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チャポ湖の住人

全ての事に意味を持たせる必要は、あるだろうか。

この世に生まれたものは、いつか死ぬ。

その日々がどうでもいいという事ではなく、かといって全てが一生懸命である必要も無い。

ただ、生き物や人の奥にある僅かな熱を感じ取れた刹那に、意味を見出そうとしてしまうのかもしれない。

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チリ南部にあるロスラゴス州・プエルトモント(Puerto Montt)から車で東へ1時間ほど向かうと、国立公園に囲まれた山深いエリアに、チャポ湖(Lago Chapo)という小さな淡水湖がある。

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チリはその南北に細長い地形により東西は極めて短く、チャポ湖から東へ20㎞も進めば隣国のアルゼンチンになるが、そこには世界最長のアンデス山脈が立ちはだかる。

それでも南部プエルトモント周辺の山脈は1500m前後と低い方で、首都サンティアゴ(Santiago)から見える5000m級の山脈は、空を半分以上覆い隠す異様な景色で、これにはある種の恐怖すら覚えた。

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プエルトモントの昼過ぎ、予め打ち合わせた時刻通りに珍しく迎えに来てくれたセサー(Ceaser)が、ピックアップトラックで市内からチャポ湖へと運んでくれた。

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郊外を抜けほどなくすると、車窓から見える山の形状に思わず驚く。
幼少の頃は毎日富士山が見える場所で育ったこともあって、細部まで瓜二つの山がなぜかここにある。
その事をセサーに言うと、彼は軽く笑いながら、あれはオソルノ山(活火山)という名前で、チリのフジヤマなんだと教えてくれた。

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ついさっきまで舗装されていた道路が、道幅に合わせ砂利道に変わっていく。
想像していた以上に山奥に入っていくと、セサーは誰かに電話をしながら目的地の場所を確認し、数キロ手前で見かけた小さな小屋の前までUターンして、その前に停まった。

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「どうやらここみたいだな。小屋の鍵は貰ってある。」

そう言ってキツそうなジーンズのポケットから鍵を出して僕に渡すと、彼は荷台にある荷物を降ろし始めた。

恐る恐る、という言葉が似合うほどゆっくりと小屋に近づき、貰った鍵をドアに差し込むと、塗装が所々剥げた木のドアがゆっくりと開いた。

「ここで間違いないな。今日は7月27日だから…8月10日に迎えにくるよ。」

今日から約2週間、僕はここである仕事の体験をする為にやってきた。

チリはデンマークやノルウェー等と比較すると後進国にはなるのだけど、サーモンの養殖が盛んであり、気候と土壌が養殖にとても適している。
彼らは幼魚の頃は淡水域で生活し、大型になるにつれ汽水から海洋へと移動をしていく。

その起点となる稚魚の淡水飼育現場を体験、視察してくるというのが、与えられた内容だった。

「しかし、こんな所に2週間も大丈夫か?長い事この仕事をやってるが、日本人がこんな真冬に小屋で寝泊まりするなんて初めてみたよ…」

元々この体験自体は僕自身がリクエストした事もあって、こちらは寧ろ楽しみにしているのだけど、セサーは少し珍しいモノでも見るような表情をして、何かあったらいつでも連絡をくれと言い、山を下りて行った。

小屋には普段誰も生活はしていないのだけど、臨時で使う場所として今回特別に用意してくれた。
部屋に入ると、辺りには無駄なモノは何も置いていないが、電灯やベッドも用意されていて、シャワーもちゃんとお湯が出た。

時刻はまだ17時を回る頃、風呂上がりにベッドに横たわって本を読んでいたら、いつの間にか深い眠りについていた。

翌朝3時半。
アラームが鳴り目を開けると、今自分がいる場所がさっぱり理解出来ず、慌てて飛び起きた。
部屋の周囲を見渡し、昨日からこの小屋に泊まっている事を理解するまでに時間を要したが、我に返るとベッドの下に放り投げていたブーツを履いて、身支度をした。

昨晩は夕方から何も食べずに寝てしまったので、持参したインスタントコーヒーと昨日買ったサンドイッチを食べていると、遠くから砂利道を走るクルマの音が聞こえた。

トラックが小屋の前に停まりドアを開けると、僕と背格好や年齢が同じくらいのマウリシオ(Mauricio)が、Buenos días(おはよう)と、照れくさそうに挨拶をした。

彼は市内から来ているのではなく、このチャポ湖の集落に住む青年だ。

彼は養殖場の飼育員兼獣医師として雇われ、10年近いキャリアを持つ。

「ここから、20分ちょっと。あっちの湖の辺り。」

おぼつかない英語で説明してくれるマウリシオは最初、ちょっと恥ずかしそうにしていたが、僕は1つ1つ頷き普通に話していると、彼も少しずつ話してくれるようになった。

まだ朝陽が昇っていない道路や湖の周辺は真っ暗だったが、目的地は小さなオレンジ色の電灯が点いていた。

「魚をチェックする」

そう言って彼と共に湖上に出来た木道を歩くと、真冬の湖面の空気はとても鋭く、そして澄んでいた。
マウリシオは、エリアに設置された特殊なカメラを覗き込んだ。

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「いま、魚動いてない。えさは、あとにする。」

彼の説明によると、ここ数日は雨が降らないせいで低酸素の状態が続いている為、魚達は水中深くに潜ってしまっている様だった。
そうなるとエサをほとんど食べないので、日照によって水中の酸素濃度が上がる日の出まで待つしかなかった。

僕はプエルトモントで買っておいたミニブックのタイドグラフ(潮汐表)に記載されている日の出時刻を確認すると、あと2時間ほどで日が昇る事になっていた。

2時間もこの場で待つのかと心配になったが、マウリシオは先程の電灯があった場所まで戻ると、近くにあった小屋へ案内してくれた。

「太陽が昇るまで、ここで待つ」

小屋の中はオイルヒーターが完備されていて、とても暖かかった。

当時はスマートフォンも無い時代だったので、小屋では本当に何もする事がなかった。

毎日この仕事をやっているのかと尋ねると、マウリシオ家では代々林業を営んでいたそうだが、やがて養殖業が大きな産業になると、集落の多くの人々の仕事も変わっていったそうだ。
彼は大学で生物学を専攻し、獣医師として勤めていた。

まだ若いマウリシオを見て、明るい街へ出ないのかと尋ねると、彼はこの村と仕事が気に入っていて、出る気はないという事だった。

骨組みがどこかにいってしまった様なくたくたのソファに座り、スペイン語でほとんど何を言っているのかわからないテレビを見ながら、僕達は日が昇るのを待った。

そこからほぼ毎日、数時間ごとに魚のコンディションをチェックし、エサや網の掃除をした。
思っていた以上にやる事が多くハードだったが、正確に淡々と続けるマウリシオが、頼もしく感じた。

自然を相手にする以上、待つ時間もたくさんあった。
話すこと以外何もない空間で、彼とは色んな話をした。

あるオフの日、マウリシオから釣りの誘いを受けた。
チャポ湖から少し東に向かうと大河があり、中流付近まで海水が混じる珍しい汽水の川だった。

河に向かうと、いとも簡単にペヘレイが釣れた。
エサを投げ込めばすぐに釣れるのだけど、どうにもキリが無さそうなので2~3匹だけ持ち帰ろうとすると、マウリシオは少し驚いたように言った。

「アツシ、それだけでいいのか?」

僕はこれ以上食べられないし、これ以上釣っても無駄になるという事を伝えると、マウリシオは少し考えた様子で、ちょっと見せたいものがあると言った。

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クルマでさらに山奥へと移動し、また新しい釣りのスポットに案内してくれるのかと思ったのだが、そこは川幅がひょいと跨げるくらいの、とても狭い支流の1つだった。

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小川に着いた途端、獣の様な匂いが辺り一面に淀んでいた。

「これは天然の鮭。ここは住人以外ほとんど知らない。彼らはたった今、役目を終えた。ただ、その姿を見て欲しかった。」

僕は感覚的にだけど、マウリシオの中にいる暖かい何かを感じた。

彼は、生き物に対する敬意や尊厳を大切にしているのだろうと思った。
それは毎日の仕事からも感じていたし、小さいが美しい村に留まる理由も、少しだけわかる気がした。

その頃、僕はちょうどNHKで見た永平寺貫首・宮崎奕保さんの言葉が素敵だなぁと思っていたので、その言葉がすぐ脳裏に浮かんだ。

『誰に褒められたくも思わんし、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえるということもない。
時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして、褒められても、褒められんでも、すべきことをして黙って去っていく。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。』

山深いチャポ湖の住人にも、そんな考え方を持つ男がいた。

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