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雨と人と国と

どの国にも、雨が降る。

垂直やナナメに降るのも大体同じだし、どこか雨音も似ている。

けれど、そこにいる人々は、同じではない。

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ホーチミンにあるホテルの少し高い位置から見下ろすと、呆れるほど上手に雨樋をベランダに引き回し、そこに置いてある鉢に行き渡るようになっている。
スコールがまるで生活の一部になっていて、数分前まで普段着で走っていた何十台ものバイクが、いつの間にか全員合羽を羽織っている。

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合羽を忘れたのか、それとも最初から気にしていないのか、たまにずぶ濡れで無表情のドライバーとすれ違った。
大通りにある水溜りを一向に吸い取る気の無い側溝は、そこに住む人々の感情まで漂っている様だった。

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サンチアゴでは、傘をさしている人とほとんど出会わない。
平気で濡れていることが不思議で一度だけ尋ねたことがあるが、雨で濡れないことを逆に不思議がられた。
歩きながらタバコを1本くれと言った仲間が、濡れた雨のせいで最初のひとくちでフィルターから折れ、2人で大笑いした。

突然振り出した豪雨で、瀋陽にある店の軒先には人が大集結した。
店の入口を完全に塞がれている店主は文句も言わず、集まった人達と世間話をしている。
ギューギューに押し詰められた軒下に僕も入ろうとすると、みんながズレて僅かなスペースを開けてくれた。
遠くから乳飲み子を抱いた母親が走ってくると、さきほどから無愛想に見えた隣の中年男性が、少し笑い何かを呟いて隣の店に走り出したが、気持ちいいほどずぶ濡れになった。

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オーレスンは何日か滞在すると、雨とそうでない日の境目がわからなくなった。
降ったり止んだりを終日繰り返すからいつの間にかどうでもよくなるのだけど、屋内に入った時、静かに燃える暖炉がいつも身体を暖めた。

休日、散歩の途中に降り出したハノイでは、コーヒーショップでフエから来たという女性と話をした。
身体の具合が悪いという田舎の母親のことを心配していたが、暫くは仕事で帰れないと嘆いた。
雨が止み、彼女に両替できる場所を訊いたが、そこはとても質の悪い店だった。

土砂降りのハイウェイを走ったコペンハーゲンは、終始片手で電話する若いスタッフに、ひやひやしながら助手席に座った。
運転は何年もしているという彼の言葉が何の安堵にも繋がらないまま、小さな赤いフィアットは何度も小さく滑った。
目的地へ到着すると、タイヤの溝は微塵も無かった。

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プエルトモントを少し南に行った河川で仲間と釣りの約束をしたが、昨夜からの大雨で増水していた。
今日は諦めようと話したが、彼は問題無いと言い、大した装備もしないまま大きな河を渡り出した。
僕は恐る恐る河原で様子を見ていたが、そのまま半日何も釣れなかった。
ただ濡れに行っただけだなと呟くと、彼は少しムッとした表情で、今日はたまたま魚がいないだけだと言った。

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雨は今日も同じように降るが、きっと全て、違う雨なのだろう。

今度はどの国の雨を浴びようか。


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