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【ベトナム旅行記⑤】旅の終わりは突然に

 昨日は気づいたら寝ていて、7:00頃に眼が覚めた。記録をつけることも、本を読むことも、携帯の充電さえできていなかった。歯を気持ちしっかりめに磨いて、チェックアウトを済ませる。外は土砂降りだった。
 今更レインコートを買うのも面倒だったので、笠を被ってバッグを前に回して歩く。お金もあまりないので、歩いていける場所に行こうと決める。

 まず大きな教会(Nhà Th Ln Hà Ni)に出向いた。同じ制服を着た学生たちが集まって、何か学校行事がおこなわれていた。流石に中に入れないかな?と思いながら近づいて行ったら、みんな不思議そうな顔で僕を見つつも、特に何も言ってこなかった。こういう無関心さがありがたい。

次々と席に着く学生たち。本格的にイベントが始まる前にサッと見て退出した。

 ヨーロッパに来たのかとおもうほど立派な教会だった。首都の真ん中にこんな立派なカセドラルがあるのは、フランスに統治されていた影響だろうか?次に訪れた場所が、フランスに大いに関係していて、そんなことを考えた。それは、ホアロ刑務所(Di tích Nhà tù Ha Lò)。解説によると、オセアニアで(やたら大きく出る)最もセキュリティが高い監獄だったらしい。
 元々あった監獄のほんの一部しか残っていないのに、その大きさと、ジメジメとした暗さ、脱出の困難さなど、人間の生きる意欲を無くす建築的工夫の数々に、胸が詰まる。ベトナムに来てからというものの、気持ちの良い風の通る空間ばかりを見てきたので、そのギャップも後押ししてきた。空間はときに人間に暴力を振るう。設計者は常にその事を理解していないといけない。

迫力のある通路
慰め合うものたち
(写真に収まっていないが、片脚が床に固定された錠に繋がれている)
塀の上部。瓶のカケラを有刺鉄線の代わりに。

 一番驚いたのは、瓶のカケラが埋め込まれた柄。経済的合理性と、絶対に逃さないという意思が見事に融合した設計者の工夫。もし自分が監獄を設計を頼まれたら、もし自分の設計した建物が人間を閉じ込めることに使われたら、この必要な残酷さを計画できるだろうか。適切な残酷さを判断できるだろうか。そんなことをクラクラと考えてしまう空間と展示だった。

 14:25発の飛行機で帰る予定を組んでいたので、3時間前に空港に着こうと思うと、ハノイ市内を飛行機の4時間半前くらいにでないといけない。時計を見るともう9:30だった。雨もまだ降り続いていたし、お金も余裕がないしで、無理することをやめてバス停に向かった。

 ここら辺の自分の判断を、今文章を書きながら俯瞰で見ていると、成長を感じると同時に、好奇心の衰えを感じる。危険より安全を、冒険より安心を選択していないだろうか?5年前の自分だったら確実に、もう一件くらい何か見に行っていただろう。
 それで飛行機に乗り遅れたら元も子もないので、適切な判断だと思うし、後悔はしていない。ただ、安全と妥協を取り違えないように旅したい。旅だけじゃなくて、そういう風に生きていたい、と思う。

ノイバイ空港T1より

 なので、この旅行記も自ずと終わりを迎えるわけだ。最初に立てた目標の三つは、どれも満足行く達成度だったと思う。noteも、沢山の粗はあるものの、ほぼリアルタイムで更新することができたし、後から整理すれば良いと、不完全なままでも公開していけたのは良かった。直し続けて一生公開できず、記憶が薄れていってしまうのが一番勿体無い。

 いいねをくれた方、すぐに読んでくれた方、ありがとうございました。自分のためにやっていたものではありますが、続ける一つの理由になりました。そんな言い訳を理由に、駄文で強行し、申し訳ないです。

2023年6月26日21:42
宜蘭に向かうバス内にて

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