将棋とフロー状態について ~なぜ没頭できるか~
将棋を指していると、時間も何もかも忘れて、行為に没頭している瞬間が多くある。日々の悩みや憂いなどはすべて頭から締め出されて、ただ「最善の一手はなにか」ということしか考えていない。それが一局を終えるまで数十分続く。
この没頭感覚はフロー状態と言われるものに近い。
フロー状態の難しさ
フロー状態というのは簡単に入れるものではない。フローにはいくつかの条件がある。目標が明確であり、自分の最大限の能力を発揮すれば達成できるかどうかの難易度であり、自分の最大の関心ごとである必要がある。
何かに取り組んでいても時間を忘れるレベルまで没頭することはとても難しい。気づいたら違うことをしていたり、別のしなければならないことが頭に思い浮かんだりする。
目の前のことに集中できないというのは、ヒトの避けられない課題であるにも関わらず、将棋においてはそれが当てはまらない。
たとえば、自分の玉(ぎょく:お互いの王様のこと)がピンチになると、自分の心がえぐられているかのような苦しさを持つ。将棋は、投了と言って、自分が負けを宣言することで対局が終わる。あまりの苦しさにまだ完全に負けていないのに投了したくなるときも多々ある。
たかがひとつの趣味で、心をえぐられているかのような感覚を持つというのは、かなり異質なことだと思う。それほどまでに行為に没頭している。
なぜ将棋はこんなにも没頭できるか
フロー状態には条件があると述べたが、その条件に将棋は完全に当てはまっている。
相手の玉を詰ます、という目標が明確
実力が同じであれば、最大限の能力を発揮しないと勝てない
一手一手指すたびに状況が変化して、絶えずフィードバックがある
対局が終わったあと、前よりも強くなったと感じることができる
強くなることに終わりがない
熱中しやすいスポーツやゲームなども、上記の条件に近いものを持っている。これらの条件に当てはまるからこそ、将棋という対象に没頭できる。
プロ棋士は朝10時から夜中の0時まで、12時間以上勝負をすることが普通であるが、驚異的な集中力を有している。実力もさることながら、その恐ろしいほどの集中に対して、魅了されるファンも多いであろう。
没頭できることの価値について
没頭できる対象があることは、生活の大きな支えとなる。それさえあればもう何もいらない、という感覚を持つことができる。
将棋を指す人で、「将棋さえあればいい。ずっと将棋を指すことができればいい」という考えを持った人は多くいるはずである。一つの趣味に対して、これほどやりがいと生きがいを見出せるのは凄まじいことだと思う。
「時間も悩みもすべて忘れて、没頭できる」というのが将棋における最大の魅力であり、何歳になっても将棋を探求し続ける人が多いのも、うなずける。
自分も先人たちにならって、これからも将棋を楽しみたいと思う。そして、将棋に関わらず、没頭できる対象を見つけることが、豊かさの源泉になるはずである。
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