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『藤田嗣治 ~白い暗闇』準備稿 その1

『藤田嗣治 ~白い暗闇~

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作:鈴木アツト

2021年5月20日版 準備稿
※戯曲の内容は、公演時には変わる可能性があります。

登場人物
〇藤田嗣治(男):画家。
〇ナタリア(女):娼婦。ポーランド(当時ロシア)からの移民。
〇村中(男):画家。藤田嗣治の後輩。

≪物語の途中からを紹介します。≫

第3場 1917年6月頃。

第2場から三年後。ナタリアの部屋。ナタリアが椅子に座って、誰かを待っている。彼女の髪の色は、ブロンドから赤毛に変わっている。ドアベルが鳴る。ナタリアがドアを開ける。そこには村中が立っている。

村中 こんちは。
ナタリア あら、ムラナカ。
村中 ごめん、俺だけ先に来ちゃって。藤田の兄貴ももう来るから。
ナタリア 入って。
村中 ありがとう。

   ナタリア、村中を部屋の中に案内する。

村中 ナタリア、髪の色、変えた?
ナタリア 元に戻しただけ。
村中 そうか。地毛が赤なのか。似合ってるよ。
ナタリア ありがとう。(椅子に座るように促して)どうぞ。

   村中は部屋の椅子に座る。

ナタリア あなたは元気だった?
村中 元気元気。相変わらず、自分の絵は売れなくて、他人(ひと)のモデルをやって、糊口を凌いでるけど。そうそう、今日の絵描きはロシア人でギャラと一緒にウォッカをもらったんだ。これ、みんなで飲もう!
ナタリア ありがとう。

   ナタリア、村中から、ウォッカの瓶を受け取る。

ナタリア これ、開けちゃっていいの?
村中 もちろん。

   ナタリア、グラスを用意する。

村中 (ため息をついて)はあ。絵描きなのにモデルやって金稼いでるなんてって思うけど、、、背に腹は代えられない。他人(ひと)の画風の研究にもなるし。
ナタリア (モデルのポーズをしながら)ポーズの研究にもなるし。
村中 (ため息をついて)はあ。
ナタリア ねえ、うちに来ていきなり落ち込まないでよ。
村中 ナタリア、俺って才能あると思う?
ナタリア 自分であると思ったから、パリに来たんでしょ?
村中 最初はね。でもこの街にはゴキブリよりたくさん絵描きがいて、毎日、古新聞でその才能が叩き潰されてるんだ。
ナタリア 一回ぐらい叩かれてもゴキブリなら死なないよ。
村中 もう二十回は叩き潰されたよ。見て、こんなに痩せてるのは、叩かれすぎて体がペッチャンコになっちゃったんだ。日本を発つ時、親父から「売り絵は描くな」って言われたけど、売り絵を売りたくたって、見向きもされない。
ナタリア あなたはこっち来てまだ一年でしょ? フジタだって三年前は、今のあなたみたいだった。
村中 嘘だ!
ナタリア ほんとよ。そこの椅子に、濡れネズミみたいにしょぼくれて座ってたんだから。
村中 時々、俺、、、俺は兄貴の影に過ぎないんじゃないかって思っちゃったりするんだよ。いつも兄貴の後ろを歩いてて、太陽の光は全部、兄貴が持っていっちゃう。そして、俺自身は、実体がないんだ。
ナタリア 重症ね。
村中 (ため息をついて)はあ。
ナタリア 藤田の個展はどうだったの? 大成功だったって聞いたけど。
村中 そうだね、兄貴の話をしなきゃ。何しろ、初の個展なのに、ピカソも見に来たんだから。
ナタリア (驚いて)ピカソも?
村中 それも初日に。兄貴の絵をこうやって(立ち上がって腕を組み、頬杖して)、3時間ずっと見てたらしい。
ナタリア へえ。そりゃあ、評判になるわけだ。
村中 水彩でこれだけ評価されたんだから、ついに油彩に踏み出すんだって兄貴は息巻いてるよ。態度もでかくなって、、、
ナタリア 藤田、結婚したんだって?
村中 え?
ナタリア どうなの?
村中 、、、どうしたの? 突然。
ナタリア そうなのね?
村中 誰から聞いた?
ナタリア 別に怒ってるわけじゃない。あいつと婚約をしてたわけでもないし。事実を知りたいだけ。
村中 、、、俺が言ったって言わないでよ。
ナタリア うん。
村中 相手は俺たちみたいに絵描いてる画家なんだけど、気が合っちゃったみたいで。
ナタリア いつ出会ったの?
村中 半年ぐらい前だって。
ナタリア 、、、

   ナタリア、グラスに注いだウォッカを飲み乾す。そして、もう一度、ウォッカを自分のグラスと村中のグラスに注ぐ。

村中 乾杯。
ナタリア 何に?
村中 いや、その、、、健康に?

   ドアベルが鳴る。ナタリア、ドアを開ける。

嗣治 ボンソワール、マドモアゼル!
ナタリア どうしたの? その眼鏡、、、
嗣治 まあ、いいから。

   嗣治、中へ入っていく。ナタリアも続く。

村中 兄貴、先やってるよ。
嗣治 どうだ?
村中 え?
嗣治 眼鏡だよ、眼鏡。
村中 眼鏡?
嗣治 何か足りないと思ってたんだよ。俺の顔に。つまり、知性が。
ナタリア 知性? どう見ても滑稽だけど、、、
嗣治 そこが逆転の発想だな。この髪型。ちょび髭。なのに、眼鏡が普通すぎた。インテリ風の普通の眼鏡だ。
ナタリア 、、、
嗣治 この間、映画を見たんだ。ハロルドロイド。これだって思ったね。その足で眼鏡屋に飛び込んだ。

   藤田、ソファーに飛び込む。そして、鞄から、新旧の眼鏡を取り出して、何度か付け替えてみる。

嗣治 な? 滑稽かける滑稽かける滑稽だ。これこそが本当の知性さ。
ナタリア 何? 画家をやめて、銀幕デビュー?
嗣治 (タップダンスをしてみるが、やめて)それもいいけどな、、、(笑って)ふふふ、自画像を描く。売れる絵のための、絵になる顔を思いついたってことさ。
村中 兄貴、兄貴はただでさえ、宣伝屋って言われてるんだよ? おかっぱ頭に、チャップリンのちょび髭、それだけじゃ飽き足らず、ハロルドロイドの眼鏡? どう見たって道化だよ、それ。芸人だ。
嗣治 芸人で結構。キャピタリズム(資本主義)の世の中じゃ宣伝しなきゃ、ブルジョワは絵を買ってくれない。何より俺たちは東洋人だ。西洋人と同じやり方をしたって見向きもされないよ。
村中  絵じゃなくて顔を宣伝してる。
嗣治 だからお前の絵はつまらないんだ。
村中 (気色ばむ)はい?
ナタリア ムラナカ、かっとならないで。
嗣治 いいか、顔こそ作品だ。どんな絵を描いたかだけじゃない。どんな人間が描いたかが大事なんだ。俺の絵はな、四角い額の中でお行儀よくおさまっちゃいないってことだよ。この顔は、いわば大日本帝国における朝鮮半島さ。内地というキャンバスから飛び出した、もう一つの領土なんだよ。
ナタリア 芸術家が軍人みたいなこと言ってる。
嗣治 俺は軍人の息子さ。
村中 既に縁を切られて、援助も打ち切られたくせに。
嗣治 その逆境に耐えて、今がある。未来がある。どんぐりの背比べから抜け出ようとしている。
ナタリア ずいぶんおしゃべりになったこと。覚えてる? この部屋に初めて来た日のこと。
嗣治 、、、
ナタリア あなたは寡黙だった。私だけが喋ってた。
嗣治 、、、
ナタリア 結婚があなたを饒舌にさせたの?
嗣治 悪かったよ、言おうとは思ってたんだ。でも個展もあって忙しくて。
ナタリア 個展の前から、ここに来る回数は減ってた。
嗣治 、、、
ナタリア あなた、変わった。
嗣治 なら作戦どおりだよ。俺は変わりたかったんだ。さなぎの中の芋虫みたいに自分の体をグジョグジョに溶かしたかった。蝶のように、蛾のように、鱗粉を撒き散らして飛べるように。
ナタリア 、、、 
嗣治 変わるのが嫌なら、絵描きと恋しちゃいけないよ。絵描きは常に、画風を変えるため、自分自身をも変えていくんだ。自分を変えられない絵描きは、一流の絵描きにはなれない。
ナタリア 、、、 
嗣治 君のことを描いた油彩画だ。

   絵を渡す。

ナタリア ありがとう。
嗣治 もうここに来るのはやめようと思ってる。今日が最後だ。
ナタリア 奥様はフランス人?
嗣治 まあね。
ナタリア いいわね。これでフランス社会に同化していけるってわけだ。
嗣治 とにかく、、、今までありがとう。

   嗣治、ナタリアの頬にキスをしようとするが、ナタリアはそれを避ける。

嗣治 その絵、すぐに売るなよ。持っていればきっと値が上がる。
ナタリア 、、、
嗣治 じゃあ。

   嗣治、ナタリアの部屋を出て行く。

村中 ごめんね。兄貴には絵が全てなんだ。女も、いい絵を描くためとその絵を売るための道具だから。
ナタリア 、、、
村中 でも軽薄なようでいて、誰よりも絵を描いてる。遊んでるように見えて、何時間もアトリエにこもってる。信じらんないよ。酒だって一滴も飲まないんだ。

   村中、そう言いながら、ウォッカを飲む。

村中 カアーッ。
ナタリア あなたも変わるの?
村中 え?
ナタリア 絵描きは画風を変えるため、自分自身をも変えていくって。
村中 、、、
ナタリア、、、変わらないで。
村中 、、、

   ナタリアと村中、見つめ合う。暗転。

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