七月二十日・二十一日@ウィーン

七月二十日

先週の水曜日から金曜日まで音楽と認知科学の学会がウィーンであったので参加した。二年以上ぶりの対面の学会で、いろんな人と交流できたのはよかったし、個人的には初めての口頭発表で準備段階から色んな経験ができた。学会自体は小規模でフレンドリーな雰囲気だったのだが、認知科学よりは音楽の研究をメインにしている人が多かったので、自分はその間のいるというか、むしろ認知科学よりだったため、なんとなく疎外感も感じたのが正直なところである。この気持ちはまた別の記事で書こうと思う。

学会前に論文の修正を先生に送り、そして学会が終わって、もちろんやることは山積みなのだが一旦ホッと一息がつける時間がようやく持てた。体感的には三月からずっと休みがなくて忙しかった。と言うのは本当は嘘で思いっきり先延ばしをしたり何もしなかった日は何日もあるのだが。しかしフェローシップの申請だったり学会のアブストラクトとか先ほど述べた口頭発表とか、何かしらの締め切り的なものが続いていたのと、月に一回にドイツかオランダに行くことがやはり精神的にも肉体的にも負荷だったのだと思う。今は一ヶ月ほど一人でウィーンで伸び伸び過ごしていて、だんだん充電できるようになったのかもしれない。

今日はお願いされた査読の締め切り日(二週間伸ばしてもらった)。もうすでに読んでいたが、ゆっくり自分のことは気にせずにコメントをまとめて送る。昔若干口調のきついレビューをもらってあんまり嬉しくなかったので(正直英語のニュアンスなんてあんまりわからないので自分は気にしていなかったが、指導教員がこれはひどいと言うような雰囲気だった)、自分は失礼にならないように丁寧にコメントしたつもりだが、日本文化のように(?)あまりオブラートに包みすぎると何を言いたいのかわからなくなるので、改めて批判的なコメントとは難しいなぁと思った。そもそもコメントが的外れの可能性もあるが、まぁこれは数をこなして学んでいくしかないんだなぁとなぜか楽観的にやれた。

明日先生との修正した論文についてのミーティングがあるだけで、特に急ぎのこともないので夕方はゆっくりする。マインクラフトとか(今別に作りたいものもないのだが、ひたすら鉄を集めたりしている)。

七月二十一日

今日は朝先生からメールが来て、急用ができたから対面じゃなくてオンラインミーティングにしてくれと言われる。最近は対面とかオンラインとか柔軟に選べるような雰囲気になって、色々コミュニケーションがやりやすいなぁと思ってる。私のラボの場合は、やることさえやってれば別にオフィスに来なくてもいいし(私は家が暑いので行くけど)、対面じゃないとできないことって実験刺激(特に音に関わるもの)の選定とか実験環境のチェックぐらいしかないし、もうデータを集め終わってほぼ分析と書く作業しかない私にとっては、場所を選ばずに作業できるのはありがたいなぁと思う。ただ私はウィーンにいるし大学にもいくのだが。家にずっといると雑談する瞬間とかがないので、単純に疲れるし、思いがけない出会い(研究のことでも研究以外のことでも)も生まれない。

先生とミーティングして行き詰まっていた改稿作業に少し光が見える。やはり自分のところにあまりにも長い時間留めておくのは生産的でないし、自分を必要以上に苦しめるからある程度悩んだら誰かに渡すことを学ばなければならない。

ここが私のよくないところだが、せっかくやる気が出てきているにも関わらず結局何の作業もせず一日を終える。最近下記のポッドキャストやYouTubeを見て宗教的なものや信仰心に興味があって、色々調べていた。

そしてそういえ鶴見俊輔が科学と信仰に関する本を書いてたような気がして、久しぶりに他の本と雑貨とともに恵文社に注文する。

信じる力ってなんだろうということを考えて心がもやもや。