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『新生ロシア1991』映画評 ロシアに向けた爆弾入りのエール

12月に見た『ミスター・ランズベルギス』にせよ、ウクライナで大変な非難を浴びた問題作『バビ・ヤール』にせよ、サニーフィルムが配給してロズニツァの名をこの国に定着させた群衆三部作のうちの『国葬』や『粛清裁判』にせよ、セルゲイ・ロズニツァがロシアにその支線を向けて映画を作る極めて特異な作家であることは、もはや論を俟たない。そして本作『新生ロシア1991』も然りではあるのだけれども、既存作品とはまた違い、そこにはロズニツァ監督の愛憎入り混じる感情が迸っていた。と、先ほど鑑賞してきた私はみている。

オハコというより最早ロズニツァ作品の専売といっても過言ではないアーカイヴァル手法で描き出されるのは、1991年8月にソ連のモスクワで起きた「ソ連8月クーデター」の一部始終である。『ミスター・ランズベルギス』は当時の映像に加え、リトアニアの国家元首であるビータウタス・ランズベルギスその人の回想を解説のように交えた「普通の従来のロズニツァ作品からしたらとても異色なのだが)」のドキュメンタリーとなっていたが、本作では元の当時の映像と音源のみを利用する手法に回帰している。画面のアスペクト比はこれがまた今までになかった正方形1:1の、いわゆるインスタ型の画面であり、見る側の没入感を高めるような配慮がされている。本作は『ミスター・ランズベルギス』と対になったような構成になっており、ここで描かれるクーデターが無ければ、リトアニアをはじめとする衛星国の独立もなかったということがわかる。

さて、その肝心の内容についてだが、『バビ・ヤール』がウクライナの人々の顰蹙を買ったように、本作もまことに挑発的なテーマを内包している。これは後述するけれども、取り扱われている題材こそいわゆる歴史ものではあるが、それが言及されるところは間違いなく現代、今我々が生きている地点にまで遡上するような作りになっている。

さて、これまでのロズニツァ映画における「ロシア人」は、ある時は戦争犯罪の加害者だったり、あるいは粛々と独裁者の圧政を受け入れる被害者だったりとする姿を浮き彫りにされてきた。しかしながら本作ではまた別の一面に光を当てて見せる。自由を求め、独裁制限として依然として君臨する共産党に異議を唱え、立ち向かう人々である。

しかし本作を見て、今のロシアの人々はどう思うだろう? 怒ったりするのだろうか。怒るくらいならまだましかもしれない。間違いなく今のロシアでは公開されないだろうから想像するしかない。それは私にとってぞっとする光景なのだが、大半のロシアの人々は無関心を装って、無表情で席を後にするのではないか。

いまだに続くウクライナ侵攻だが、プーチンは問答無用に人々を戦場に送り出し、街中で異議申し立てをする人を逮捕している。かつての、サンクトペテルブルクでの人々の姿は、少なくとも報道で流れる光景には存在しない。我々国民はどうにでもなる尻軽女ではないと力強く宣言したあのご婦人も、「臆病者は誰も守ってくれない、我々は人間にならなければ」と過酷な現実を見据えながらも打倒ゴルバチョフを唱えエールを送る男も、そして何より、自らの意思で広場に集まった人々の姿も、である。

この際ははっきり言おう。今ロシアにいるのは、反抗する手段も気力もすっかり奪われて、それどころかしたくもない戦争に無理に借り出され、意味もなく殺したり、殺されたりするのを大人しく待つ、そんな去勢された猫のような人々なのである。

ロズニツァは、そんな負け犬みたいなロシアの人々に対し、「どうしたんだ、かつての姿を思い出せ」と映画を通してケツを叩こうとしている。今最悪の戦争を継続し、ウクライナの一般市民を殺傷する独裁者を止めれるのはあなたたちしかいないのだと、彼は信じているのかもしれない。

しかし、ロズニツァは最後の最後にとんでもない爆弾を残して、この映画を終える。そこんところはもう流石とか言いようがないし、この作家は食えない奴だと改めて思い知らされた。今のロシアを形成しているのは、果たして一体誰なのだろうか。作中、「この変革の前途は長い」という台詞がある。果たして、ロシアは本当にゴルバチョフや共産党をパージしただけで、本当に自由を得たと言えるのだろうか。ロズニツァは名言こそしていないが、ロシアの民主化の「前途」は終わったどころか、まだソ連時代の歴史が総括されていなかったからこそ、かような愚行が繰り返されているのではないだろうか。そう考えると、邦題に冠せられた『新生』という言葉もまた、えらく皮肉めいた響きを有することに気が付く(ついでにいうと、劇場で配られているフライヤーも、敢えてソ連の国旗をフィーチャーしたようなものになっているのも意味深長だ。フライヤーのデザインがかっこよくて私は好きだけれど)。ロズニツァに言わせれば、ロシアは未だに民主化を成しえていないのである。

しかしながら、当時のアーカイブ映像に残された人々の面影たるや、なんと
美しいことだろう。ファッションも様々で、モノクロ映像ながらその彩りすら脳裏に思い浮かぶほどだ。トレンチコートの女性が知らん顔でデモの目の前を通り過ぎ、かと思えばスカーフをほっかむりのように頭に巻いたご老人が喧々諤々の議論に参加している。ブルゾンみたいなうわっぱりを着てたり、あるいはTシャツ一枚の男たちがバリケードを築き、広場で声を上げて、ついでにカメラに向かってピースを送る。みんな、めっちゃオシャレで格好いいんですよ。ロズニツァは国家が主催する、画一的で格式ばったセレモニーをかなり皮肉って描いてきた人だけれども、『新生ロシア』にはその対局の、多様で色とりどりの美のようなものが提示されていて、大変興味深かった。

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