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心と統合情報理論

 先日何気なくテレビをつけたところ、今年の4月に亡くなっていた立花隆氏の追悼記念として、Eテレで2014年に放送された「立花隆思索ドキュメント 臨死体験ー死ぬとき心はどうなるのか」が再放送されていた。放送開始から既に数分経ってはいたものの、氏を全く知らなかった私は立花隆という人物がどんな人であったのかを垣間見ようと、チャンネルを変えることなく視聴し続けた。

 番組で取り上げられた内容の中で一際私の目を引いたのは、同氏が「心」について思索する章であった。

 話が若干逸れるが、古代ギリシアの哲人プラトンは心の所在を「脳」と、その弟子のアリストテレスは「心臓」であると、それぞれ主張した。私はプラトンの主張に概ね賛同するが、仮に「記憶」が「心」を構成する一要素であるとするならば、私は両者の肩を持たなければならない。「記憶転移」というものがある。臓器移植を通じて、提供者の趣味趣向に類似した行動を術後に受給者がとるという現象だが、一方で科学が未だ解明できていないオカルトの一つとも言える。ロマンではあるが、これが仮に真実であるならばアリストテレスの説は正しいものとなるだろう。果たして、「心」は脳と心臓のどちらに宿るのであろうか。もしかすると「心」とは脳と心臓どちらでもなく、体全体に宿るのかもしれない。まあ番組内では「心」は脳に存在するとして話が進んでいたが…。

 話を戻そう。番組中に登場する、「意識」研究の第一人者であるジュリオ・トノーニ教授は、これまで「究極の謎」であった「意識(=自我)」というものを、「感覚・感情・行動・記憶…etc.」といった「情報」を統合したものであると述べた。教授はこれを「統合情報理論」と唱えており、この理論で説明できないことが現状ない、ということであった。つまり「意識」はありとあらゆる情報が、無限に感じる程膨大な「繋がり」によって発生した現象ということである。

 番組の大筋は「臨死体験」を扱ったものとなっているが、本投稿は「心」の構造と「統合情報理論」を伝えたかったので、実際に何らかの媒体で番組を観た方は拍子抜けすると思う。しかし全体的に興味深い内容であるから、もし機会あったら是非とも観て欲しい。
 ちなみに、立花氏の著作に関連性の高い物も存在するので、私はこちらも読んでみようと思う。

 

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