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⑤人生何が起こるかわからないよ、お金ないなら働けば?

大学を去らなければいけない、そんなブルーな気分の中、アメリカ人の友人に、お金ないなら働けば?とあっけらかんに言われました。え、私、学生ビザだし、そんなに外国人は簡単にいかないんだよ!

でも、でも、こんな私でも、もしかすると何かできるかな…?

とにかくまだこの街にいたい一心で、当時OCSニュースという求人情報が載っている有料の新聞を買って、求人広告をいろいろ探しました。ひとつ目に面接に行ったお仕事は、ソーシャルセキュリティーという社会保障番号にお給料の支払いを報告しないといけないということで、まだキャンパス内のお仕事だけ許される学生ビザの私は諦め、次の面接にいきました。

もともと日本での就職活動、第一希望のレコード会社で、最終面接でまさかの質問に答えられず落ちるという若き日の苦い経験もあり、面接や就職活動はとっても苦手。これもいつか笑い話としてお話できる日がくればいいなあ。

さらに英語も得意じゃないし、な~んにも自信があるものがなかったので、日系の小さな旅行会社の社長さんに面接で、君暗いね~と言われる始末。私、挙動不審だったんだろうな~。

お給料はいくら欲しいですか?と聞かれ、お給料の相場は全くわからなかったので、その頃のルームメートのチャイニーズの女の子がお給料が$2000と言っていたので、えーっと$2000と言ったところ、うちではそんな金額だせません!とばっさり。しまった!と思ったけど、知らなくて言っちゃったからしょうがない。

とはいえ、たまたま日本に帰国するスタッフがいて、人手が足りないということで、ビザサポートもしてもらえるということで運よく採用となりました。

じゃあ働けば?と気軽に言った友人の誕生日の翌日、2001年の7月2日にその旅行会社に入ってお仕事をスタートさせていただきました。旅行業は初めての経験。今はもうその会社にはいないけど、フェイスブックで彼の誕生日のポストがあがるたびに感謝の気持ちがわき、幸せであってほしいと思います。

ただ2か月後、大事件が起こってしまいました。

2001年9月11日、ワールドトレードセンターに2機飛行機が突入、アメリカ同時多発テロが起こりました。会社で日本の家族に国際電話していいと言われて、たまたますぐに電話がつながり母に無事だからねと連絡ができたので良かったのですが(その後、国際電話がなかなかつながらなくなったのです。)それから2週間くらいは仕事の対応があまりにも大変すぎてあまり良く覚えていません。

このあまりにも大変だったおかげで、自分のことを振り返る余裕もまったくなかったので、メンタルを崩すことなく、この時期を乗り越えることができたんだなあと、後で気づいて感謝が溢れてきました。9/11のことはまた別の機会にお話ししようと思います。

空港封鎖、飛行機は飛ばないと不安な中、すっかり足止めをくらい帰国できなかった人達が、全員日本に帰り落ち着いたころ、案の上仕事は激減、上司の一人から呼び出されて、好きなようにしていいと言われました。私はこんな状態じゃまだ日本には帰れないと即答。そんな中、上司の一人が、こんなことが起こるアメリカにはいたくないと、実家のあるタイに帰ることになりました。今思うと、彼女が辞めなかったら、多分一番新入りの私はあの時、レイオフされていたと思います。

ビジネスが上向きになるまでは、無給休暇をとりつつ、ホテルやアトラクションの視察など、どんどん見に行って勉強していました。

自分の時間の大半を仕事に使うことになり、すっかり生活が変わりましたが、貯金を切り崩すことを恐れるのではなく、自分でお金を稼いで、どんどんいろいろな世界を見にいくことに結果的にシフトできたことは、私の人生の中で本当にラッキーなことだったと思います。

つづく



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