見出し画像

中間報告@ダラム・ニューキャッスル

イギリスでの滞在研究も残り三週間を切った。忙しかったのもあるが、精神的な余裕がなく全く個人的なブログを書くことができなかった。他のところでは二つだけ書いた。

研究はそれなりに進んで順調だとは思う。これまでに四人インタビューして、残り四人インタビューしてデータ収集は終わりそうである。そもそもそんなにデータを取る予定じゃなかったのですでに満足しているが、分析に必要なデータが取れているのかどうかはインタビュー研究をやったことがないのでよくわからない。今はインタビューを進めながら文字起こしをしているところである。

同時進行でウィーンで行っている実験も順調に進んで、コロナで状況があまりよくないにも関わらず参加者も集まって、既に半分ぐらいデータを取り終えそうである。これはラボマネージャーが私の代わりにデータを取ってくれているからで感謝してもしきれない。

滞在先の変更

ダラムの研究期間は二ヶ月半と短かったので、ウィーンにいる時から滞在先を探して既に決めていた。普段内覧なしに居住先を決めることはないのだが、今回は場所探しに時間を使うのももったいないと判断し、ネットで部屋を見つけ大家さんに連絡し、バーチャル内覧をしてもらい、そこに二ヶ月半住むことに決める。

大家さんはウィーンにいる時から何かと丁寧に対応してくれ、入国後に必要なコロナの検査キットの受け取りをしてくれたり、私がダラム駅に着いたら車で迎えに来てくれたりと親切な方だった。家は想定していたより狭かったが、そもそも研究しに来ているだけで寝る場所さえあればいいと思っていたので、そんなに気にしていなかった。幸い前のウィーンの部屋とは違ってインターネットも爆速でネット生活は快適になった。

しかし一緒に住むうちに最初はわからなかった不都合な点が色々見えてくる。例えば、午後八時から午前八時までの十二時間、原則音を立ててはいけないということである。大家さんには四歳の子どもがいるのだが、この子に必ず12時間の睡眠を取らせたいからということだった。先ほども書いたように家がかなり小さいので、どこにいても音が聞こえる。キッチン、お風呂の使用は不可能、自分の部屋にこもって喋ることもできないし、トイレすら禁止はされていないものの実際に使うのに相当気を使うレベルであった。

最初はそれも我慢していたが、そのうち大家さんの精神状態が良くないと子どもに頻繁に怒鳴ることがわかり、同居人(私ともう一人の女の子)にもきつく対応するようになってきた。細かいことは書くのも大変なので省略するが、大家さんの家族関係のゴタゴタをきっかけに家の状況がさらに悪くなり、この家で過ごすことにものすごくストレスを感じるようになる。和解を試みようとしたが最終的にメッセージアプリでブロックされ、自分の身に危機を感じた私は即座に出ていくことにする。

短期滞在ということと自分がこの大家さんを信用していたこともあって、全てお金を最初に払ってしまったことが仇になり、デポジット含めて1000ポンド少しが返ってこないまま、転々と移住先を変えることとなった。今は滞在終了まで同じ部屋を確保できたので、そこで平和に暮らしている。

幸い各方面で親身に話を聞いてくれる人がたくさんいたので救われたのだが、しかしそれでも精神的にショックでブログを書く気持ちにもならなかった。インタビューに悪い影響を与えないようよう、気持ちを整理するだけで精一杯で今までやってきたという感じである。

今は法的手続きに向けて準備しているところで、まさか自分の人生で誰かを訴えるようなことになるとは思ってもいなかった。そもそも訴えたところでお金が返ってくる保証はないし、まともな契約書を作っていなかったことからその可能性が低いのは目に見えているのだが、しかしここで泣き寝入りすると何もなかったのと同じことになる。これ以上失うものは何もないし気長にやるつもりである。

ニューキャッスル

最初の滞在先を出てからは滞在終了日まで住む場所が見つからなかったので住居を転々と変えることとなった。荷物の移動は大変だったがその間にスペニーモアでの素敵な出会いもあったので悪いことばかりではなかったのだ。スペニーモアを出てからは恋人がイギリスに来てくれたのでニューキャッスルに滞在していた。ダラムから電車で十分、バスで一時間程度である。

ニューキャッスルはダラムよりももっと都会なのだが、かと言ってロンドンみたいな大都会でもない。市街地を離れると自然豊かなところばかりで、滞在していたところは自然の多い静かな地区だった。

画像1

画像2

市街地は橋が多くて綺麗な夕焼けが見える。

画像3

ニューキャッスルでは特に何をするわけでもなく、散歩をしたり家でゲームをしたりしてのんびり過ごす。ヨークまで出かけて共通の友人に会ったりもする。二年ほど続くコロナ生活だったり先の大家さんとの揉め事もあって、ただ心地の良い人たちと平和に過ごすだけですごく幸せに感じる。滞在研究中の良い息抜きにもなった。

民族音楽の輪

ダラム大学での指導教員となってくれている先生が、私がイギリスに来て間もなくとある民族音楽学者を紹介してくれた。その人はもう退職されているが以前は日本民謡などを研究していたそうで、私が日本人ということもあって一度会ってみたらどうかということだった。奥さんも日本の考古学研究をされているということだった。

一緒に夕食を食べることになり、お会いしてみると実に気さくなアメリカ人ご夫婦で、日本語も話されるし日本のこともよく知っているので色々と話が弾む。旦那さんのデイビッドさんは昔日本でも教鞭をとっていたし、民謡のCDまで出しているという驚きの方である。研究者だからというのもあるが本当に日本の民謡をよく知っていて、自分が日本人なのにまともに一曲も歌えないことを恥じる。

デイビッドさんはダラムのパブで行っている民族音楽のセッションに誘ってくれたり、大学のインドネシアのガムラン音楽の会なども紹介してくれたりして、私を地元の民族音楽の輪に巻き込んでくれた。デイビッドさんがいなければ自分の滞在は全く異なるものになっていただろうから、本当にありがたい出会いだった。

普段ウィーンでは音楽を使った心理学実験を行っているだけで音楽自体の研究をしているわけではないのだが、しかしそれでも縁で音楽学部を訪れることができて、こうやって民族音楽の輪と繋がることができたの素晴らしい。私も人と人を繋げるような、そんな素敵な人に将来なりたいものである。