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英国大学院留学を終えて(IDS, 貧困と開発コース)

みなさん。こんにちは。Adrian Atsushiです。
今回は、2022年9月から2023年8月にかけてのイギリス大学院留学を終えての振り返りをお届けします。

内容としては、イギリスの大学院生活を勉強面、生活面、キャリア面の3つの切り口で振り返ったのちに、全体的な振り返りをしていきます。

ご質問等はXのDMでいただけるとスムーズです!


勉強面

まずは、一番大切な勉強面から。

私は、イギリスのブライトンにあるInstitute of Development Studies(日本語ではよく「開発学研究所」と訳されている)のMA Poverty and Development(貧困と開発コース)に所属をしておりました。

コースを簡単に説明すると、開発学における貧困について学ぶコースであり、貧困の概念の変遷から、貧困削減のためのアプローチについて学びます。
このコースでは秋学期と春学期でそれぞれ必修の授業が1つずつあり、秋学期は、貧困の概念について様々な分野(社会、政治、金融、人類学、移民、都市など)から学び、貧困を測定するためのツールについても学びます。春学期は、貧困削減のための政策やプログラムについて、立案から評価までの一連の流れを実際のプログラムをベースにして学びます。

大学時代に開発人類学のゼミに所属していたり、開発学や社会調査に関する授業を積極的に取っていたこともあり、序盤の授業はすんなりと入れました。
しかし、3週目あたりからの、各トピックの深掘りになった瞬間に、今まで触れてこなかった専門的な話が増えてきて、それを英語で理解することにとても苦労しました。

授業を受けるペースが掴めてきたのは、初回のエッセイ提出があった11月の初旬あたりだったと思います。
Essential Readingsをきちんと読み込んで、授業の復習は翌日に終わらせておくなど、どのようにインプットすれば、適切にアウトプットにつながるのかを、なんとなく理解するのに2ヶ月くらいかかった印象でした。

また、社会人時代は、情報を集めて報告する業務が多かったので、グラフや数字を読み解くスキルや、エクセルとパワポを使うスキルは、授業をスムーズに受けることに役立ちました。
というのも、貧困コースは周りからMSc Povertyと呼ばれるほど、他のコースに比べて数字を読み解くことが多いのです。その理由として、貧困対策をするためには、貧困を特定する必要があり、どうしてもその時に数値化する必要があるためです。
(初回の授業で統計ソフトを使ったことある人?という質問が教授から出るレベルで、数字への親和性は大切です)

秋学期は、必修科目のPoverty and Inequality、選択科目のEconomic Perspective on Developmentを履修していました。
内容自体はそこまで深掘りされるわけではなく、ベースをきちんと理解することに主眼が置かれていたので、物足りないと感じたこともありましたが、個人的には秋学期の内容が、春学期の専門授業を受けるための土台作りになったように思った(実際に春学期に授業の資料を読み返したりした)ので、いい助走期間になったと思います。


そして、春学期。必修科目のPoverty and Vulnerability(P&I) とReserch Design(修論の書き方講座)、選択科目のBusiness as a Development Actor (BADA)の3つを履修し、他にも興味のある授業があったので、2つの授業を聴講していました(Aid and PovertyとCompeting in the Green Economy)。

基本的に聴講は認められておらず、後日配信される講義の録画を見るのはOKという形になっていたのですが、毎回講師の人に確認をして、席に座らせてもらっていました。(ダメという人はいませんでした)

まず、正規受講していたP&IとBADAの授業なのですが、これが大変でした。
BADAの授業は、Povertyコースに所属している人は受講することができず、他コースの授業を履修する制度を使って特別履修登録をしてもらったのですが、なぜBADAの授業を取ることができないのかが、授業を受けるごとにひしひしと痛感することになりました。

P&Iの授業では、基本的にどのようにしたら貧困層をきちんと特定し、その国の貧困問題を網羅的かつ効率的に実施することができるのかを学び、誰一人取り残さない開発に主眼が置かれているように感じた一方で、BADAの授業では、その国の経済発展がもたらす開発問題について学び、まずは国力をあげる開発に主眼が置かれているように感じました。

ということで、火曜日にBADAの授業で「どんどん国を発展させていこう!」というマインドセットになったのちに、木曜日のP&Iの授業で「国の発展の前に人々のことをきちんと考えましょう」というマインドが割り込んでくるので、だいぶ混乱しました。
さらに、選択科目で「援助のあり方」や「開発における環境問題」などの話も入ってきたので、最初の1ヶ月は頭の中がてんやわんやになりました。

しかし、こうやって色んな側面から開発問題を考えることは、ハードな期間でしたが、自分としての開発のスタンスを改めて考えることができたり、キャリアを考える上でとても役に立ったので、この選択をした当時の自分最高!と思っています。

また、春学期の授業は今までの経験が活きることが多い期間でもありました。
今まで開発の世界では教育、インフラ、農村開発、ジェンダー、子ども、ヘルス、栄養など幅広く関わってきたので、P&Iで実施した政策策定などでは、過去の経験ベースに語れた点はよかったです。
BADAの授業では、ビジネスのフレームワークを使って開発を考えるのですが、4年間社会人をやって、ビジネスフレームワークについてある程度の知識は持っていたので、授業の内容を理解しやすかったように思います。

一方で、実際に現場でがっつり活動をしていたのは、大学生時代で、約5年前の情報になっていたので、開発の現状についてアップデートができていないと感じることも多く、大学院に来る前に少しでも現場に入ってから来ても良かったよなぁと思うこともしばしばありました。
特に、先進国と呼ばれるような地域から来ている留学生で、現場の経験がある人は案外少なく(日本人留学生の約4分の1が途上国での勤務や研究経験があり)、授業の時の発言でも、そこの分断は発生しているように感じることもありました。


そして、修士論文。
大学院に進学した背景の一つとして、「だってビジネスだもん」を開発の世界から無くしたいと持っていたので、『多国籍企業のビジネス撤退がもたらす社会経済的影響の緩和』について執筆しました。

修士論文は、所属するコースに関連するトピックであれば何でもOKというスタンスだったのですが、トピック自体がビジネス活動に関するもので、実際に指導教官をお願いした教授はビジネスコースの教授だったこともあり、「貧困削減」からどんどん離れていってしまうという苦悩がありました。

一方で、自分が書きたい論文としては、ビジネスというよりも人々に視点を置きたかったので、自分の意思をしっかりと理解して、指導教官にもきちんと伝えて、クリアにしていったのですが、今思い返してみてもバランスを取るのが難しく、悩みに悩んだ執筆期間でした。

勉強面を全体的に振り返ってみると、色んな領域と視点から開発についてしっかりと学ぶことができたので、良い1年間でした。
また、開発に関する経験が1年間あったこと、民間企業で4年間働いていたことが活きたので、社会人としてidsに留学できて良かったと思います。


生活面

次に、生活面を振り返ります。

まずは、英語ですね。
英語圏での生活はトンガでの4ヶ月があったので、生活自体はできると思っていましたが、IELTSの対策を通して、きちんとした英語を話すことに、だいぶ苦手意識を抱えておりました。

「まあ、もう来てしまったので頑張るしかない」と単語帳の勉強は続けつつ、苦手意識を克服するために、頑張って話すことを心がけていました。

リスニングテストでも、ブリティッシュ英語がとても苦手だったのですが、これは大体1ヶ月くらいで慣れました。
たまに最強にクセツヨの英国人が現れるのですが、「わー、ハリーポッターだー」というマインドでどうにか乗り切っていました笑

1年間でどれくらい英語力が伸びたのかという点については、あまり伸びていないような気もしますが、英語でコミュニケーションを取ることのハードルが大幅に下がったので、この点では頑張って飛び出して良かったと思います。


次に人々との交流について。
一人の時間が好きなタイプなので、一日中部屋に閉じこもってYoutubeを見ていても、何も罪悪感を感じない人間なのですが、この留学では積極的に交流に取り組みました。

そのおかげもあって、友人と色んなところに出かけたり、パーティーしたり、たくさんの楽しい思い出を作ることができました。
特に、夜ご飯友達(フィリピン人、ラオス人、台湾人、韓国人、日本人)とウォーキング友達(インド人、スリランカ人、インドネシア人、台湾人、日本人)には、とても仲良くしてもらいました。

ここからもわかるように、交流する人のほとんどはアジア人でした。
地元のコミュニティには入らず、idsのコミュニティで比較的お腹いっぱいだったので、積極的にコミュニティは広げなかったのですが、イギリス留学していたのにイギリス人との交流がほとんどないという謎状況ではありました。

が、アジア人は食の好みが似ていたり、環境が似ていたりするので、必然的にこういうコミュニティになったのかなと思ったりもしました。
(逆も然りで、ヨーロッパ出身の人はヨーロッパ系の人と、アフリカ出身の人はアフリカ系の人とつるんでいることが多かった印象。大洋州などの同郷が少ない人が、色んなコミュニティに顔を出していて、みんなを繋いでくれていた気がします)


そして、イギリスは物価が高い。
インフレと円安がどんどん進んだおかげで、日々の出費がどんどん膨らんでいきました。(コンビニで売っているサンドイッチは800円〜、ビールは1000円〜)

「せっかく留学に来たし」と、あまり節制することなく過ごしていたのですが、結果としては、留学前の想定金額よりも100万円オーバーとなりました。。。

想定金額を大幅に超えた理由としては、生活費の高騰もありますが、旅行にたくさん行っていたこともあります。
イギリスの食事は思っていたよりも美味しかったのですが、いかんせん高くて、周りの国にはもっと美味しい国がたくさんあるので、食事の贅沢は他の国でした方が良いんじゃね?と、日本人留学生の友達と意気投合し、色んな国に旅行しに行っていました。

ヨーロッパどこに行くにも安くて(往復約1万円)、空港まで近い(電車で30分)こともあり、暇さえあれば航空券情報を調べていました。(勉強せい)

イギリスは天気が悪いことも多く、外に出かけてもリフレッシュをすることが難しいこともあったので、こうしてヨーロッパ旅行をして息抜きできたのは、勉強とのバランスが取れた点でも良かったと思います。


住居についてですが、留学期間は大学の寮で生活していました。
シャワーとトイレが各部屋についていて、キッチンだけ共用というタイプのフラットに8人(中国人4人、インド人2人、日本人2人)で住んでいました。

フラットメイトはみんな綺麗好きで、お互い気を遣いあっていたこともあり、共用部はとても綺麗で、他のフラットに住む友人が来た際には、「綺麗すぎる」と言ってもらえるレベルだったので、その点はとても恵まれていました。
また、大学の施設から歩いて5分ほどで着く距離にあったので、朝早い授業でも難なく出席できていた点も良かったです。

一方で、大学内にスーパーがあるので、基本的には大学から出なくても生活ができてしまい、街に出かける機会が少なかった点は、少しもったいなかったかなと思いました。
大学から街まではバスで20分ほどなので、いつでも出ようと思えば出られるのですが、何やかんや大学に住んでいる人は大学に籠りがちだったかなと思います。

お買い物が好きな人や、イギリス生活に深く関わりたい人は、街に住むことをお勧めします!


最後に、イギリスを語る上で欠かせないのが、ストライキ問題。

ストライキすごいです。イギリス。

電車はすぐにストライキするし、2022−2023は教育機関も大規模にストライキをやっていて、多くの人が影響を受けました。

幸いにもidsは大学から独立した研究機関であったこともあり、ストライキの影響自体は大きくなく、大学に住んでいたので公共交通機関のストライキの影響もあまり受けなかったのですが、会話の中では常にストライキの話が出てくるレベルで、ストライキが近い存在としてありました。

ただでさえ、イギリス人で勤勉に働く人は少なく、手続でストレスが溜まることもしばしばあるのに、サービスさえ提供されないイギリスは、もはや先進国ではないのでは?という話題もしょっちゅう出ていました笑


全体的に「???」と思うことも多かったイギリスですが、ロンドンに行けばなんでもあるし、住んでいたブライトンは外国人も多かったので、生活としては困ることはほとんどありませんでした。

そしてブライトンは海沿いの街なので、夏はビーチでBBQとビールなんて、最高な遊びもできたのも良かったです!

イギリスで働きたいか?住みたいか?と言われると、即答でYesとは言い難いのですが、問題なく生活はできるので、また機会があればイギリスに行きたいと思える国でした!


キャリア面

最後にイギリスの開発学を勉強した後のキャリアについて振り返ります。

イギリスに留学している留学生の中では、「イギリスの開発学を卒業できれば、半自動的に開発のキャリアを歩めるのではないか」と思っている人もいましたが、もちろんそんなことはありません。

しかし、開発学関連で修士をとっている人の多くは、開発系の仕事に就いている事も事実なので、コネクションを作るという意味では、とても役に立ちます。
また、大学側もコネクション作りに積極的なので、同窓生コミュニティを運営していたり、先輩とつながる機会を積極的に作ってくれます。

また、大学が様々な機関と共同研究をしていて、多くの機関から研究者が来て講演を行なったり、報告会を行なったりするので、そのような人たちとコネクションを作る事も可能です。

実際に、積極的に機会を掴みに行っている人が、開発業界に就職が決まっていったイメージがあります。
(だいたい、就職に関して文句を言っている人は、こういうところに顔を出しておらず、勝手に機会がまわってくるものだと勘違いしている)

また、在学期間にキャリア形成の一環として、インターンを行おうと思っていたのですが、結局行いませんでした。

1月から2月にかけてインターンを探していたのですが、期間や勤務地で中々条件に合うものを見つけることができず、日本のNPO運営もあったので、結局諦めてしまいました。

1年間の修士生活の中で、インターンをしている人はもちろんいるので、強い思いを持ってインターンをすると決めている人は、ぜひチャレンジしていただきたいのですが、大学内でも色んなチャレンジが転がっているので、インターンに強くこだわる必要もないと思いました。
(実際に、大学院のイントロダクションで、「インターンや課外活動もいいけど、大学院の勉強も忙しいから勧めないよ」と言われていました)


個人的なところで、今回の修士号がキャリアに役立ったかと聞かれると、今のところなんとも微妙なところです。

実際に、就職活動中は修士号取得中だったので、履歴書に書けない事も多く、学士卒という扱いで就職活動を行なっていました。

しかし、コースで学んだおかげで、色々なキャリアを考えることができたので、そのような点では役に立ったのだと思います。

そして、コースの内容をキャリアに活かしていくのは、これからの自分次第だと感じています。
特に開発の世界では修士号の内容が重視されていると感じているので、この学びを将来のキャリアに繋げられるように、これから頑張っていきます。


最後に

全体を通して、1年間のイギリス留学は行って良かったと思っています!!!

イギリスの修士号は1年間で取れる事もあり、授業と並行しながら修士の計画を立て、約4ヶ月で研究を行うので、あっという間に過ぎてしまいます。
そのため、研究目的というよりも修士号目当てであったり、移住目的で来ている人も少なくありません。

しかしながら、イギリスの研究環境が悪いのかと言われると、そうは思わず、実際に多くの名だたる研究者を輩出していますし、自分で積極的に研究者にアプローチをして、共同研究をしたり、研究費をとってきたり、学会で賞を取っている修士生もいます。

自分からチャンスを取りに行こうという積極性と、同時並行で色々と進めていく体力は求められますが、1年間であれば途中で息切れしても走り切ることはできるので、自分にチャレンジするという意味で、1年間という期間は個人的に満足しています。

もう一度やりたいかと言われると、即答できませんが、将来また違う分野で修士号を取りたいとなって、その時にイギリスの研究が進んでいれば、また選ぶレベルでは好きな国の一つになりました。

イギリスに留学する際は、時間的なハードさとストライキの可能性を考慮した上で決定されると良いと思います。

そして社会人を4年半やったあとの修士生活は、とても楽しいものでした。

社会人修士生と話すときに「修士と社会人生活どっちが良い」という話になるのですが、私としては完全に修士生活。
修士と社会人は完全に別のストレスがかかるのですが、自分のやりたいことに専念できる修士生活は、本当に贅沢な時間だったと思います。
(教授の中で修士課程をセラピーと呼んでいる人もいました笑)

この投稿が少しでも、読者の皆さんの役に立っていると嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。

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