一月二十四日・二十五日@ブダペスト

一月二十四日

今日はブダペストに帰る日。朝ごはんを食べて少し大学で作業したあと、お昼に大学前に集まってバスを待つ。日本の大学に就職が決まったラボのロシア人の先輩が私のところにやってきて、婚約証明書を日本語に訳して欲しいと頼まれて快く引き受ける。その他普段あまり離さないオーストラリア人の先輩と談笑する。つくづくインターナショナルな環境だなと思う。

バスで揺られて三時間ほどでブダペストに着く。道中はNetflixでダウンロードしておいた『夫のちんぽが入らない』を観る。『全裸監督』といいNetflixオリジナルは最近女性の性に注目した作品が多く気になる。単純にエロいから見てしまってるだけかもしれないが、これまでずっと女性の性の問題は社会からないことになっていたのだとつくづく考える。

着いたらもう料理する気力もなかったので、先輩からもらったシンガポールのラクサというから辛いココナッツ風味のヌードルを食べる。めちゃくちゃ美味しかったのでスープまで飲み干した。

一月二十五日

五日ぶりの我が家だが、帰ってきたら隣のイタリア人の女の子が既に引っ越していた。一月末に引っ越すと言っていたが、こんなにいきなりいなくなるものなのかと思う。よく考えたら連絡先すら知らない。

朝はピラティスのクラスにいく。今日のクラスはしんどくなかったが、しんどくないってことはちゃんとしたポジションでトレーニングが出来ていないのかなど思う。

そのあとは大学に行って作業するが全く集中できず。少しプログラムを直したりするが、何だか本当にやることが多く、何をしたらよいのかわからなくなって手がつかない。やることはどんどん積み上がって一向に減らない。理由は明らかで手を動かしていないから。

夜になって今度イギリスに就職が決まった先輩の家に行って梅酒を開ける。その先輩は梅酒が好きだと行っていたので、この前日本に帰った時に持ち帰っていた。梅酒を飲みながら、PhDの悩みとかポスドクの体験談とか色々聞いてもらったり相手の今までを聞いたりする。

自分と同じ経歴を辿ってきた人の話なので、研究生活を軸に色んな話をしたが、その中でも改めて思ったのは異国で暮らすだけでも相当ストレスがあることを自覚した方がいいということであった。

先輩はオーストラリアで生まれ育ってPhDもオーストラリアで取得し、その後ポスドクでカナダ、ハンガリーと移り住んできたわけだが、やっぱり親しみのある土地で研究するのと、異国で研究するのでは、無意識のうちに色んなところに気を使っていて、疲れやすいし不安になりやすいとのこと。

私はイギリスに移住して、そのあとハンガリーに移って今三年だが、自分は海外生活に向いている方だと思った。ホームシックで泣いたことがないのはもちろん、普段日本に帰りたいとさえあまり思わない。確かに美味しいご飯とか湿気のある空気とか、どうしてもこちらに持ってこれない様々な魅力はあるが、それだからと言って自分の将来を考えた時に日本にいるのはまだ少し先でいいのかなという気がする。

しかしながら何だかここ二年ほどの浮ついた感じは、海外生活の苦悩によるものなのかもしれないと思ったりする。でもそうでない気もする、研究生活のせいかもしれない。はたまた年のせいかもしれない。きっと複合的なもので原因を考えたって仕方ないのだが。

研究が好きでまっすぐでこれしかないと疑いのない人間に生まれていればどれだけ楽だったろうか。博士課程ごときで何を言っているんだと思われるだろうが、博士ですらこんな気持ちになるので、到底この先やっていける気がしない。かと言ってやめて何をするのかと言われても、まだ言葉に詰まってしまう。