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人生何が起こるかわからないよ①人生初の留学ロンドンから急遽ニューヨークへ

急に昔のことを思い出したのでちょっと書いてみますね。

私の日本での大学時代の仲間たちは、在学中や大学卒業後、イギリス留学した人達が多くて、とってもうらやましかったのだけど、田舎で海外なんてとんでもない!という保守的な家庭に育ち、大学を卒業したら長崎に帰るという約束で上京しつつ、卒業後まんまと東京で就職して数年を過ごしました。それでも留学をしてみたいという夢は諦められず、今留学しないと私の人生おばあちゃんになったときに後悔する!と両親を説得し、アメリカに留学をすることを決めました。

ボストンのバークリー音楽大学というところに興味があり、実際に行っている方にお話を聞いたら、卒業まで勉強する予定が無かったら、ニューヨークの方がいいかもとアドバイスをいただき、私は東京で働きながら一人暮らしをしていていたので、数年がんばっても半年くらいの短期留学に必要なお金くらいの貯金を作るので精一杯。ニューヨークにはベーシストのロンカーターさんも教鞭をとっていた、ジャズ科がある州立のシティーカレッジという学校があり、そこの冬学期に編入するようアプライしました。

その頃から通信手段として一応E-mailはあったけど、待てど待てど返事が来ず、ついにシティーカレッジにびびりながらもたどたどしい英語で国際電話をしたところ、今この時点で学校から何も受け取っていないのだったら、冬学期の受け入れは無理、と言われガーン。ニューヨークに留学するんだ!と夏には仕事を辞めて東京を引き上げ、実家に戻り、長崎でバイトをしながら準備を進めてきたつもりだったのに…。

私の留学の夢ははかなく終わるのか、いや、こんなことでは諦めない、そうだ私はロンドンも好き、こうなったらUKのジャズミュージシャンも好きなのでロンドンに行こう!ということで、急遽3月の終わりからロンドンの語学学校のケンブリッジ英検コースに留学することにしたのでした。ヒースローの手厳しいと有名なイミグレーションオフィサーに入国時、ちゃんと学校に入ったら学生ビザにアプライしろと言われ、観光ビザしか出してもらえず。

初めての憧れの海外生活、イギリス、ロンドンは、春とはいえ、いつまでも寒くて天気が悪く、薄手のコートしか持っていかなかった私は最初に天候の悪さにやられて、寒いよ~うつになる人が多いってわかる~という感じで震えてました。学校手配のフラットに2週間滞在した後、在ロンドン日本人の聖地だったジャパンセンターの張り紙で、学校の近くにフラットシェアが見つかり、やっと少し落ち着きラッキー。

ちなみに上の写真の通りに住んでいました。久々に2019年の冬にロンドンに行った時、昔住んでいたところを見に行って取った写真。

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この通りに面した一番上の階のどこかの小さい窓が私の部屋だったんだけど、さすがにもう住んでいたフラットの番地は思い出せなかったな~。私が住んでいた頃よりもさらに高級住宅街の雰囲気。ウォークアップの5Fくらいの大きなフラットで、キッチン、バスルームシェアで、3ベッドルームでカップル2組と私で多分日本人5人くらいで住んでたのかな?

昼間は語学学校に行きながら、毎週タイムアウトという雑誌を買ってその週のイベントやライブを調べて、ジャズクラブに行ったり、美術館などでの無料の演奏を聞きにいったり。カムデンにあるジャズカフェというジャズクラブで日曜のお昼に毎週行われていたジャムセッションに参加したり。またその頃ドラムンベースという音楽が流行っていて、クラブに行ってノンアルコールで踊りまくって(お酒を飲むと途中で疲れちゃうからお水だけというある意味健全)夜中ナイトバスで帰るという生活。楽しくはあるけど、初めての留学で直面した日本とはまるで違うことや、英語力が思ったより伸びない、歌を勉強するチャンスがあまりないなど、夢の留学生活の中での現実とのギャップに悩みながら過ごしていました。

6月、ケンブリッジ英検の面接のために、イギリスらしい単語の使い方や、発音の練習とかしている頃、日本の母と電話で話した時、あんたなんかニューヨークから封筒の来とるよ~、何ね?と言われ、え?すぐこっちに送って!とお願いしたら、なんとシティーカレッジから、Welcome to City College for Fall Semester, 2000! というアクセプタンスレターだったのです。

すっかり諦めていたのに、希望の次の次のセメスターからニューヨークのカレッジから入学許可証が出たのです。日本ってそんなことまずありえないじゃないですか、冬学期に入学を大学に申し込んで、夏を飛ばして、秋学期から普通にどうぞなんて。このまさかの展開にびっくり仰天しつつ、ケンブリッジ英検の試験とコースが終了次第日本に帰国するよう、急遽予定変更。

7月の始めに日本に帰り、実はニューヨークで勉強したいと両親に頭を下げたところ、勉強したくても学校に行けなくて、高校は定時制、大学は夜間と、働きながら頑張ってきた父、私が勉強したいと言ったら今まで何でも許してくれたけれども、さすがにお前は一体何を考えとるのか!と怒りを通り越してあきれられ。イギリスでは語学学校だったけど、アメリカでは大学で学べることになったからとお願いして、アメリカ、ニューヨーク行きをしぶしぶ承諾してもらったのです。

とはいえ、すでに大都会ロンドンで1ポンド200円位の時に約3か月過ごしたので、貯金もだいぶ使ってしまったので、私の夢のニューヨーク留学は秋の1セメスター3か月の予定となり、地球の歩き方に載っているいくつかの安いホテルには空きが見つからない状態にもかかわらず、空港からホテルに電話したら多分どこか見つかるだろう、大学の学生課に聞いたら住むところの情報とかあるだろうと超楽観的に、やっと夢が叶うという希望とわくわく感と、わずかなお金とスーツケース一つで、2000年の8月23日にニューヨークへやって来たのでした。

つづく

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