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テイクアウト

何年ぶりなのかわからないけど、疫病に対し世界的に規制が緩和されてきた。

考えるだけでもうんざりするけど、次なる脅威があるのかもしれないし、そうでないかもしれない。

もう何度目の”そうでないかもしれない”なのかは覚えていないが、少しずつ、人々が自由に旅が出来ることを祈りたい。

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ベトナム・ハノイ(Hanoi)は、人口900万人近いベトナムの首都で、1600㎞以上ある細長い国土の、北部に位置する。

ハノイ東部にはハイフォン港。すぐ北は中国との国境になる

ハノイから東へ100㎞ほどには、古くから交易の場として盛んなハイフォン(港)があり、小さな街だけど港町として活気がある。

ハイフォン港。コンテナヤードの景色は世界中どこへ行っても似ている

さらに東へ進むと、不思議な形に入り組んだハロン湾が観光地として有名だが、行ったことは無い。

共産圏の特徴なのかはわからないけど、首都は華やかさよりは静寂で荘厳なイメージがあり、雰囲気は北京のそれと似ているように感じる。
カラフルなビー玉をひっくり返した様に鮮やかなホーチミンや、煌々とライトアップされ、夜も眠らない香港や上海と比べると、少しばかり”地味”であると喩えてもいいかもしれない。

首都に住む人々は誇り高く、ハノイの人々は他県のことをあまり良くは言わない。
ホーチミンに限っては、人口や規模で対抗意識を持っていることはありありと伝わりつつも、やはり我々こそが中央なのだという意識を其処此処に感じる。

いがみ合う仲では悲しいが、国が発展する途上で意識し合う姿は、ベトナムだけに限らず、隣で聞いているだけで力を貰えるような、不思議な気持ちになる。

ベトナムでは長年ホーチミンで仕事をしていたのだけど、工場が順調に拡大しくにつれいよいよ手狭となり、新たな工場建設が進んでいたのがハノイで、建設段階から何度か足を運んだ。

壁が全てレンガ積み
ベトナムの建築現場に、竹はなくてはならない素材

日本から6時間弱。
ベトナム訛りの英語が機内アナウンスで流れ、着陸に向け高度を下げるのを鼓膜で感じると、窓からは灰色と田畑の緑が混じる穏やかな景色が見えた。

ハノイ・ノイバイ国際空港に到着すると、笑顔でタン(Thanh)が迎えてくれた。
ホーチミンでタクシーの運転手をしているタンではなく、日本でもあるようなメジャーな苗字と同じく、タンさんはベトナムのあちこちにいる。

20代前半の彼は、ホーチミンのタンや僕よりずっと若く、身体や瞳からいつも何かが湧き出ているのではと思うくらい、若い。

彼とはホーチミンの工場からの付き合いだが、今回ハノイ新設の為に異動してきた。
タンの生まれ故郷はハノイだったので、タクシーに乗ってすぐその話題を出すと、彼は少し嬉しそうに微笑んだ。

工場ではヘッドオフィスに勤務し、生産を統括するリーダーで、タンの明るい性格は工場でも人気があった。
ベトナム訛りではあるが流暢な英語を使い、仕事中様々な質問をぶつけてくる。
おそらく学生時代も優秀だったのだろう。

それでも、工場に多くいる熟練QC達には毎日厳しく鍛えられ、タンは日々研鑽を積んでいった。

ある時、工場のトップがホーチミンでの仕事に忙殺されどうにも手が離せず、ハノイ滞在中はタンが僕のアテンドをしてくれた時期があった。
ベトナムでは通常あまり無いケースなのだけど、朝から晩までマシンガンの様に話しが止まらない社長より、物静かなタンの方が気が楽だった。

朝はハノイ市内から工場まで、夕方の仕事終わりには、彼と一緒に車で移動する。
そんな時期が数週間続き、週に2~3日程度はタンを誘い、夕食を共にした。

タンは未婚だったので誘いやすかったこともあるが、昼夜に渡り気を遣わせるのも悪いと話すと、楽しいからそんなことは思っていないと世辞を言ってくれた。

彼の家は市内にあって、両親と年下の兄弟3人と暮らしている。
以前、家の近くを一緒に歩いている時に紹介をされたことがあったので、僕は彼の家族のことを知っていた。
両親はいくつかの仕事を掛け持っていて、とても働き者のイメージがあった。

タンがいない一人の夜は、ダウンタウンでベトナムの鍋や定番の料理を食べるのだけど、一緒の時はベトナム料理以外の店へ行った。

彼もいつもとは違う料理に喜んでくれていたと思うし、とにかくよく食べた。

ある夜、タンは少し気まずそうな顔で今夜は満腹だと話し、料理を食べ残した。
いつも丸吞みするように食べる男が珍しこともあるなと笑いながら、タンは店員に頼み、残った料理を容器に入れ、テイクアウトをした。

それ自体、なんということのない光景なのだけど、おかしいなと思うようになったのは、2週間くらいが経過した頃だろうか。

彼は夕食の度に、料理の一部をテイクアウトをするようになった。
こちらはそのことに干渉するつもりも無かったので、ただその様子を隣で見ていた。

ある日の早朝。
ホテルから工場へ向かう途中、タンが別の場所へ少し寄っても構わないかというので頷くと、中心部から少し離れたエリアに古い家があった。

決して綺麗な家とは言えないが、軒先には商店を営んでいるコーラの看板やテーブルの痕跡があったが、かなり埃を被っていたので、暫く店はやっていないのだろうと思った。

店先で待っているとタンはすぐ終わると言い、中へ入っていった。

1階の奥の間は解放されていて、店先から中の様子が見えた。
タンは、その部屋に横たわっている老婆に話しかけると、老婆はムクリと起き上がり、寝起きで眩しそうにこちらを見て拝むような仕草をした。

僕は急に何をされているのかわからず狼狽えながら、会釈をした。

暫くしてタンが店先まで出てくると、その老婆がタンの祖母であることを教えてくれた。
ここ最近体調が悪く、買い物も行けない祖母の世話を、タンは独りでしていた。

市内に住む家族は手伝わないのかと尋ねるよりも先に、彼女は一家からある事情により離縁したのだと説明してくれた。

タンは働いた給料を親の家へ入れているし、離縁した祖母の元へ行っていることがバレると、色々具合が悪いことになると言った。

帰り際に老婆にもう一度挨拶をして、工場へと向かう。
車内では話しかけなかったが、タンはいつもの笑顔に戻り、英語は何処で習ったのかと訊いてきた。

米国と日本で習ったと話すと、タンの目はみるみる輝き、いつかアメリカへ行きたいと言った。

工場へ到着すると、入口にいる守衛が毎日、面倒くさそうに門扉を開ける。
奥に入ると、ヘッドオフィスの何人かがタンにちょっかいを出した。

彼は何事もなかったかのように全身にみなぎる様ないつもの笑顔で、デスクに座った。

次に夕食を誘う時は、彼女が好きな食べ物をテイクアウトしよう。


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