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行事の始まりや月見団子の由来とは? お月見の基礎知識①

新しいお月見プロジェクトを立ち上げ、再度実感したのは「お月見の知識」がWebにまとめられていない‥ということ。知らなくては理解も関心も深まらない‥そこで、少しずつですがお月見の基本的知識をまとめていきたいと思います。

🌕お月見とは?

日本の年中行事のひとつで「一年で最も美しく見えるシーズンに月を鑑賞する」+「神様への豊作祈願や収穫の感謝を表す」という意図があります。

旧暦8月15日は「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」※や「十五夜(じゅうごや)、芋名月(いもめいげつ)と呼ばれ月を眺める風習が貴族たちの間で流行りました。江戸時代に入ると秋の収穫の感謝の意味を込めて、お供えして月見をするようになります。

※中秋‥秋の真ん中という意味で、現在の9月中旬〜上旬を指します。現代の暦では、9月中旬〜10月初旬に当てはまります。

今後の「中秋の名月」
2020年:10/1(木)
2021年:9/21(火)
2022年:9/10(土)
2023年:9/29(金)
2024年:9/17(火)

▶ 十三夜のお月見
十五夜の一ヶ月後の旧暦の9月13日を「十三夜」と言って十五夜と同じように月見をする習慣があります。これは日本独自で十五夜と十三夜片方だけしかみない「片月見」は縁起が悪いとされています。十三夜は旬の栗を供えることから「栗名月(くりめいげつ)」とも呼ばれています。


🌕 芋名月について

中秋の名月の別名として「芋名月」という言葉もあります。
芋=里芋のことで芋を掘って供えていました。
元々はタロイモ系統の収穫儀礼だったのが、水稲栽培の発達・普及によって、米の収穫儀礼と結びつくようになりました。

🌕 お月見どろぼう という風習

「お月見どろぼう」とは、月見団子を盗まれると豊作になるという言い伝えがあり、この夜だけは子供たちがお供えものや他人の畑の芋を盗んでも許さるとされていました。
現代でも一部地域(福島県、茨城県、千葉県、山梨県、愛知県、奈良県、大阪府、大分県、鹿児島県、沖縄県)で風習が残っていて、お菓子などをもらい合うそうです。


🌕 お月見の行事食

お月見のメニューとその背景。

▶ 月見団子

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月に見立てた団子を神様に供える目印となるススキや収穫した作物と一緒に供える。団子の数は十五夜にちなんで15個だったり、1年の月の数である12個だったりと地方によって様々です。

なぜ団子?
元々は秋に収穫された栗や里芋をお供えしていました。月見の風習が伝わった中国では月餅を供える文化があり、お月見が広く親しまれるようになった江戸時代に中国の月餅にならって団子を供えるようになったと言われています。

▶ 里芋(衣かつぎ)

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里芋は一つの株から子株がたくさん増えることから子孫繁栄の縁起物とされていて、中秋の名月は旬の里芋をお供えするようになりました。

▶ なぜ、すすきを飾る?
月の満ち欠けなどを用いて暦を計算した旧暦では、人々の生活と月は密接につながっていました。特に農作業に従事する人々は欠けたところのない満月を豊穣の象徴とし、秋の収穫の感謝を込めて芋や豆などの収穫物を月に供えました。しかし、稲穂はまだ穂が実る前の時期であることから、穂の出たすすきを稲穂に見立てて飾ったと言われています。

古くからすすきは神様の依り代と考えられていました。茎が中空(内部が空洞)のため、神様の宿り場になると信じられていたのです。また、すすきの鋭い切り口は、魔除けになるとも考えられました。
そのため、お月見のすすきには悪霊や災いなどから収穫物を守り、翌年の豊作を願う意味が込められています。地域によってはお月見に飾ったすすきは捨てず、庭や水田に立てたり、軒先に吊ったりして、災いから田や家を守る風習が今でも残っています。

🌕お月見のはじまり

日本では、奈良・平安時代に月見の文化は中国から伝わりました。
9世紀後半(859〜877)には、宮廷や貴族の間で月見の宴が行われるようになったようです。

中秋の名月を観賞する風習が中国から伝わった。
中国では唐の時代に行われていたことはたしかなのだが、それが始まった時期ははっきりしないらしい。宋の朱弁はその著『曲有旧聞』のなかで八月十五夜の月見はいつごろから始まったのかわからない、といっている。

宋の都は抃京(べんけい)といった。現在の江南省開封市である。その市民たちが十五夜を楽しんだようすが『東京夢華録(1168年)』に描かれている。中秋の夜には高貴な家であずまやを飾り立て、庶民は争って酒楼に席を設けて月見をやり、管弦の音が沸き立つ。宮城の近辺の住民は夜が更けると、遥かに笛の声が聞こえてきて、天上にいるような気分になる。町々の子供たちは夜っぴて遊びふけり、夜まの町の賑わいは夜明けまで続く(入矢吉高・梅原郁両氏の訳による)
(たべもの史話 鈴木晋一著)P127〜

中国が明の時代になると、月見にも変化が見られ十五夜になると町の人びとが酒を携えて湖のほとりにいって酒を飲んだりしました。民間の間では月餅を贈りあった記録があり、清時代の末には月餅を供えて月を祭ったことがはっきりと書かれているそうです。


🌕 江戸後期から変わっていない「お月見」

文献で見るところ、今私たちが自然想起する「お月見」=団子が三宝(神様へのお供え物をのせる為の台)に15個供えられていて、ススキが飾られているというのは江戸後期からの文化で、そこから大きく進化していないようです。

「お月見」の根っこにある文化、「月を愛でる」、「秋の収穫に感謝する」ということは次世代にも残しつつ、食べものや供え物というのは少しずつ現代にチューニングしていってもよいのではないかなと思っています。
(少なくとも月見というのは、平安時代→江戸時代でも大きく進化しておりますし)。そんなことを歴史を通して思ったのでした。


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