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1日の「曖昧な時間」が心を軽くする

私は音楽を聴きながら歩くのが好きだ。

太陽も落ちかけた夕方、日々の使命感から外れる瞬間。

1日には「曖昧な時間」が必要なのかもしれない。

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毎日には「明確な時間」がある。仕事、学校、目標に向かって努力する時だったり。この時間には、しなければいけないことも多い。期限があるもの、成果を出さないといけないもの。こういう「重り」を持ちながら日々生きている人は多い。

自分は「重り」を持つのが苦手。やれば力になって、自分のためになるのもわかっているのだけれど、どうしても「やらなければ」という思いが強くなってしんどくなってしまう。受験やテスト前に「やらないとやらないと」という想いが強すぎてうまくいかなかったことが多い。

「やりたい」と思って始めたことも、いつの間にか「やらなければ」に変化していることだってある。例えば好きで始めたランニングだったのに、走らない日に自分を責める責める。振り返るとなぜそんな自分に厳しい?と思う笑

「明確な時間」は有意義で充実感を与えてくれる。達成した時の喜びをもう1度味わおうとして、人は何度も頑張るのだろう。

しかし、「明確な時間」は時には負担になる。

常にON状態。何かに追われることが当たり前になっていたり。たくさんの「重り」を持ちながら生きていることに気づけない。少しずつ心を削っていく。道筋が見えている分、前に進んでいる感覚が得られないと苦しくなってしまうのだ。

過去にそういったことで苦しんだ結果、自分は「曖昧な時間」を大切にしている。

「やらなければいけないこと」「使命感」などの重りを全て置いて、音楽を聞いて散歩したり、ボーッとしたり、ふとしたい!と思ったことをする。

好きなアーティストのマイナーな曲を聴いて、こんないい歌詞が!と発見したり。

何かにつながるとか、ためになるとかはほとんどない時間。意味を持たない時間。

こういう「曖昧な時間」に心は軽くなる。

切羽詰まるとそれが自分の中の全て、これができないと自分じゃなくなるみたいな視野が狭まる瞬間があって。当然だけれどそんなことはない。でも周りが見えていないときはそう思えてしまう。

だから意識的に「曖昧な時間」を作る。仕事、学校、目標に向かうことが全てではないと自分に教えてあげる。

考えすぎて心が苦しくなってしまう人にきっと必要な時間。







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