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春節と線香

路上の段差に身体が揺さぶられ、目が開いた。
咄嗟に、今が日中なのか夕方なのか、自分がどこにいるのかもわからないくらい、深い眠りについていた。

陽の眩しさに慣れないまま車窓を眺めると、どこまでも平坦な畑が連続する風景が、線の様になって流れている。

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中国での生産は、ピークを迎えていた。
世界中からありとあらゆる物資がこの国に集められ、加工され、組み立てられては、次々と輸出されていく。

そんな大きな世界の中の小さな1つに、僕達の仕事が混ざり込んでいた。
長い旧正月(春節)を終えたばかりの街は、空港から商店、路上の至る所で、眠そうな空気が淀んでいた。

工場などで働くワーカーは地元の人間以外に、気が遠くなる様な遠い故郷から出稼ぎに来ている人もたくさんいて、春節前には鉄道や空路は帰省ラッシュにより激しく混雑し、彼らは各地へ一斉に帰郷する。

春節が明けると、多くの工場は一年を通じて最もピリピリしている時期になる。
帰郷したワーカー達が、再び同じ工場に戻ってきてくれる訳では無いからだ。

春節の期間、次々と職を斡旋するブローカー達から魅力のある職場を提案され、交渉が成立すると、彼らは新しい場所へと働きに出る。

一方で、長年同じ場所で働く熟練のワーカーは、企業からすればなくてはならない人材であり、会社は春節後の手厚い待遇をオファーし、同じ職場に戻ってきてもらうことを約束する。

国中がいつも人手不足で、多くの仕事があった。

ブローカーの中には高待遇を謳い、それを信じた人々が彼らに前渡金まで渡したものの、後日それがインチキだったという話も聞き、どの国にもそんなヤツはいるのだなぁと感じた。

瀋陽から大連へ向かう車中、起き抜けにそんな話をしながら外の景色を眺めていると、派手に装飾された寺院らしき場所を通り過ぎた。

アジア圏の多くは、新年を派手に祝う習慣があるのだけど、中国はとりわけ派手である。
花火や爆竹をふんだんに使う光景はニュースでもよく見るが、家屋や路上までが、真紅や黄金色を使った装飾や提灯などで埋め尽くされた。

お寺はそんなイベントの中心地となるのか、寺の長い入口の通路には、大量の爆竹や花火を打ち終えた紙くずが散乱していた。

僕は同行している総経理の盧さんに、春節の間はこうしたお寺に参拝をするのかと尋ねると、彼は運転手に何かを告げ、さきほど通過した寺までUターンをした。

折角だから、どんな風に祝うのかを見せてくれるということで戻ってくれたので、今から花火や爆竹を使うのかと訊くと、彼は少し笑いながら、それはやらないといった。

お寺の景観はベトナムやタイ、日本にあるそれと極端な違いは感じられず、入口にはどっしりとした門があって、くぐり抜けた広場には大きな焼香場と、奥には本堂らしき立派な建物があった。

アジアにある寺院に共通しているのは、境内はさほど綺麗に清掃はされていないということ、線香の燃え殻や、おみくじの様なゴミが散乱しているというのがお決まりで、日本の様に塵ひとつ落ちていない光景の方が珍しく感じた。
ただ、彼らにとってのお寺は公共物に近く、誰がどんな時でも自由に出入りでき、好きなように参拝しては帰っていくという馴染みやすさがあった。

今、書きながら盧さんの生まれ故郷が何処だったのかを思い出せないでいるのだけど、当時、盧さんの故郷ではここまで派手にはやらないのだということを僕に説明してくれた。
その仕草や目からは、もっと春節の参拝は静かに、厳かに行うものなのだという意思が伝わってきて、派手で、色んな紙くずが落ちているお寺を、彼はあまり好きではないのだろうと感じた。

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日本の寺にある常香炉とは少し雰囲気の異なる焼香場の前まで歩くと、奥から中年の坊さんが出てきた。
彼は笑顔で何かを言いながら、盧さんが地元の人なのか、そうでないかを尋ねていた。

ここの住職らしき彼の服装は、寺の派手やかな装飾とは違い、色味の落ち着いた袈裟を羽織り、寺の説明を始めた。

話を聞きながら、盧さんが徐に脇のテーブルに置いてある一番小さな線香に手をかけたとき、住職が何かを言うと、盧さんは少し怪訝な顔をした。
いつも一緒に同行してくれている小李の通訳によれば、あなたほどの地位の人が、そんな小さな線香では縁起が悪いというようなことを言ったらしい。

日本でも同じような場面はあるが、中国もやたらと縁起を担ぐ習慣がある。
寺の住職は相手が総経理と見るやいなや、発破をかけるように告げているようにも見え、この国における商魂のたくましさの様なモノを感じた。

仕方なく、盧さんはその小さな線香の隣にあった、長さ30㎝はある大きな線香を取ろうとすると、件の住職は首を振り、今、あなた達にふさわしい線香を、小僧に持ってこさせると言った。

暫くして、寺の若い僧が持ってきたのは、1m弱はある巨大な赤と金色で装飾され、3本がひとまとめになった太い線香をこちらに差し出した。

盧さんは僕達が見ている手前、それを断ることはせず黙って受け取ると、これは幾らになるのかと小僧に尋ね、少し驚いた顔をした。

僕は小李に小声でアレは高いのかと訊くと、ナカナカです。
とだけ答えた。

盧さんはそれを受け取り火を点けようとすると、住職は盧さんにまた何かを言った。

それは、そこにいる大切なあなたのお客さん用で、あなたの線香は今、持ってきていると言った。

こうなると、盧さんもあとには引けない。
中国では度々目にする「メンツ文化」というやつが、盧さんの背中にビッシリと張り付いているように見えた。

数分も経たないうち、寺の入口に原付バイクで入ってきた業者らしき人間が、背中に大砲の様な線香を背負ってきた。

こんな時、笑ってはいけないのかもしれないが、その大きさと派手さに吹き出してしまった。

盧さんの表情は形容しがたかったが、彼が平静を装えば装うほど、こちらもつらい。
黄金に輝く巨大線香を渡され、住職は満足げな顔を浮かべた。

盧さんの背丈よりある線香は、先端にしっかり火が着くまでに、数分を擁した。

周りに供えられている線香とはケタ外れに違う大きさの線香を、盧さんはドスンと真ん中に挿した。

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違和感しかない巨大線香

春節の話題をきっかけに、盧さんには随分と余計なことをさせてしまった様な気がしたが、それを彼に伝えることも憚られ、寺から戻った車中で、僕は静かにしていた。

その後、彼は大連までの道中、ほとんど話をしなかった。


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