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愛しのメイウェイ


胡弓の音色が好きだ。

あの美しい音色は中国の原風景にとても合っていると思うし、どこか壮大なイメージもあるけど、それよりは素朴な街並みや人々の切なさを感じる。

日本から見た中国って、なんでも銅鑼を鳴らせばいいみたいな所があるが(雑だな)、果たして実際に現地の街や店で銅鑼をジャンジャン鳴らしている光景というのは未だ見たことはない。

柿安のダイニングなら毎日でも見れるのに。

中国と言えば以前少しだけ書いた

ゲストが酔い潰れるまでホテルに帰してくれない国

の代表国でもある。

彼らには特有の歓迎文化があって、その大部分が”面子”(メンツ)という要素で出来ている。
客人をもてなす上でこの”メンツ”は非常に重要で、豪華な酒宴の席を設け自分達の存在やスケールをアピールする。

とはいえそのアピールとは

オレ様がどれだけ凄いか

といった、場末の飲み屋で部下が半泣きになりながら上司に何時間も聞かされるしんどいオレ様アピールとは違って、どちらかと言えば

どんな依頼もどんとこい

といったアピールである。
俺達を頼れる兄貴的な存在として位置付けてくれよな
というニュアンスに近いと僕は思っている。

食に関しては深遠な中国なので、全て知るにはそれこそ4000年は軽くかかりそうだけど、接待時にはテーブルが回転する円卓を使い、主賓を中心に料理が並べられ、一番エラい人(ここでは総経理)が主賓をもてなす。
レストランの部屋も松竹梅みたいな形で大きさなどが分かれていて、凄い時は5人くらいしかいないのに30畳位の部屋だったりする。
こんな感じのもてなしを受ける事が多かった。

主賓が飲んだり食べ始めるまで、周囲も大人しくその様子を見ている。
座る席も全て決まっていて、その習慣は結構厳格に行われる地域も多い。

そして緩やかに宴が開始されると、暫くして乾杯が始まる。

僕はこの乾杯文化というのがちょっと苦手で、好きな酒を飲みたいように飲ませてくれよと思うのだけど、そうはいかない。

大体一番エラい人からは、

今後我々の発展に乾杯!

とかで飲まされ、その次にエラい人から

田所サンよくいらっしゃいました、乾杯!

みたいな形で理由付きの乾杯が延々と続き、飲まされる酒も決まって白酒(パイチュウ)という、アルコール度数の高い酒を飲まされる。

これを何年かに渡り経験すると、地獄の乾杯フェスを抑える方法が無いわけでもなくて、効果的なのは

”とにかく黙る”

という事に尽きる。
初心者だとうっかりこの乾杯から逃げたくて「これは美味しい料理ですね」なんて言おうものなら、「美味しい料理に乾杯!!」となるし、「素敵なお店ですね」などと言うと「素敵なお店に乾杯!!」という具合でドツボに嵌まっていくのである。

以前、白酒を含む蒸留酒の文化は、中国だと比較的歴史が浅いみたいな事を事前に調べ現地でイキって話した時なんかは、容赦無く連続3杯飲まされた。

なんでも良いからとにかくお前と乾杯しちゃうぜトラップ

に気づくと、主賓はとにかく黙る事によって被害も最小限になる。

…ならなかったらゴメン。

そして集中砲火を受け続けたゲストが十分に酔っ払った事を確認すると、晴れて目出度く宴は終わりへと向かう。

そんなメンツで成り立つ文化を、未だよくわかっていない頃の話。

__________

滞在期間は晴れの日が続いたが、まだまだ寒さが厳しい季節だった。

場所は郊外から少し離れた田舎街で、平坦な地形の先には広大な田園風景も見え、一体どうやって積んだのかわからないくらいの藁を積んだ耕運機やトラックが道路を往来していた。
街は朝から焼き畑で木や草が燃えた様な香りがしていて、昔住んでいた日本の街を思い出した。

小さい街なので、食べる場所はいつも同じレストランになった。
こぢんまりとしているが小綺麗な店で、店主の奥さんがいつも店内を切り盛りしていた。

料理を出される時にどうしても目に入ってしまうんだけど、彼女の手はいつも酷いシモヤケになっていた。
けれど寒い地域に住む人達からすれば、それは見慣れた光景の様だった。

朝の仕事を終えランチへ向かう途中、店の横に縄で繋がれた一頭の愛らしいロバがいた。

僕は中国語を全く話せないから、普段は日本語バリバリの通訳・リー君に助けられているんだけど、仕事の時間以外はいつも同席してくれる訳では無かったので、その時はオフィスから一緒に歩いていた現場の若い子に、ロバを中国語で何と言うのかを尋ねた。
彼は英語を話さないが、カタコトの日本語なら話せるのを知っていた。

「コレハ、メイウェイデス。」

そう彼が言った。

”メイウェイ”

なんだかその響きが好きになった。

ランチを済ませ店を出ると、店の隣で奥さんが土の付いたたくさんの野菜を冷たい水で洗っていた。

そして僕は少し得意げに、ロバを指して言った。

「メイウェイ」

そう言うと彼女は少し驚いた顔をして、笑ってくれた。
メイウェイは草を実に美味しそうに食べていて、僕も近くに散乱している草を集め、メイウェイにあげた。

翌日もまた、総経理達と同じレストランでランチをする。

そこでも僕は可愛いロバを指さし、彼に向かって

「メイウェイ」

と言った。
総経理もちょっと驚いた顔をして笑い、深く頷いた。

僕は飯時になるとちょこんと店先にいるメイウェイに会いに行くのが楽しかったし、日課となっていた。

数日が経過し、大方仕事も片付いた帰国前夜。

すっかり馴染みとなったレストランで、最後の夕飯を食べた。
滞在中あれからは流石に連日の乾杯祭りとはならず、訪問初日に比べたらずっと穏やかな宴となったが、食事はいつもより豪華だった。

飾り包丁を駆使した野菜や果物、大きな淡水魚やナマコにアワビも出てきて、料理の器も華やかだった。
言うならば、これも彼らのメンツである。
僕はその時開高健の本に出てきた、熊掌燕巣という単語を思い出した。

メインディッシュに出てきた柔らかい肉を食べ、これも美味しい「ハウツー」だと話すと、総経理は笑顔で僕に言った。

「ハオハオ、ルー、メイウェイ」

確かに今、メイウェイと聞こえた。

10秒くらいその場で固まり、僕はゆっくりとリー君の方を見た。

リー君は言った。

「田所サン、先日店先のロバを指さして美味しいって言いましたか?ロバはこの地域では有名な料理なんですヨ。田所サンが食べたいと仰っていた様なので、お店にいたロバを今夜用意しましたとの事です。」

「メイウェイってロバの事でしょ!?」

「いえ、メイウェイは「美味」で、ロバは「ルー」です」

僕は箸を置き、目の前にあるビールを飲み干した。

同席していた彼らは日本語はわからないので、何か客人に失礼な事でもしたのかとヒヤヒヤしていたそうだが、そうではない。

毎日、店の隣で美味しそうに草を食べていたあの可愛いメイウェイを食べてしまったという事が、瞬時には受け入れ難かった。

混乱する頭を整理する。

今になるとカタコト日本語の若い彼は、ロバを指さした僕に対し、

「これは、美味っス」と答えていた事になる。

ランチ時に毎日僕は得意げにお店の人や総経理にロバを指さし「美味」と呟いていた事。

そしてメイウェイの頭を毎日優しく撫でては耳元で「美味」「美味」と話しかけていた事になり、これはかなりイカれたヤバい奴になっていた事。

僕からそれを聞いた総経理達は当然、彼らのメンツの為に最終日に手配をしてくれた事。

彼らは何も間違ってなかった。


メイウェイを繋いでいた縄は綺麗に丸められ、外壁に整然と掛けられていた。


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