「バブル」とは冷静に向き合わなければならないと思う

いま、出版業界では空前絶後の“とある”ブームが起きている。

事情に明るい方ならご存知、「なろう」とよばれる作品群の台頭だ。

由来は「小説家になろう!」と呼ばれる、フリーの小説投稿サイト(https://syosetu.com/)の名前だ。

ここにはいろいろなタイプの小説が投稿されているのだが、そのなかで特に注目されているのが「異世界転生」がテーマの作品である。


これは普通のサラリーマンや学生だった主人公が、不慮の事故で突然死んでしまい、その後記憶を引き継いだまま突然異世界に転生して、現代社会の知識などを武器にして大活躍するというものが多い。

そのバラエティはものすごい数があって、いまではすべてを把握しきれないほどに数が膨れ上がっている。

そして、その作品群は一定のユーザーに支持されているため、本にして出せば売れることが多いのだ。

ここに目をつけて、今では多くの日本の出版社が目をつけて、こぞって異世界転生レーベルを立ち上げ出版するという流れが起きている。


この流れが起きること自体は必然であり、問題はないのだが、自分としてはこのブームが起こったことによる弊害を心配している。

実は今、少々問題になっているのが、出版社同士の「なろう」作品の奪い合いが苛烈した結果、サイトで人気のある作家に対して他社よりも早く接触して自社から出版させようという動きが活発になっている。

その結果、サイトに投稿された作品のブラッシュアップなどがあまり行われず、未熟なまま本として出版され世に送り出されてしまうのだ。

当然、一定数の読者がサイト上にもともとついているので、ある程度の売り上げは上がるのだが、本来ならばもっと伸びしろがあったはずの作家の才能を磨かず、結果、次第に行き詰らせて才能を潰してしまう編集者が出てきている。

編集者はサラリーマンなので、会社から課せられた本の刊行点数や売り上げ、予算などの目標が常に掲げられている。

そのノルマを達成するためには、すべての作品に等しく労力をかけることは確かに難しいことかもしれない。ましてや出せばある程度の売り上げが見込める「なろう」作品には、そんなに手を加えずとも良いという判断が浮かんでしまう気持ちも分からなくはない。

ただ、そうして作品と向き合わなかったツケは「編集力の低下」という代償をもたらすだろう。

作品を見ても的確なフィードバックができず、むしろトンチンカンな答えを返して作家を混乱させ、優れた才能をダメにしてしまうことだってある。

ブームが来ているからと言って安易に飛びつくのは、場合によっては大きな代価を支払わなければならなくなるのではないだろうか。

現に感じるのは、現在大手出版社と言われる集英社、講談社、小学館の売れている作品には、「なろう」と言われている作品は少ない。

逆に、KADOKAWAをはじめとしたその他の中小出版社は、みなこぞって「なろう」作品の刊行を行い、その収益で会社を回している。

ただ、その結果、昔はあんなに個性豊かだった中小出版社のマンガ誌の色がほとんど失われ、ある種昔からこの分野が得意だったKADOKAWAの雑誌のようになってしまっている。

これは個人的にとてもまずい状況だと感じている。

ただでさえ出版不況が騒がれマンガもそのあおりを受けてるのに、各出版社が持っていた色までも失ってしまったら、ファンから見放されるのは時間の問題だろう。

さらにその雑誌に掲載されているのは、コミカライズとはいえ、ほとんど原作から手を加えられていない「なろう」作品となれば、読者からの反応もいまいちで話題にならず、ただ埋もれるばかりである。

編集者の仕事は、作家に寄り添い作品作りをサポートして、また読者の代表として適切な意見を言うことのはずである。

適当に右から左に作品を流しているようでは、編集者不要論を唱えられても反論できないだろう。

結局最後まで時代を超えて愛されるのは、ブームや流行などに振り回されず、ただひたすらに作りこんだ作品だけである。

一瞬のバズが作品への愛を生むわけでなく、一生の「共感」こそ作品への深い愛を生み出す。

世の中の流れは利用するにしろしないにしろ、冷静に見極めて付き合っていった方がよいと思う。

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