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台湾の墓を巡るエッセイ

初めての投稿でこのテーマは、自分でもどうかとも思うけれど、今一番書きたかったことなので、許してください。どれだけの方に読んでもらえるか分からないけれど、とにかく始めてみたかったんです。

先週の土曜日(2023年4月15日)に、ふと思い立って、僕が今住んでいる、台湾は宜蘭の東海岸にある「壯圍鄉第一公墓」にスケッチを描きに行ってきた。(何故そんなことを思い立つのか?という人がほとんどだとは思うけど、話すと長くなるので省略します。僕は墓場にかなり興味がある人間なのです。)

ここの風景は、(特に異なる文化圏から来た僕のような人間にとっては、)見慣れない風景でかなり面白かった(カバー写真参照)。Google mapで見てもかなり面白くて、農地と防砂林に挟まれた場所に、家よりも小さく、車より大きいくらいの何かが大量にあり、キラキラと光っている。

Google mapさまさま

面白いと感じる一番の理由は、墓それ自体の形。後から少し調べた情報によると、龜殼墓(日本語だと亀甲墓)というらしい。墓石の後ろにある土の盛られた部分が、亀の甲羅に似ているから名付けられたのだろうか。下の画像の、草が生えている部分に土葬するっぽい。

沢山の亀甲墓が並ぶ風景

海岸の砂地に立地するこの墓場だが、結構高低差があり、道も計画されていないのか、通れないような場所もある。墓を跨いだり足場にしたりしないと、奥の墓に辿り着けなくて、結構沢山の墓を踏んでしまった。ごめんなさい。(「墓石」は踏んでいない…はず)

草に埋もれて人を待つ、地雷のような墓まであった

また、墓を一つ一つ見ていくと、形や大きさなどのデザインが結構違ったり、それぞれ工夫を凝らしていることに気付く。やはり何事も観察、沢山見ていると段々目が鍛えられてきて、すこしずつ自分の中で(科学的な根拠は1mmもない)分類ができてきた。

①平均3m×5mの、コンクリート剥き出しの古めの墓
②平均6m×9mの、タイル張りの新しめの墓
③その他:屋根付きの家のようなもの、キリスト教の十字架紋様など別宗教、墓石だけが簡素に建てられたもの、など
の3種類に大別できそう。

②の数が圧倒的に多く7割ほど、ついで①が2割、③が1割という構成比である。②の形は、①から進化したと考えるのが妥当だと考え、まずは①に注目してみる。古そうなものをいくつか、規模の小さいものから並べてみる。由来を知るには、古いものを見るに限る。

①-1 手前にレンガが見える、埋もれかけの墓
①-2 規模は小さいが金色の字が映える墓
①-3 隣の墓と一体化した墓
①-4 遺族の手を離れ、八割型が自然に還った墓
①-5 墓石の大きさに対して、アプローチがかなり広い墓
①-6 龍神・福神の字が目立つ墓

これらをスケッチしながら、いくつかのことに気づいたので、まずは箇条書きにしてみる。
・後ろの壁の天面ほぼ目前まで土が迫っている
・コンクリートやレンガで壁を作り、墓石は石造
・墓石の後ろの壁は、墓石を守るような馬蹄型
・全体高さが30cm〜60cmほどと、かなり小さめなのに対し、平面の面積は2〜6㎡と低い。(どちらも目算)

墓スケッチ 最初のページ


これらの情報から、ある一つの物語を考えてみた。
まず、墓石背面の壁の理由は、斜面に平面を作るためだろう。家も建てられないし、農地にもならない斜面の使い方を考えた結果、墓を建てることを思いつく。

「ここなら景色も結構良いし、ご先祖様も満足してくれるべよ。まずは土止めの壁を建てるっぺ。」
「うん。そしたら、四角で作るより、円形の方が良さそうだね。確保できる面積に対して、使う材料が少なくて済みそう。」
「んだ。んだ。後ろは丸くするだ。」
「手前の方に、お参りの時に立つ場所が欲しいから、両側に手を伸ばしたりできる?」
「土が止まれば良いだな?分かっただ」

台湾の昔の人はこんなふうに考えたんじゃないだろうか?また、このように作ると、斜面が自然と階段状になるため、登るための足場にもなるのが良い。

亀甲墓の原型(想像) 概念図

つまり、亀甲墓の原型は、普通では使い物にならない急斜面を、奥に行ける足場を作りながら、墓石を建てるための形なんじゃないか、というのが一つ目の考察である。まだこれらには、亀甲墓の亀甲部分は見られない。(もしくは埋もれてしまっているだけかも)

そして、これは良い!と、この作り方が広まっていくと、人々はどんどん効率を求めるようになる。斜面の角度が違っても、ある程度土の質が変わっても、「同じように」作れた方が楽だから。自然と専門業者が誕生するのだろう。
そこで話は②に進む。もう一度写真を見てみよう。

②-1 規格化(商品化)された墓が並ぶエリア

見事に似たような形、大きさをしている。平面的には角丸四角形で、手前は高さがまっすぐ切られ、奥は頂点に向かって高くなっていくので、奥だけ円形のように見えるのが、なかなか格好良い。タイルの色は主に2パターンで、ピンク地に緑のラインか、ついで白地に緑のラインが多かった。奥の壁には中国独特の一字の姓が、円形の表札(?)に掲げられる。昔のものより、サイズ感が一回り大きいのは、経済成長の証だろうか。すごく立派だ。

これらは、(多分)基礎まで含めて規格化されているため、平面にも建てることができる。斜面の下方に向かって顔を向けるという、①にあった共通点が失われ、逆を向くことも可能となる。本来土で隠れていた背中が見え、その背中はタイルで綺麗にお化粧されている。

①-2 本来の壁の意味が失われた墓

また、①の昔の墓では、壁の後ろの広大な土のどこかに土葬したであろう遺体が、①の新しい墓では、壁が二重になり、その間の土の空間に埋められている。つまり、外側の土を止めるための壁の意味が反転し、内側の土をこぼさないための壁に成り変わったのだ。この、普及したことによって、同じような形の意味が変化したことに気づいたとき、僕はかなり興奮した。

規格化(商品化)された墓 図面

墓場を訪れてすぐの印象としては、①の、昔の素朴なサイズ感がとても好きだと思ったし、新しい墓の、他のものと表札くらいでしか見分けがつかない見た目を、あまり面白くないと感じていた。しかし、好意的にみると、この「規格化」により、墓の個性が減ずることと引き換えに、向きがバラバラになるというランダム性が加わり、この墓場の風景は、すごく面白い進化を遂げたのだろう。

バラバラの方向を向く墓群

ちなみに、山の麓に位置する、少し斜面がきつい墓場も見たが、ほとんどが同じ方向を向いていた。

山の麓に位置する別の墓場の風景。

墓の形を観察することで、故人を弔う行為が、段々と市井の人々の手から離れ、商品化されていく過程が見えてきた。墓から考える文化人類学。

最後に、墓場徘徊を4時間ほど続けた末、少しだけ離れた場所に、ラスボスみたいな墓を発見したので、それを紹介して終わろうと思う。地主の墓場だろうか。

奥の林に聳えるのがラスボスの墓。手前の墓と比べてみると、その異様な大きさがわかる。
ラスボスの墓 近景

なんと大きさにして、幅7m、奥行き11m。悠々と家が建つ面積である。これをみると、台湾人の死後の観念は、日本人に比べると、まだ近代化されていない部分が大きいのかもしれない、と思う。

ここまで書いてきたことは、全て僕の妄想である。何故ちゃんと調べて書かないのか、という批判は当然だが、「現在真実とされていること」と「本当の真実」との差異は必ずあるので、ネットで調べて出てくるような情報より、自分の妄想力を試したくなったのだ。そんな可能性もあったかもしれないね、くらいの緩い感覚で読んでもらえれば幸いである。エッセイと題した理由もそこにある。

誤字脱字の指摘や、内容の指摘など歓迎しています。
気軽に、コメントや感想を書いてもらえると嬉しいです。


230707追記メモ:
・Mさんから、墓が船の形に似ているという視点をもらう。
先日読んだ『アースダイバー 神社編』(講談社,2021,中沢新一)にも似たような記述があった。死者を送り出す船というモチーフ。※要引用
・Rさんから、「元々は土留めと考えるとあの後ろの半円形は、アーチ式のダムと同じ原理で合理的」という指摘をいただく。
水平アーチなるものを初めて知った。流れる水と流れる砂を紐づけるレトリックは流石。
・Fさんから、「沖縄や台湾は、斜面に横方向に穴を掘るお墓のようで、中国のカタチだ」という言葉。
斜面に穴を掘った古代ヤオトンの記憶が、墓を作るときにも同様に働いていると思うと面白い。水平面を作るために土留めをしている、という見方を90°変えると、横に掘っているようにも見えることを知った。

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