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石島の娘

いつまでも続いて欲しいと願っても、変わっていくことは決められない。

そんな時、人は大きなうねりの中で生かされていると気づく。

変化することは決められなくても、自分自身が変わらないことを続けていくことが、仕事なのかもしれない。

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中華人民共和国・威海市(ウェイハイ)は、山東省の東端に位置する漁師町である。
ビールで有名な青島市もこの近くで、威海は大昔にイギリスが租借地としており、青島市には多くのドイツ人がいた。
その頃に残された文化により、青島ビールは広大な中国でも一番のシェアを誇る。

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街の南端には石島港という大きな港があり、古くから交易と水産業で栄えた。
初めて中国に訪れた街がこの威海(石島)で、凡そ20年前になる。

小李と出会ったのもこの時で、落ち着いた語り口で日本語を使う彼を、不思議な感覚で眺めていたのを覚えている。

街中には、積載量などお構いなしで海藻を山積みにして走るトラックや、ハンドルがもげてしまうのではないかと思うくらい、ビニールいっぱいに魚を詰めたバイクで走るおばちゃんを目にした。
バスには大荷物を持った人が乗りこみ、少し開けた窓からは木炭と干し草の香りが漂う。
灰色に見える街の中心部は、明るいネオンで照らされていた。

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港町はどの国に行っても、潮の香りがそうさせるのではないかと思わせるような人々がいて、騒がしくて賑やかで少し雑な空気が、ここにも流れていた。

港から車で北へ向かうと、工場があった。
新しい建物では無いが、こじんまりとしていて、手入れがよくされていた。

盧(Lu/ロー)さんはここの経営者で、中国では一般的に総経理と呼ぶ。
50半ばのがっちりした中年で、いつも声が大きく、魚のことをよく知っていた。
当時、彼に依頼していた仕事の量は多く、小さな工場はいつもフル稼働していた。

中国での夕餉の話を幾度か書いているが、ゲストが来れば、必ずと言っていいほど酒宴になる。
嗜む程度でも酒豪でも漏れなく来訪者はひたすら飲まされ、満腹になり、泥酔した状態にさせるのがホスト側のもてなしであり、それがめでたいとされた。

当時は、小李や若いスタッフに何度肩を担がれたかを思い起こすだけでも、また酔ってしまいそうだ。
酔っ払ったせいで今でも残念だと思うのは、中国でいう五つ星ホテルを彼らがよく手配してくれていたのだけど、僕はそのフカフカのベッドに寝た記憶というのが一度もない。
せっかく彼らが部屋の前まで送ってくれても、そこまで辿り着かない。
最も惜しい時で、ベッドとサイドテーブルの隙間に挟まって寝ていた。
当時はそんなホテルですら破格の安値で泊まれたのだけど、今ではとんでもない価格になっている。
あの五つ星で一度でいいからベッドで熟睡してみたかったというのが、石島での笑いネタだった。

酒宴では一方的に飲まされることになるので、回避できる方法をいくつか編み出したりもした。
先ず、余計なことを話すと確実に乾杯が始まるので、常に黙っているのはもちろんのこと、白酒(パイチュウ)を飲んだ直後、テーブルにある手拭きで口を拭ったフリをして、そこへ出して誤魔化し続けたこともあった。
ただでさえ酒が強くない僕は、情けないほど白酒から逃げていたのだけど、ある時を境に、それが無くなった。

盧さんも最初は漏れなく慣習通りにしていたが、幾度も出会ううち、こちらが酒に強くなく、そんな飲み方が好きではないことを正直に言うと、ある日それがピタリと止んだ。

盧さんは若い頃に酒を浴びるほど飲んでいたが、そのせいで身体を壊し、実はかなり無理をしていた。
お互いにそれがわかると、この慣習というのは誰も得をしない状態になり、
いつしか平穏な夕餉に変わっていった。

ただ、彼がパワフルなのには理由があって、驚くのは食欲である。
50代にしてはあり得ない程毎食よく食べ、そしてよく話す。
隣でメガホンを持って話しているのかと思うくらい声が大きく、面白いことがあれば豪快に笑った。
失礼な言い方だけど、細かい悩みなど全く無さそうなくらい、毎日を生きている様に感じた。

ある日。
事務所で昼食をとっていると、そこへ女の子が入ってきた。
女性と呼ぶべきか悩む年格好だったが、今年で19になるという、彼の娘だった。

盧さんに頼まれたお茶を淹れに来てくれたので、僕はかなりひどい中国語でお礼を言うと、彼女はびっくりするくらい顔が赤くなった。

彼女の名を忘れてしまったが、当時日本語を少し習っていて、とても簡単なカタコトの言葉は交わすことができた。
暫く娘が盧さんと話していると、彼女が少し怒っている様に感じたので小李に尋ねると、娘が父に、お酒を全て控えるように言っていますと通訳した。
思えば昨晩も盧さんは少量ビールを嗜んだが、娘はそれすら許している様子ではなかった。

翌日も、工場はフル稼働する。
工場が持つ能力は、そこのトップの知識と理解力にかかっている。
盧さんは、僕達がしたいことをいつも先回りして待っているような、そんな頼もしさがあった。

季節は本格的な冬に差し掛かろうという時、小李から少し重たい声で連絡があった。

「盧さんのところで、もう仕事はできないかもしれません」

中国では国の政策により、いくつかの湾岸区域をリゾート開発化する計画が進んでいるのは知っていたが、盧さんの工場もそのエリアにかかってしまっているということだった。
数年の間に工場は立ち退きをしなくてはならないという話だったが、移動するだけの資金はおそらく潤沢には持っていないだろうというのが、彼の見立てだった。

小李の仕事は、工場と僕らを繋ぐただの道先案内人ではない。
良いニュースも悪いニュースも素早く拾い上げ、起き得るリスクを遅滞なく正確に伝えてくれる。
彼は、新しい先を見つけた方がいいと言う判断だった。

それから半年くらいの間で、工場の仕事は徐々に減っていった。
従業員も工場立ち退きの噂を聞き、少しずついなくなっていく。

それでも豪快に笑う盧さんを見ていると、つらい気持ちになった。

数年後。
僕達は石島から少し離れた、新しい工場で仕事を継続していた。
盧さんの小さな工場があった場所は、綺麗なリゾートホテルや砂浜になった。
昔、ここ一帯には多くの工場や漁船があったと話しても、きっと誰も信じないほど、辺りは変化した。

小李とは、盧さんのことを思い出す度に話題にしたが、その後の行方がわからないと言った。

ある日、日本にいると見慣れない番号から着信があり、電話に出ると、暫く間があった後、小さな声で話す女性の声がした。

「チチは、少しビョーキですがゲンキです。また..チチと会ってください。ありがとうございました」

それだけ言って、通話が切れた。
確証は持てなかったが、僕はそれが石島にいた盧さんの娘だと思った。

彼は元気で生きている。

それだけで、心が少し軽くなった。


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