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タンという運転手。


また出張か…

コロナ禍の今では信じがたい感覚になってしまったけど、たった数年前迄は出張が少し面倒に感じていた。

パスポートを何度増補したかもう忘れたけど、多い時は印鑑を押せないくらいになった。
出入国のスタンプもお国柄が顕著に出ていて、

未使用の真っ新なページに押す国、フィーリングだけで適当に押してくる国、後ろから順番に押してくる国、きっちり順番に確実に押す国など、今となってはそれを見返しているだけでも楽しい。

そして今回も、何度目の訪問なのか覚えていないホーチミンへ降りた。

南部最大の都市・ホーチミンの玄関口であるタンソンニャット空港と、北部の首都ハノイにあるノイバイ空港の空気は全く違っていて、後者はいつも静かで閑散とした感じだけど、タンソンニャットはいつも人で溢れかえっている。

名残惜しそうにいつまでもハグする人達
久しぶりの再開を祝う人達
何も言わず、目で会話している様に手を振る人達

空港は、どの国でも数え切れない程の感情が1日に交差する巨大なターミナルだ。

タンソンニャットに着くと、降りた瞬間からモワッとした空気が全身を包む。
日本よりずっと効率の悪い入国審査を終え、いつも通り人だかりの中からちょっと背の高い迎えのおじさんを探す。
彼の名は、タンと言った。

歳は60前後だろうか。
いつも無理矢理な愛想笑い作って出迎えてくれるのが恒例だった。

タンは僕がタバコを吸うのを知っているので、車に乗る前に必ず時間を作ってくれた。
彼も吸うのだけど、僕が差し出す日本のタバコを受け取った事は過去に一度も無かった。

移動の間は殆ど会話をしない。
空港からホテルまでは然程距離は無いのだけど、交通インフラが全く機能していないこの街では、数キロの移動に1時間以上掛かる事もザラだった。

出会った頃は大した長旅でも無いのに疲れたとか、ホーチミンはトーキョーよりも暑いとか、そんなお決まりの会話をした記憶はあるけど、何時しかそんな会話もしなくなり、ただお互いニコリと笑って移動した。

その日、後部座席から混み合うバイクの群れを見ながら、珍しく僕は彼に質問をした。
英語は殆ど出来ないが単語と単語をうまく拾えれば理解出来るし、例え全て通じなくてもそれでよかった。

僕はふと彼の家族の事が気になって、訊いていみた。

彼は副業として送迎をしていて、本業はフォーの店を営んでいる事。
子供は全部で6人いる事。
長女が来年海外から帰国する事。

そんな事を聞いた。

ホテルに到着すると、彼は嬉しそうにフォー屋さんの名刺をくれた。
次に彼と会う予定は、帰国日の夜である。

______


忙しい平日を終え、日曜の朝。
いつもより遅い時間に起き、コーヒーだけ飲んでホテルの周りを散歩する。
街は朝の喧騒時を過ぎていて、どこか少し間延びしていた。

歩いている時にふと右ポケットに例の名刺が入っている事に気づき、散歩を終えてホテルに戻ると、フロントで名刺に記載された場所を訊く。

ホテルから徒歩15分という所だろうか。
モンスーン気候の市内を15分歩くというのはなかなかどうしてシンドイのだけれど、どうせ1日やることも無いし、徒歩で向かう事にした。

街へ出るといつも感心するのは、1軒の隙間すら無いくらい、何らかの商店が道路に面して埋め尽くされている事だ。

とにかく何でもいいから店はやるんだぜ

という気概だけは毎回伝わってきて、さきほど見た店と見間違うくらい全く同じお土産を売る店が何軒も続いたりした。
日本人の僕としては、

果たしてこの店は儲かっているのだろうか

という事を考えながら目的地まで歩いたが、同時に僕が子供の頃に行った原宿や東京タワーでも謎のお土産は大量に売っていたし、それと同じだよなぁと思った。
そしてこれはアジア特有なのかも知れないけど、

とにかく色んな物をゴールドにしちまおう

という流行りは今も健在で、ベトナムのトレードマークである菅笠を被った女性の人形や、牛や豚の置き物、灰皿からライターまで全てゴールドになっている店もあった。

何処にいったかな…僕の机に置いてあったゴールドの東京タワー。
そういえばゴールドのテレカもあったよね。

目的地の数ブロック手前からフロントの人が教えてくれた記憶が曖昧になりはじめ、暫く周辺を彷徨ったが、ようやくタンの営むフォー屋に到着した。

彼は店の軒先にいた。
席を詰めれば30~40人くらいは座れそうな大きさで、僕が思っていたよりも大きかったが、お世辞にも綺麗な建物では無かった。
声を掛けると、普段は物静かな彼が見た事の無いリアクションでびっくりし、ベトナム語で何かを言いつつ笑顔で迎えてくれた。

案内してくれた席が特等席になるのかは定かでは無いけど、店の壁に張り付いた扇風機の真下に僕を座らせた。

メニューは至ってシンプルで、フォー・ガー(鳥麵)とフォー・ボー(牛肉麵)しか扱っていない。

僕はフォー・ガーと200mlしかない瓶のペプシを2本頼むと、あとは従業員に任せ、タンは僕の前に座った。

「今まで海外のお客をたくさん乗せてきたが、この店に来てくれたのは貴方が初めてだ」

という事を説明してくれるのに5分は掛かったけど、嬉しそうに話すタンを見るのがなんだか嬉しかった。

確か彼は6人の子供がいると話していたので、彼らは今どうしているのかを訊いた。
すると彼はまた嬉しそうに1人1人の名前を言い、話してくれた。

長女は海外と言っていたが、カナダへ留学しているらしい。
その下もオーストラリアで大学生、残りは国内の高校生に中学生といった感じで、子供達はそれなりに大人になっていた。

タンの奥さんはさっきから大声で店の中をとても忙しそうに動いていて、タンの紹介にちょっと迷惑そうな感じで素早く僕に会釈をしてくれた。

僕は何気なく店を見渡しながら、さっきのお土産屋を思い出した。

果たしてこの店は儲かっているのだろうか

という事である。
店は観光客相手の立地では無いからほぼ地元民向けになっていて、1杯150円。コーラは50円くらいだった。
仮に1日100人お客が来て1.5万円。
副業である空港客の送迎など、不定期過ぎて足しにもなっていないだろう。
どうやってこれで子供6人を留学や学校に送り出せるのか、全く計算が合わなかった。

僕はやんわりとそんな話をタンにすると、タンは笑って答えた。

「今は長女や長男が海外で働きながらお金を送ってくれているから賄えているんだ。長女は次男を、次男は三男を、三男は四女を思う。俺はこの店を守る事が仕事だから、学費の殆どは兄弟でやってるんだ。」

僕は少し意地悪な顔をして質問をする。

「それじゃ、長女が一番大変だった?」

タンはウーと唸りながら両手を挙げ眼を細くし、どれだけ苦労をしたかという顔をして、笑った。

続けて彼が言った。

「子供達には幸せになって欲しい。その為なら何でもするし、俺はそれまでこの店を続けるつもりだよ。」

暫く会話をした後、別れ際にタンが僕に訊いてきた。

「ところで、貴方はなぜこの店に来てくれたんだい?」

僕も何故なのかは返答に困ったけど

「タンがいつも、僕が薦める日本のタバコを受け取らないからだよ」

と言ったら殊の外大笑いしてくれたので、滑らずに済んだ。

ホテルまでは来た道と同じ道を帰った。
ストリートに隙間無く埋まる商店群が、また少し違った色に見えた。

タンとはその後仕事の関係で暫く会っていないが、コロナが明けてホーチミンを訪れた時、真っ先に彼の店に行こうと思っている。


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