見出し画像

【物書き部企画】「デザインで社会課題の改善・解決を目指す」

 物書き部 〜第二章〜 Presents
田村淳の大人の小学校・すばらしき児童たちのインタビュー記事
田村淳の大人の小学校・すばらしき児童たちとは?

「デザインで社会課題の改善・解決を目指す」

というコンセプトのもと、名古屋を拠点にデザイン、ボウサイ、マチヅクリ、スポーツ、クラウドファンディングの5つの事業部からなる株式会社R-proの代表をされているナオトさんにお話を伺った。
 
この短い紹介の内容にものすごく惹かれ、会社のHPを読み漁る。
「面白そう…」勢いでインタビューのお願いをした、私自身初めてのインタビュー。
物書き部で名乗りをあげる。
「私、ナオトさんインタビューしたいです。」
この時は既に依頼済み。
部長の「ぼくもナオトさん気になってました。」他の人からの「楽しみです」というボディーブローのようなプレッシャーを感じつつ。
いざ、ゆかん。

さすがデザインの会社をされているだけあっておしゃれだなと思ったのが第一印象だった。
が、私は大きな勘違いをしていたことを後に知る。

ずっと起業したいと思っていたが、まずは会社員を経験しようと就職をし、神奈川から名古屋へ移った。想像以上に会社の居心地がよく気付いたら2年経っていたという。
3年目は異業種交流会にも参加したし、行ってみたら怪しいセミナーだったこともあったけど、とりあえずなんでもやってみようと思って全部やった。
出会い系サイトの代理店の権利を人からもらって運営したこともある。

「今なら絶対参加しないようなセミナーですけどね。  それでも勉強にはなりましたけど。
お金の流れを学べたことは大きかったですね。」

名古屋に特別な思い入れがあったわけではなく、神奈川に帰っても友達はいても仕事の仲間はいなかったことから、そのまま名古屋で個人事業主となり独立。

会社の困ったことを手伝うような仕事を始めた。
そこで何か課題を解決しようとする時、手にとってもらう手段として「デザインの重要性」に気付く。

その都度デザインを委託をしていたが、良いデザイナーとの出会いがあり、R-proを設立。
拠点は名古屋だったものの、いつでも東京、神奈川に戻れるように身軽にマンションの一室で始めたという。

ここまで伺ってやっと気付く。

「あれ、ナオトさんデザイナーさんじゃなかったんですか。」

「いや、デザイナーじゃないです。デザインは全くできません。」
(少し空回る)

「デザイン会社と言ったことはないんですよ。

デザインはあくまで社会の課題を解決するアウトプットの手段です。」

5つの事業部は全て本業。やりたいことをやっていったら今の形になった。社会の課題を解決することが目的なので、この枠にとらわれているわけではないし、当てはまらないものもある。事業部は入り口に過ぎない。

一昨年の10月、なごのキャンパスという旧那古野小学校をリノベーションして生まれたインキュベーション施設(ワーキングスペース)にオフィスを構えてから、名古屋に根を張った感覚があるという。
約100社の企業が入っていて、教室が各オフィスになっている。廊下に出ると誰かしら居て立ち話をすることも多く、つい話し込んでしまうこともある。

「だから集中したいときは外に出たらダメなんですよ。タイムマネジメントが大事。」
と話す。

まさにクラスの違う同級生と廊下で会って話す感じだ。
チャイムが鳴って、先生がきて「早く教室に入れ」と言われるまで廊下で話し込んでいたのを思い出した。
立ち話がきっかけで仕事になったこともある。

今までのマンションの一室では無かった偶発的な出会いが、ここでは起きる。

「名古屋が拠点になってしまったんですよね。」
というナオトさんは名古屋が大好きそうに見えた。

これから注力していきたい分野について伺った。

3.11の震災を受け、ボウサイ事業(yamory)で2012年に非常食のサブスクを始めた。
テレビ(WBS)でも紹介されたもののスケールしていかず、テコ入れが必要だったのがボウサイ事業だと語る。

10人いたら10人必要だと答えるのに、準備している人は2-3人とまだ浸透していない分野。
その状況はこの7-8年あまり変わっていないと感じるのだそう。

防災教育にも力を入れており、全国40都道府県以上の都道府県の小学校で導入されている「いえまですごろく」というボードゲームを制作した。

「みんな一度は防災についてすごろくで学ぶ経験をして、そういえば小学生の時やったよねーと言ってもらえるようになったら嬉しいですね。」

また、福祉事業所に仕事を依頼することもあるという。

「これは慈善事業のためではないんです。」
という言葉に筆者は驚いた。

社会の課題を解決するというコンセプトにとてもしっくりきているように感じていたからだ。

「家族だったらどうも思わないのかもしれないけど、障害者に対する偏見を持っていました。でもそれって良くないことで、人は知らないものへの警戒がある。自分の偏見をなくすために積極的に関わっています。」

「仕事を通して関わっている人の話を聞くことで、自分をその環境に置くことで少しずつそういうものなんだと理解してきました。自分に関わっていないと関係ないことになるから。」

偏見を持っている自分と向き合うことは決して簡単じゃない。
筆者もそうだが、人は良い人でありたいと誰もが思っているのではないだろうか。
自分の「良い人ではない部分」に焦点を当て向き合うのは、正直苦しい作業だと思う。
自分の見たくない所を見つけて自分ごととして捉えていく姿勢にぐさりとくるものがあった。

そんなナオトさんの子供の頃の夢はプロ野球選手。

その夢を叶えるべく入った強豪校、桜美林高校野球部。
しかし、いざ入部してみると周りのレベルの高さにその夢は打ち砕かれた。

初めて野球で味わう挫折。

呼ばれるわけはないと頭ではわかっていた最後の夏のメンバー発表、監督が呼ぶ名前にじっと耳をすませる。

背番号はもらえず、高校野球人生は終わった。

1人部室に戻り、誰もいない部室のベンチに寝転がる。
ふと横にあった荷物を置く棚を見ると棚の板の裏側にたくさんの落書きがされているのを見つけた。
3年間部室を使っていたのに、初めて気がついた。

男子高生らしい落書きもたくさんある中、ふと一つの言葉が目に入った。

「人生のレギュラーになれ」

その時、自分の人生ではレギュラーになろうと誓ったという。
誰が書いたのかわからないその言葉はまるで一つの夢に破れた少年がここに横たわることを知っていたかのようだ。

「人生のレギュラーって何かわからないですけどね。でも当時のぼくにはそれがなんか響いたんですよ。」
と笑う。

自分の弱いところと向き合える強さのルーツはここにあるのかもしれない。

デザインをきっかけに改善し今をどう生きるか一緒に考え並走してくことが多いが、この事業は結果が出にくいという。

コロナに寄り添う事業をしているけど、なくせるわけではないし、防災もしかり。

だからこそ退き際も大事だという。

「いつやめてもいい」

という言葉を何度も使っているのが印象的だった。

「会社もフェーズが変わっていくから役に立たなくなることもたくさんある。その時はじゃあお役御免だね、とサッっと引きますよ。」

惰性で何か続けるということはなく、あくまでパートナーの目線に立つ。
その潔さがナオトさんの魅力だと思った。

「やるなら喜んでもらいたいし、必要ないものを提供したくないですからね。」

ナオトさんの言葉には揺らぎがない。

最後にプライベートについて伺う。

「できれば社会貢献のためではなく、お金のためにやる仕事を0にしたいとずっと思っていて、12年経ってようやくそれが現実になりつつあるんですよ。だからプライベートと仕事の区別がなくて。やりたいことが仕事になってますね。」

やりたいことが仕事です

と言える人は一体どれだけいるのだろうか。
自分軸で働いていることが、世の中のためにもなっている、これが人生のレギュラーというものだろうと思った。

言い訳を並べていつまでもベンチを温めていても、指摘してくれる人はいない。
今回のナオトさんのインタビューを受け、自分でバッターボックスに立ってバットを振ること、自分と向き合う強さを持つ大切さを思い知る。

最後に、一つインタビュー前から気になっていたサービスについて伺った。

コロナ禍だから生まれたコーヒーのサブスク『BLANC.CO』。

インターネットの普及、ZOOMでのミーティングなどの効率化が重視されて人に余裕がないと感じたそうだ。
コーヒーを飲んでいるときよりもコーヒーを淹れているとき、連続的な何かから分断される気がする。
豆から挽くのはハードルが高いから、美味しいドリップパックで人に余裕(branc)を。
とってもおしゃれなので詳細は以下をぜひご覧いただきたい。

「インタビューを受けた人」
【3期生】ナオト

「インタビューをした人」
【3期生】よーこる

この記事が参加している募集