばら肉がこってこてに煮られており、めちゃくちゃにやわらかくなっている。それを、胡椒の効いたスープと、白米とともにかきこむ。「美味しいですか?それはよかった。これがね、日本人に結構人気なんですよ。」と先生も得意気だった。お腹いっぱいになったあと、晩餐用の買い出しに行こうというのでウキウキでついていくと、まさかの、同じショッピングモール内のドンキホーテで買い出し。刺身盛りセットと、タコわさを購入。刺身を食べようと思うと、ここくらいしかないそうだ。ドンキがアジア中にあって、それもかなりの市民権を得ていることは最近知った。シンガポールもその例に漏れないようだ。先生はしっかり保冷バックを持参してきていた。主夫力まで兼ね備えている。
モール内の移動中に、昔と変わらずサッサと先を行く先生の後ろ姿を見ていたら、気づいたことがある。右脚を少し引き摺っているように見えるのだ。これを読んでいる人は、先生のことを存じ上げない人が多いと思うので少し説明を挟むと、20代に混じってサッカーをしても、いつも最後まで走っているし、ミラノサローネというデザイン博覧会に行った時だって、多くの生徒を引き連れ案内するだけでなく、生徒たちが見つけ次第休もうとするソファにも、一脚たりともお尻をつけないくらいの怪物なのだ。いや、怪物だったのだ、というべきなのか。その丈夫な先生にも、時は平等に牙を剥くことを思い、ひとり、少し切なくなってしまった。
南洋大学へ
地下鉄とバスを乗り継いで、先生の勤める南洋大学の敷地内に入る。シンガポール大学と並ぶ、二大国立大学なのだそう。優秀な学生たちが多いですよ、とのこと。思っていたよりかなり遠く、シンガポールの街中から来ると、普通に2時間くらいかかる距離だ。小さい国だと思っていたけれど、想像していたよりも大きい。
南洋大学は山の中にあるため、校内には等高線に沿って湾曲した道路が通り、バスはうねうねと高度を上げていく。先生の住まいは、大学の教員寮らしい。今晩はここに泊まらせてもらうことになっている。
先生のお宅に荷物を置いて、少し一休み。わざわざ豆から挽いてコーヒーを淹れてくれた。ソワソワしてしまったけれど、手伝う隙がないので、おとなしく待っていることにした。10分くらい待ったこと、先生が入れてくれたこと、室内が程よい気温だったことも手伝って、このコーヒーが素晴らしく美味しかった。「砂糖とミルクが無くてごめんね、奥さんが来る時は切らさないようにしてるんだけど。」と、良き夫としての姿まで垣間見える。
大学内の建物を案内していただいた。学内には無料周遊バスが殆ど絶え間なく走っているし、それに乗って敷地を一周するのに、だいたい30分くらいかかる。こんなに広い大学に初めて出会った。バスに乗りながら、移り変わっていく教室や宿舎や広い緑地の景色を見て、こんな大学に通ってみたかった、と思った。今も絶賛改造中らしく、近い将来、校内にMRTの駅が二つもできるとのこと。高低差のあるキャンパス内を水平に走る高架の脚が、仮囲いの外からでも見えていた。
暑すぎたので、プールに泳ぎにいくことになった。教員証や学生証があれば無料で入れるらしく、よく泳ぎに行っているそう。羨ましい生活だ。屋根の下を選んで日を避けながら歩く。それでも、徒歩10分ほどで汗だくになってしまう。
プールに着くと、先ほどまで雷が鳴っていたこともあり、暫時停止中とのことだった。空は晴れ渡っているのに、プールに入れない悔しさといったら…。学校帰りに発見した冷蔵庫に冷えるプリンを、夜まで食べてはいけないと言われている気分だ。僕らの他にも何人か泳ぎに来た人がいて、いつ開くんだろう?、私も分からないんです…。僕が聞いてみるよ。と、地味な絆が生まれていた。
「ここで引き返すのはなんだか悔しいね、30分くらい待ってだめだったら戻ろうか。」という先生の提案で、グラウンドの観覧席に座って、スポーツに励む人々を眺めながら、毒にも薬にもならない話をした。下手なサッカーの試合に一生懸命なシニア世代、フリスビーの練習をするカップル、遠くのほうではビーチバレー、まるでアメリカの大学に来たかのようだ。キャッチャーインザライの冒頭ってこんなシーンだった気がする。
聞くところによると、先生もここでランニングをしていたのだが、膝を痛めてしまって水泳に変更したらしい。なるほど足を庇っているのはそれが原因だったのか。膝を庇って歩くと、今度は腰が痛むそうだ。老いとどう向き合っていくか、40年後の自分の姿を朧げに想像しながら相槌を打った。
「シンガポールまできて、こんなことになって申し訳ないね。」と先生はおっしゃったけれど、これこそ僕の求めていたことだ。南洋大学の日常にお邪魔させてもらった感じがする。まるでここの生徒になれたかのようで嬉しい。
30分ほどグラウンドを眺めたところで、どうやら再開したようで、プールの入り口がざわつき出した。プールに入ると、陽の光のもと、水面がキラキラと光っているのが見えた。プールサイドには、リゾート地にあるようなビーチベンチが並んでいる。火照った身体にとっては天国のような光景だ。
水着を既に装着している我々は、更衣室を経由せずに、直接プールサイドに向かう。Tシャツを脱ぎすて、体操もそこそこに、シャワーをひと浴びして、水に体を浸からせる。そこまで冷たくはなかったけれど、すごく気持ちがいい。
しきりの浮がないのが特徴的で、みんなのびのびと泳いでいる。タイムを測りながらやるような本格派の人には、別の屋内プールがあるのだろうか。端に立てば顔が出る高さなのだけれど、真ん中は深さが2.5mほどもある。最初先生から注意されていたのに、水中眼鏡を持っていなかったこともあり、普通に溺れそうになった。ひとしきり泳いでいると、先生が隅っこにとどまっている。やっぱり腰が痛むそうだ。「僕のことは気にせず、好きにやってください。」お酒を飲んでいる時と一緒の口癖だ。
1時間ほど、ときどき話をしながら泳いだところで、雨が降ってきたため上がることにした。天候の変化も激しい。
部屋に戻って荷物を置いた後、1時間半ほどの自由時間にした。Hiveというトーマス・ヘザーウィックの建物を見にいく。ここに来たら絶対に見たいと思っていた目玉だ。腸の内壁の断面図のように、建築の外壁がウネウネとうねっており、床面積に対しての壁の量がとても多い。そのひだの隙間の全方向からアクセスでき、またひだの内側は、一つ一つが包まれるような空間になっている。外とは常に空気が繋がっていて、緩く風が抜けている。また、中央には大きな吹き抜けがあって、階を上がるごとにその面積が少しづつ狭くなっていく。下から見上げると洞窟のようにも見える。こんなにも、生物/自然物のように見えて、かつ理性を持って作られた建築は今まで見たことがない。これをシンガポールで作り上げるヘザウィック・スタジオ、恐れ入る。久しぶりにすごい現代建築を見た。
カワウソの家族と僕の将来について
部屋に戻ってシャワーを浴びさせてもらったあと、先生と晩餐を開始。パックに入っていた刺身やタコわさなどを、わざわざ皿に盛り付けていてくれた。とても気の回る人だ。
「あのさあ!こんなんあるけど、どう?」
と、冷蔵庫からキンッキンに冷えたスパークリングワインを取り出して、真面目な顔で聞いてくる先生。そんなの、答えはイエスに決まっている。先生のこういうところが大好きだ。「用意しておいたよ」でも、「スパークリング飲める?」でもない、粋な言い方。先生から学ぶことはまだまだ沢山ある。最初に淹れた一杯を勢いよく飲み下した僕ら二人は、それはもう沢山、昨日にも負けないほどいろいろなことを話した。スパークリングがウェルカムドリンクとしてよく用いられる理由が少し理解できた気がする。
日本/台湾/シンガポールの気候/文化の差異、日本企業と日本人が今後どうあるべきか、など真面目な話から、家族連れで道路を横断するカワウソの話や、黄身が何故か偏ってしまうシンガポールのゆで卵の話まで。でも決して、人の悪い噂だとか、プライベートに踏み込みすぎる下世話な話題は一切無く、いくら酔っ払ってもそこの線引きがとてもしっかりしていて、いつまでも楽しく飲んでいられた。その点もとても尊敬している。
僕の将来について聞かれる。
・台湾で学んだことを、地元に帰って活かしたい。
・生まれ育った街を、住みやすくしていきたい。
・地元で頑張っているかっこいい大人たちが沢山いて、彼らも僕が戻ることを望んでくれていて、その人たちと一緒に地元を良くしていく、という未来を想像している。
といった内容を、てっきり、誰が聞いても良い将来像に聞こえると思いながら伝えたら、「地元に帰る、ではちょっとスケールが小さいんじゃないか?」と言われてドキッとした。「アジアの地理や文化を分かっていて、中国語を使いこなせる、あなたのような日本人は貴重で、どこにもいないんだよ。あくまで主戦場は世界だろう。」と。
先生にアツい部分があるのは知っていたけれど、僕のことをそんな風に思ってくれていただなんて、真剣に照れてしまった。
この将来像は、台湾に来て、さまざまな優秀な人々に出会って、色々なことに挫折しながら20代の後半を過ごしてきて、なんとなく出来てきたイメージだった。そうだ、自分の可能性を狭めるのはいつだって自分だ。先生に言われて、初めて自分が縮こまっていることに気づいた。もう少し考えてみよう。
また、大学の後輩へ向けて講演をしたほうが良いのではないか、という話がとても嬉しかった。
「アツヤくんの生き方ってのはね、参考にしたい後輩がいっぱいいると思うんだよ!だって、他の先輩たちと明確に違うでしょう?海外で働いて、世界中を見に行って、中国語でも英語でもコミュニケーションが取れて…なんて人、他にいる? だから是非、自分の価値を後輩たちに伝えてください。」
飲んでいてふと、先生が斜め前を見て無言になる時間があった。その時間が全然苦じゃないどころか、そのゆっくりとしたリズムが心地よかった。何も、無理して間を繋ぐことはない。40も歳下の人間を、二人きりで緊張させないどころか、リラックスまでさせるなんて、とても真似できそうにない。とてもかっこいい人だ。
翌朝も、先生は予定していた時間より先に起きていて、ヨーグルトとシリアル、そしてドラゴンフルーツとパッションフルーツという、完璧なシンガポールスタイルでもてなしてくれた。そして、食後のコーヒーまで忘れずに淹れてくれた。至れり尽くせりとはこのことを言う。
7時でもまだ外が薄暗い。先生によると、中国の時間に無理に合わせているから、暗く感じるそうだ。夜も日が長く感じるのは、全体的に遅れているだけなのかと合点がいった。
別れ際、玄関で先生と硬い握手を交わして、墓場に向かった。「シンガポールの墓場なんて、見ようと思ったこともないなあ」と笑ってくれた。先生、二日間お世話になりました。実はこれで、3件目なんです。
墓の万国博覧会
学内を通るバスに乗って、学校の裏手にある墓園にきた。この墓園へのアクセスの良さが、南洋大学の利点の一つだ。墓の博覧会のような場所で、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、仏教、イスラム教、という主要宗教から、芝生式、中国式など地域固有のものまで、ありとあらゆる墓が、区画ごとに綺麗に整備されている。これが、多国籍国家の墓園か。
散歩中に、芝刈りに励む人々にも何度か出会った。頻繁に手入れがされていそうだ。
特筆すべきは芝生墓地だ。「Protestant Cemetery」や、「Christian Cemetery」などと、宗教の名前で区画分けされるのと同じテンションで、「lawn cemetery」と書いてある。lawn、つまり芝生だ。発祥はアメリカだろうか?、広い大地を広く使うのが大陸側の発想に見える。
それにしても暑すぎる。これが年中続くなんて、本当に恐ろしい場所だ。季節のない国の一年間が想像できない。マリーナベイサンズにも、マーライオンにも見向きをせず、汗をダラダラかきながら墓場を記録する。これで良いのだ。結局お昼頃までずーっとフラフラと墓場を徘徊していた。作っている最中のイスラム墓地が見えたり、コーランを読む人や、墓の前で手を合わせて祈る人々に結構出会い、収穫はかなり大きかった。
さよならシンガポール
街中に戻って、マラッカ行きのチケットを買う。出発まで40分しかなかったので、シンガポールのお金を使い切るために奔走する。飯を食い、抹茶ラテを飲み、自分へのお土産(踊るおじさんの置物、イスラム柄のポーチなど)を買い……。先生に色々奢ってもらったお陰で、お金に余裕ができていた。こんな贅沢は初めてだ。
お土産屋のおっちゃんに色々話しかけられたせいで、時間がほんとにギリギリになってしまって、久しぶりに全力で走った。脇腹がキリリと痛むあの感覚が蘇る。ああ僕は今を生きている。不安も痛みもあったけれど、顔は笑っていた。
バスに間に合って、無事出発した時に、やっと旅が始まったという感覚があった。僕が映画監督だったら、20分ほどのシンガポール編のあと、バスが高速に乗ったあたりで、タイトルを出すと思う。
【マレー半島縦断記】
マラッカへ
マラッカ行きのバスは、シンガポールからの出国、マレーシアへの入国の検査で2度降ろされた。香港-マカオ間で経験したことと似ている。ここで、この旅で初めて、入国スタンプを押してもらえた。入国スタンプで埋まっていくパスポートは、幾つになっても嬉しいままだ。
みんな慣れたもので、バスが停まると、何も言われなくても続々と降りていくので、僕も後ろにトコトコとついていった。そしたら、マレーシア人専用レーンに並んでしまって、前に並んでいたおじさんから「Are you a malaysian......?」と教えてもらった。何も考えずについていけばいいってもんじゃない。なるほど、彼らは慣れているわけだ。
バスの中に荷物を置いてきてしまったので、荷物検査のときに手持ち無沙汰だった。そんなセキュリティで良いのか、という感じだったけれど何も言われなかったのでオッケー。なにも、シンガポールで麻薬やナイフを購入したわけではない。パスポートとスケッチブックだけを持って国を跨ぐのは不思議な感覚だ。
マラッカまではココヤシの木しか見なかった。同じ景色が延々と、延々と続く。30秒ほどの映像を繰り返し再生しています、と言われても信じられそうなほど。これがマレー半島のリアルだ。景色がこれほどつまらないのは、完全に予定の範囲外だった。延々と続く同じ景色を見ていると、急激に眠気がくる。
眠れないときに羊を数えることに納得する。羊である理由は、sleepとsheepの駄洒落だろうから、要はなんでも良いのだ。同じものを見続けることが人を眠りに誘う。人は眠れないとき、英語圏では羊を数え、マレー半島ではココヤシを数える。では英語が公用語のシンガポールではどうしたら良いのだろう?背中からココヤシが伸びる羊では、絵面が面白すぎて眠れそうもない。ちなみにマレー語で眠るはtidur(ティドル)、ココヤシはkelapa(ケラパ)なので、駄洒落にはできそうにない。
マラッカに着いたのは日が傾いてきたころ。ホステルに辿り着いてベルを鳴らすと、階段から降りて迎えに来てくれた天パのお兄さんが「君はもしかして、アツヤかい?」と声をかけてくれる。こういうところが、このホステルの評価が高い要因だろう。
ホテルの部屋は、客が少なかったか何かで一人部屋にアップグレードしてくれた。ありがたい。シャワーを浴びて、汗だくの服も一緒に洗い部屋に干した後、すっきりとした気持ちで部屋をでた。
夜は天パ兄さんにおすすめを聞いて、マーケットで食べることにした。でも、いろいろ見れど良いお店に出会えず、歩いているうちに結構遠くまで来てしまった。随分賑やかな通りで、お祭りかのように人がたくさんいる。そういえば、ここにきて初めて、観光地っぽいところに来た。
アコギで弾き語りライブをしているお店があって、素敵な雰囲気に吸い込まれた。一番安かった海南麵包(ハイナンサンド)という料理とビールを注文したら、マーガリンに蜂蜜をたっぷりとかけたサンドウィッチが出てきた。失敗した、とても晩飯という感じじゃない。あとビールも甘めの銘柄で、口の中が甘さに侵される。おまけに、弾き語りが終わってしまって、吊るされたテレビには謎のフラメンコのビデオ、スピーカーからは中華系の演歌というアベコベなコンセプトのダサいレストランに様変わりしてしまった。これなら夜市で見つけたものを食べれば良かった。
宿に戻って寝る準備をしているときに、どうやらエアコンが使えなさそうなことに気づいた。風も抜けるしなんとか大丈夫かな?と思いつつトイレに行こうと扉を開けると、廊下で管理人が点検作業をしていて、びっくりした。
「Hi, everything OK?」「No problem !」
言ってしまってから、エアコンのことを聞けば良かったと後悔した。突然人と遭遇すると、言おうと思っていたことが言えない。物心ついてからというものの、ずっとこの悩みを抱えている。
熱帯雨林気候の洗礼
それにしても暑すぎる夜だった。最高気温は31℃と台湾と同じくらいだけれど、最低は27℃で、夜中まで暑さが残る。一年の中で気温差(四季)がないように、一日の中でも気温差が少ない。これが熱帯雨林気候か、初めての体験だ。体の表面を常に一枚の膜で覆われているかのように、モワモワと熱気を感じる。体を動かすとその膜が少しだけ破れて風を感じるのだが、またすぐに覆われてしまう。軽いサウナの中にいるような感覚だ。ベットの中で少しでも動かない時間があると、マットレスに触れている部分が温まってしまい、ジワジワと嫌な汗が出続ける。おまけに濃いめの紫色のシーツが、不快さに拍車をかけてくる。
加えて騒音がものすごい。天井のファンの音は5段階中の3なのに、バッサバッサと容赦無く音を立てる。他にも、道路をすごいスピードで行く雷のような音を立てるバイカー、工事でもしてるんじゃないかという、ハンマーでガンガンと鉄の足場を叩くような騒音、外を歩く人々の笑い声。少ない風のために窓を全開にしているので、防ぎようがない。耳栓も試したけれど、暑苦しくて無理だった。いくら宿の評価がよかろうと、店員さんが気さくで話しやすくても、エアコンが使えないという点において星二つだ。
3時間くらい、ベッドの上で転がり続けたが、どうしても眠りにつけない。午前2時、諦めて外を散歩することにした。冷たい飲み物でも飲んで身体を冷やす作戦だった。階段を降りていくと、綺麗な金髪の女性とすれ違い「Hi〜」と小声で挨拶をする。ここで初めて、同じ階に泊まるであろう人に出会った。こんな時間までどこで過ごしていたのだろうか?宿には飼い猫が2匹いて、夜中にフラフラと出ていく僕のことを、不思議そうな目で見つめていた。
外にでたら、うるさい理由の一つが解明できた。夜中2時まで開いているというナイトマーケットに出ているテントがほぼ撤去されて、最後の一つ、折り畳まれた鉄の骨組みが、屈強な男たちの手で軽トラックに積み込まれている最中だった。これで少なくとも騒音問題はましになりそうだ。
コンビニが視認できたあたりで、財布を部屋に忘れてきてしまったことに気づく。何をやっているんだか。しょうがないので公園を散歩していたら、深夜とは思えないほどいろんな人を見かけた。ブランコに一人揺れる寂しそうなムスリマ、ベンチに横並びに座りおしゃべりをしている男性カップル、散歩をしながらタバコを吸うお兄さん。彼らも、眠れない夜を抜け出して来たのだろう。
30分くらい散歩をして帰ったことで、流石に眠気ゲージが感覚器官の機能を弱めてくれたのか、音と暑さに鈍感になったおかげで眠りにつけた。熱帯雨林の旅は、まだ始まったばかりだ。
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