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[自己紹介]厚海寿幸ってどんなやつ?

はじめまして!厚海寿幸(あつうみとしゆき)@atsu_salesといいます。
同じ苗字に出会ったことないですね!
覚えてもらいやすいことと「変わってますね」のやりとりは嫌いじゃないので実は結構気に入ってます。親に感謝です(笑)

私にとって記念すべきnote1記事目ということで何も考えずアウトプット中心よ意識で書き出しています。

もし1人でもこの記事を目にした方が読んで下さるのであれば私を知っていただくと同時に経験から何かを感じていただけると幸いです。

1.年齢、出身地


年齢は34歳(2022年2月現在です。
濃い顔なので20代はふけて見られていました。
ようやく顔に年齢が追い付いてきたところです(;'∀')
出身は岐阜県多治見市というまぁまぁ田舎です。
現在は愛知県春日井市という町に住んでいます。

岐阜県多治見市


2.経歴


2006年
地元の商業高校 卒業
小学生からやってきた野球でメンバに恵まれベンチメンバーではあるものの小さい頃から夢に見ていた「甲子園出場」を果たしました。しかしプロを目指すほどの覚悟と実力はなく本気で打ち込む野球はここまでで燃え尽きる形となりました。
後にも先にもこの成功体験と感動を超える感覚は正直まだないというところです。

当時の練習や上下関係を思えば社会人になってからの人間関係など楽勝だと思える感覚でいられるようになったのが私にとってこの時得た最大の価値だったと今は思えます。

甲子園出場を決めた際の集合写真


2010

名城大学 経営学部 卒業
高校で燃え尽きるも〝働く〟ということがイメージしきれず、〝なんとなく〟消去法でいける大学を受験した大学生。当時時給1000円のアルバイトは限られていた中1000円はほしいということで、S川急便での4年間肉体労働アルバイトと草野球に明け暮れることになります。初めて労働で稼ぐ経験をするも、稼いだお金は短期的な欲求を満たすための使い方をして交際費に消えていきました。しかも将来なにをして働くのか具体的なイメージは正直ありませんでした。

でもコミュニケーションが得意でなぜか「営業」になることだけは決めていました。

大学キャンパス

2010~2017
某大手ドラッグストア問屋の営業マン
7年でいろいろなドラッグストアや生協といった小売店本部バイヤーとつながりがもてました。
彼らに対して「帳合(ちょうあい)」という決まった商流のメーカー商材を提案して導入することを主に営業としてやってました。

時には「帳合」を政治力と関係性で丸ごと競合から奪いにいく(これが醍醐味な部分だったかも)というルートセールスのB to Bの営業マンをやっていました。


新卒で大阪に初の一人暮らしということで、田舎者が都会にでていわゆるデビューするという状態になりました。大都会で一人暮らし。誘惑も多く大学生と変わらず短期的快楽を満たすお金の使い方を散々していました。特に後悔はしてないですがこれもいい経験だったなと思います。良くも悪くも夜の街や大人たちの立ち回り方を勉強する機会にはなってました。

アルコールはめちゃくちゃ弱かった(缶ビール1杯で吐くレベル)ものの、体育会系の会社だったことで鍛えられました。
吐いてもダラしないやつと思われることだけは嫌で気合いで先輩のグラスのアルコール量に気を配る生活を送る若手修行時代でした。(笑)

友人もいないため会社の先輩や同期と遊ぶか仕事に没頭し、社会人3年目に結婚し第一子の父親となりました。

2018~2020
東証一部の半導体商社で営業マン
地元で子育てをするという家庭内の方針を決めて、東海圏に戻ることになります。名古屋市の半導体商社へ転職をしました。新しい環境でBtoBのルートセールスを行うことになります。

自動車部品サプライヤにハードウェアや半導体部品の販売、ソフトウェア開発の受託営業を行いました。

規模は非常に大きな商談が多く、政治的な動きや会社での立ち回りも古き良き日本の体質といったところでした。上場企業だっただけにコンプライアンスもしっかりしており、見積一つでも承認作業に時間がかかったり、契約書関連の処理も多い
職場でした。

非常に人間関係には恵まれた環境でしたが若手の頃から憧れを抱いていたBtoCのセールスに具体的に魅力を感じだしたのもこの頃でした。

いわゆる〝自分じゃなくても出来る仕事〟なんではないか?と個人の価値の評価が相対的にどれくらいあるのかをはかりたいという気持ちが強く出てきていました。


2020~現在
もともと自動車販売の営業には興味がありました。
財布の紐がお客様の生活にダイレクトに関係するからこそ、より営業マンとしてBtoCの方がシビアな世界で報酬も多い!そう感じて入社をしました。

現在では輸入車を中心とした在庫車両の販売や買取、車検などを行っておりトータルでは販売と買取含め100台以上は関わってきました。

また社長のすすめで自社YouTubeチャンネルを立ち上げ効果的な販売に繋がったことから、他社のYouTubeチャンネルの運用代行(企画、撮影、編集、アップ、分析)業務の営業活動も並行して行っているというところです。

【自社YouTubeチャンネル】アメ車向上委員会https://youtube.com/channel/UCyYwcg9MJVzDs-DF_r7Gp5g


3.noteをはじめた理由



目的は大きく2つあります。

①世の中の営業の方の成長に寄与したい
2.経歴 でお伝えしてきた私の13年分のBtoBやBtoCでの営業経験や会社員経験はこれから働く方の参考になるのかもしれないと感じたためです。営業だけではなく時にはコミュニケーションの取り方や生き方の部分まで含めて少しでも参考になる方がいれば嬉しいです。

②アウトプットによる自己成長と整理
ここで発信させていただくことで私自身も気が引き締まる→観点をまとめて整理出来る→日々の行動の活力になる→インプット増える→アウトプットの質が高まる→一緒に頑張っている営業の誰かの役にたつ。
こういったループが起きると最高だなと思います。

4.理念


急に“理念”とかちょっと固いですね!ただ私にとって大切な価値観があるのでよければ少しだけご覧になっていただければと思います。
私の理念は「後悔しない人生を歩むこと」です。これには“死”への向きあい方の経験が大きく影響しています。

5年程前に私は祖母を亡くしました。

いわゆる寿命を迎えた形ではありましたので必ず訪れるもので仕方のないことです。ただ祖母は私が大学生の頃から脳内出血を一度患い、亡くなるまで10年以上は半身麻痺+認知症という状態でした。当時社会人なりたてだった私は大阪での一人暮らしでしたが、長期休暇で地元に帰省した際は出来る限り祖母のもとにお見舞いにいくようにしていました。当時は行く理由を正直深くは考えてませんでした。小さい頃からよく遊びに行っていた祖母の事が私は好きだったので顔を出していた。孫の顔を見たら喜んでくれるだろうな・・・それくらいの感覚でした。

いざ亡くなって火葬する際に泣きながらも私が感じていたことがあります。

「おつかれさま。ありがとう。」

心の底から純粋にそう思うことが出来ていました。そこに一切の後悔も無念もありませんでした。この時、私は更にこんなことも思いました。

「お見舞いにいくことや感謝を伝えることは日々、残された自分のために行うものだったんだ。」

色々な考え方があるところかもしれませんが少なくとも私はこう感じていました。つまり、あとから後悔することがわかっている(極端ですが大切な人が亡くなる可能性はいつでも当たり前にある)のに相手に対して感謝を伝えたり、貢献を行動でしないのは全て自分に返ってくる。ということです。
仲が悪い、好きじゃない、信用出来ない。色々な事情がある方もいるかもしれませんが自分が後悔しそうだな。と感じるのであればそれは全て自分自身への言い訳になると私は思います。

この考えがもててからは、まだまだ完璧ではない時もあるものの出来るだけ自分なりに感謝を伝えたりすることを意識しています。人へだけでなく、水1本、服1着購入を迷った時。こんな時にも判断軸は全て「後悔しないかどうか」これが軸で決めることにしています。

少し長くなりましたが、この私の理念、価値観に少しでも共感いただけたという方がいらっしゃれば是非これをキッカケに大切な人へ一言感謝をお伝えされることをおススメします。


最後までお読みいただきありがとうございました!

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