見出し画像

「ジャパンでは相手を敬うのかい?」


友人とはなぜ長い間良好な関係でいられるのかという疑問に対し、一緒にいて楽しいから。
という答えにはずっと物足りなさがあった。

冗談を言い合える仲間は楽しいモノだし、笑い合って生きていけるのは素晴らしいことだけど、長く友人でいるには、そこにもっと別の要素が入る気がしていた。

若い頃はそれが例えようのない感覚で上手く説明が出来なかったし、気が合う、合わないなんて言葉で濁してきたけど、ある1つの経験をした後、全てが1つの要素で繋がっていたことを知る。

__________

テキサス州東部の片田舎。

当時の僕は学校が終わると何をするでもなく、そそくさと家に帰ってはテレビを見たり、日本から持ち込んだプレイステーションばっかりやっていて、時間を存分に持て余していた。

抑制され続けた後の反動とは怖いモノで、今までこういう時間を何年も野球に費やしてきた。
スーパーで売っているコーラは死ぬほど安いし、家も広い。
座れば確実に人生がダメになりそうな居心地のよいレイジーチェアに座り、ゴロゴロした日々を過ごした。
何もここまで来てそんな事しなくても思うかもしれないけど、この生活が当時は自分にとって最高の過ごし方だった。

ある日、そんなレイジー野郎を見るに見かねたのか、同居する従兄弟達が提案をした。

「Anne(アン)がよく知っている少年野球チームのコーチをやったらどうか、という誘いがあったんだけど、どうする?」
と訊いてきた。

近所に住むアンは小学校の教師で、従兄弟達も彼女の教え子になるベテラン教師だった。
因みに従兄弟は、日米のハーフなのに日本語はまるで話せない。

その提案は初めての事なので面食らったが、大きなチームではなく小さな街の小学生チームだから、安心してと言ってくれた。

当時、子供達に野球を教えた経験はゼロで、教えるもなにもつい先日まで教わっていた側だし、異国の地で果たして上手く出来るのか心配だったが、アメリカの野球を知るチャンスでもあったので、引き受けた。

それから数日後の夕方。
アンと一緒に、近所でチームの監督を務めるというランディー家に向かった。

あちらの国で近所=10㎞圏内みたいな感覚なので、徒歩で行ける感覚でいるとびっくりする。
舗装されたアスファルトの国道からあぜ道へ入り暫く進むと、長く白い柵が続く彼の家に到着した。

彼は日中自動車整備の仕事をしているので、夕方に落ち合う約束をしていた。

玄関の網戸を開け、鍵は掛かっていなそうなドアをノックすると、彼は笑顔で迎えてくれた。
玄関脇から続く広いバックヤードへ歩き、綺麗に刈り取られた芝生の真ん中にある大きなベージュ色のソファーへ僕達を案内した。
大きなグリルの機材が一通り揃っていて、週末になるとここで仲間とバーベキューをするらしい。

アメリカという国はレジャーに対しては容赦なく金をつぎ込む国民だけど、僕はそのスケールと雰囲気がとても好きだ。
やれることは大体自らやってしまうし、住人のほとんどは口は悪いけど楽しんでやっている。

*写真はイメージだけどほぼ同じ


ランディーは長い白髭の生えた声の高いおじさんで、少し離れた位置から彼を見ると、ケンタッキーおじさんそのものだった。

ランディーは僕を見るなり、とても細いナ!と笑い、両手でワッカを作り僕の身体が細いジェスチャーをした。

食べても太らないことを告げると、ランディーは俺にその身体をくれよと子供の様な笑顔で笑った。

日本で野球をやっていたこと、こちらで教えるのは未経験であることを話すと、

「全く問題ない。子供達はまだ難しい事はわからないから、バッティングとキャッチボールがメインになると思う。練習は3時間。コーチと言っても、気軽なもんさ」

彼はそう言ってグローブみたいな大きな手で握手をし、週末に会う約束をした。

当日。
ランディーの家の近くにあるベースボールフィールドは、驚愕だった。
ダイヤモンドはグルっと一周綺麗なシルバーの鉄柵で覆われ、外野は芝生で養生されていた。
グランドは凸凹の無い平滑な地面で、球場こそ新しくは無いものの、日本には先ず見る事の無い規模の素晴らしいグランドだった。

「何年もかけて作ったのさ。資金は街にある仲間のスポンサーで成り立っている。自腹も相当切ったけどね」

周囲を興奮しながら見て回る僕をランディーは笑っていたが、どこか誇らしげでもあった。

暫くすると、駐車場に続々とクルマが入ってきた。
ピックアップトラックやミニバンのドアから降りてきた彼らは、イメージしていたよりもずっと小さかった。

選手達はしっかりと教育されていて、グランドに着くなり自分たちの道具を全て指定の場所に揃えた。
ランディーからは、一番下の低学年を教える様に言われた。

グランドで軽く挨拶を済ませると、子供達は僕を見て興味津々だった。
シンプルに見慣れないニホンジンというのもあるだろうけど、子供達にとって新しいモノは全て興味の対象になるのは、日本でも同じだ。

ランディーの言った通り練習は長くても3時間程度で、初日はあっという間に終わった。
日本の練習時間と比較するとかなり短いが、バッティングは子供でもマシンを使うし、グランド整備も耕運機を改造したモノを使い、3分ほどで終わる。
練習以外に掛かる無駄な時間が極端に少ないという印象だった。
そんなスケールの違いを感じるのも、楽しみの1つだった。

3時間の練習に数日参加し、ある週末に試合をする事になった。

相手は隣町のチームで、ホームグランドはこちらでやるという事だった。

当日、僕はベンチの片隅に座り、試合を観戦した。

試合と言っても3~4イニングしか無いので、小さな選手達はランディーに言われ、目まぐるしく交代していく。

市販の一番小さなヘルメットでもまだ大きいのか、殆どの選手達は帽子のツバで前が殆ど見えていないのではと思うくらいだったが、何だかそれがとてもキュートだったし、キャッチャー以外の野手も皆防具を使用していた。

試合は白熱したプレーを続け、接戦になった。

最終回のチャンスで攻撃中、ヒット性の当たりを相手チームが守備でファインプレーをして捕球し、試合終了となった。

日本のチームならそんな時、きっとベンチ総立ち状態からガッカリして座るだろうし、実際に僕もその場でそうした。

すると、僕以外の全ての選手や全てのコーチが、ファインプレーをした相手チームの選手に一斉に駆け寄り、暫くグランドは歓喜の渦となった。

ファインプレーをした選手は両軍にもみくちゃにされ、嬉しさと恥ずかしさのあまり、笑いながら泣いていた。

僕は最初彼がバースデーかなにかなのかと思ったが、そんな訳はない

ベンチに独り取り残された僕だけが、目立ってしまった形になった。

その日の夜、ランディー家にアンと一緒に夕飯へ招待された。

当然話題は試合の話になり、早速試合後に起きた出来事をランディーに言うと、彼は少し驚いた感じで言った。

「アツシのいるジャパンでは、相手を敬う事はしないのかい?」

ストレートに訊かれ、どう答えていいのかわからなかった。

試合中に敵チームを褒めるなんていう事は無かったし、近所にいた他チームの子とは公園で一緒に遊べば笑い合った程度の記憶はあるが、経験が無かった。

続けてランディーは言った。

「もちろん彼らも大人になれば試合中相手にそんな事はしなくなるし、試合に負ければ悔しい気持ちは彼らにだってある。けれど、幼いうちは敵味方関係なく素晴らしいプレーをしたら、相手を敬う事を教えるんだ。それは野球よりも、大切なことなんだよ」

そう言われて、なんだかその場にいる事がとても恥ずかしく感じた。

勝敗だけではない何かが、そこにはあった。

凄いと思えば声を出していい。
素晴らしければ相手に声に出して伝えればいい。
そこに敵も味方も無く、恥ずかしさなど何も要らないのだ。

そういう事が今、当たり前に出来る様になってきた若い世代を見ていると、僕はなんだかとても嬉しく感じるのだ。

上手く説明できなかった友人との関係も、お互いが持つお互いの見えないリスペクトという大事な要素で最初から繋がっていた事を理解した。


それはおっさんになった今でも、大切にしている事だ。



_____________

*おまけ*
アメフト一家で誠実で学業でも優秀な成績を残し、当時ゲームばかりしていた僕を見て呆れていた自慢の我が従兄弟達だが、日本から僕が持ち込んだプレイステーションのせいで、彼らの余暇を過ごす時間が激変した。
最初は少し小馬鹿にしていたものの、わずか数日で朝から晩までゲームの虜になってしまった。
彼らは今でも、お前がアレさえ持ち込まなければあんなことにはならなかったと文句を言っているが、知らんがなである。
彼らは後に就職し、以降も相当な機材を投じながらコアゲーマーになっていた。
そして彼らの未来の息子がそのゲームをきっかけにプログラミングに嵌り、ついにはMITに入学することになるのだから、人生とはわからないものである。

Miss y’all very much.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?