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僕くたちのラジオと過ごした青春の日々~since1998~vol.4

先輩との出会い、友達との出会い。18才の私は、ラジオ漬けの4年間なるとは想像もしなかった。大学1年、この先の人生にも大きく関わってくる2002年の春。

新歓コンパ!

憧れの先輩。話をしたのは1回だけだった。
友達もいない、誰も知らない地での生活が1ヶ月ほど過ぎたとき。
ラジオのサークルの新歓コンパが開催されることが決まっていた。
活動は週1回程度。木曜日の午後は講義が少なかったので、ほとんどのサークルが活動していた。
コンパ予定の直前のサークル活動日に、先輩から衝撃の発表があった。

「このサークルは解散します!ごめんなさい」

新歓コンパは、解散お別れ会となった。

そして私は、活動する前にサークル難民となってしまった。

ゼロからのスタート

憧れの先輩とは、それ以降会うことはなかった。身近にそんな先輩がいたということは、自分の中でも幻だったと思うようになりました。ちなみに、この先輩は男性先輩です。20年後にふと思い出すまで、まったく存在を忘れていた。

解散お別れ会の前に、2年生の先輩たちは1年生の私たちに2択の道をすすめてきた。

①ライバルの他サークルにいれてもらう
②新しいサークルを立ち上げる。

ライバルサークルは、大学近くのコミュニティラジオ局で録音番組を制作放送していた。昔、憧れの先輩も一時期所属していたらしい。
おそらく、解散してしまったサークルは、このライバルサークルの派生サークルだったらしく。元の鞘に収まるだけだから、おそらく受け入れてもらるとのことでした。

サークル難民の1年生は、私を含めて6人。新しいサークルを作るのに最低人数は5人。私たちは新サークルを作ることにした。

経験ゼロの部長誕生!

それぞれ目的をもって集まった。ただ、私だけ経験ゼロ。何もわからない。
ただ、知識もなすぎて経験ゼロ。ゼロすぎて、かっこつけることなかった。
私は話すのが苦手だったので、喋ることもできない、機械もいじれない。女性と喋るのにも緊張してしまうほど。そんな自分が嫌いだった。
集まった6人は、同じ学部学科だったが、まだ距離感があった。
なかなか代表となる部長が決まらず、なぜか私が部長をすることになった。
小中高と人の上に立つようことはしたことはなかった私が、初代部長となり
3年間サークルを引っ張ることになるとは、そのときには想像もできなかった。

密かに誕生した新設サークル

私は、小中高と野球をやっていた。運動部は大会があるが、文化部は何を目標にしていけばいいのか、わからなかった。
私は何もできないので、サークル設立のため、大学内での手続きに奮闘していた。学生課に何度もいき、必要な書類を作成、ゼミの教授に顧問をお願いして…2002年の6月サークルは誕生しました。大学入学から3か月目だった。
まずは、夏の行われる高校3年生向けのオープンキャンパスで、単発放送をすることになった。
この時は、旧サークルの先輩が指導員として一緒に活動をしてくれた。
夏のオープンキャンパスの放送は、ほんとうに何もできなかった。喋ることも、機械を操作することも。他のメンバーは、多少なりと経験があったり、知識があった。何もできないが決断や方針を決めなくてはいけない立場で、人の話を聞き、意見をまとめるなど会議の仕切りなどをすることが出来るようになった。オープンキャンパスの特別放送は、無事に行うことができた。

運動部では味わえない達成感があった。オープンキャンパスにきた高校3年生からみたら、とても魅力的に見れたのだろう。私たちの活動が。

翌年以降、オープンキャンパス放送は、恒例放送となった。1年目は勝手に放送しましたが、2年目以降は大学側からの依頼で放送していた。




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