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伝えられない言葉

ここ数年、体験したこともない出来事が起きている。
右往左往する人々を嘲笑うかの様にウイルスが世界中を支配し、蔓延する。

今ではすっかり明るいニュースだけを意図的に掘り出すような毎日で、少しでも楽しいニュースを拾っては、何とかそれを飲み込んでいる。

最終目的はこいつを終息させたいというただ1点なのに、人が争う。

ウイルスと、ずっと闘い続けている人達がいる。
幾年も積み重ねられた経験と知識を使い、今日もたくさんの人達を救ってくれている。

そして、こんな時期でもモノが世界から無くならないのは、世界のあちこちでそれを止めない人達がいる。

そんな人達に、僕はどんな声を掛ければいいのだろう。

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ベトナム・ホーチミンから北東に1時間ほど飛び、カムラン国際空港に到着する。
そこから車で30分も走れば、ニャチャン(Nha Trang)の市内に辿り着く。

カインホア省にあるニャチャンは元々は絶好の立地からベトナム屈指の漁港として栄えたが、まだベトナムがフランス領だった頃に要人専用のリゾートとして開発され、今に至る。

当時、彼らがどうしてここをリゾート地にしようと思ったのかについては、ニャチャンのビーチを一目見れば、尋ねる事すら無意味になるだろう。

気候はいつも温暖で、雨の日の事を思い出せるくらい晴天の多いエリアは、訪れる度に気持ちが明るくなった。
巨大都市・ホーチミンからすればずっと静かで穏やかなエリアだが、リゾート地という事もあって、沿道に立ち並ぶ店はいつも人で賑わっている。

ただ、僕にとっていつも問題になるのはそのビーチで、常宿の広い窓から見える素晴らしい景色は、鮮やかなまでに仕事をする気が失せてしまう。
そんなリゾート地からちょっと内陸に入った所に、工場がある。

ロアン(Loan)はこの会社で働く、1児の母親だ。
彼女と最初に会った時から、日本語が上手でとても驚いた。

ベトナムにも日本語学校はわりと多くあり、学生時代に彼女はそこで勉強をし、日本で働いた経験は無いのに漢字も読める、とても優秀なスタッフだ。中国にあれだけ行っているのに漢字の1つも覚えない自分と比較すると、いつも恥ずかしくなる。

彼女は通訳もこなしながら日々の管理も任されていて、とても多忙だった。
どの言語でもそうだと思うのだけど、単純な言葉は伝えられても、細かい”ニュアンス”を伝える部分はとても難しい。
そんな精細な説明が必要な時、隣には必ず彼女がいた。

滞在中は工場からの誘いで夕食を共にする事があるが、英語が話せないスタッフだと会話が続かない事もあり、ロアンが呼ばれる事が多かった。

僕は典型的なアジア流の「ザ・接待」みたいな形式が苦手で、仕事が終わればとっとと放置してもらって構わない方なので、家庭のあるロアンを呼び寄せるのが、とても申し訳無いと思っていた。

それでも夕餉が同じになれば家族の話を訊き、忙しいながらも彼女は祖父母とも一緒に暮らす大家族の話や、まだ小さい子供の話を楽しそうにする彼女を見ているのが楽しかった。

ニャチャンの街を訪れるのは10年ぶりだったが、当初は本当に小さな街だったのだけど、この短期間で飛躍的に発展していった。

暫くはニャチャンで仕事が続けられる事がわかると、ここで一緒に仕事をするかい君と2人で、街中を散策をした。

勝手な僕の価値観ではあるけど、古い街と新しい街がグラデーションの様に織り交ざる時期が一番美しいと思っていて、そんな変化を訪れる度に感じるのが、とても楽しかった。

まだ若いオーナーがアメリカと日本の生活を経てニャチャンでオープンしたステーキハウス。スモーキーな肉が本当に美味い。

ベトナム中にいるアーティスト作品が買えるセレクトショップもあった。
びっくりするくらいにクオリティが高い。

気になる店を片っ端から入っていくのは、いつも良い事ばかりじゃない。
中には店頭に写っている写真とはかけ離れたとんでもない料理を出す店だってあるが、その度にかい君とはゲラゲラと笑ってやり過ごした。

工場は日々、ロアン達従業員の努力によって次第に大きくなっていき、いつしか周辺のエリアではどこにも負けないくらいの立派な工場になっていった。

多忙ながらもそんな日常が続いていたが、ウイルスが世界中を狂わせた。

世界中の飛行機や船が止まり、人々の往来が途絶えた。
物資も同様に混乱を極め、一時的に消えると言われた物資は、どの国でも奪い合いになった。

先行きが不安だったあの時に、僅か数か月で様々な物資が復帰していった事を、覚えているだろうか。
そこには僕達と何も変わらず、同じようにウイルスに怯えながらも必死に働く人達の痕跡があった。

どんなに事態が重くなったとしても、その流れを切れば生活の全てが破滅する。
そしてそこで働く人々も、仕事を失う。

ベトナムとて、例外では無かった。
カインホアは幸いにしてホーチミンほど感染者は出ていなかった事もあり、制限付きであれば働いてもよいという状態にあったが、その制限内容を知った時、暫く言葉を失った。

職場で働く人々は、家に帰宅せず職場の宿泊施設の往来のみで生活をするのであれば、働いてもよいという条件だった。

僕はすぐに、当時彼女が嬉しそうに見せてくれた、幼い子供と家族の写真が脳裏に浮かんだ。

ロアンも、多くの仕事に関わるスタッフ達は愛する家族が待つ家に帰宅できないまま、既に数ヶ月間働き続けている。

頭の中が、ぐるぐるする。

こんな時、ありがとうという言葉は少し違う気がした。
感謝したい気持ちがあるなら、今すぐ仕事を放棄して、家に帰れと言ってしまうかもしれない。

彼女達は当たり前のことをしているだけだと言うが、その強さはどこから来るのだろう。

「生活の為」だけではない何かに対し、一体どんな声を掛ければいいのだろう。

いつかこんな日々が終わり、美しい海があるニャチャンへ向かい、オフィスで彼らの顔を見る10秒前まで、考え続けようと思う。

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