十月六日・七日@ブダペスト

十月六日

友達が泊まりにきていて一日目。早く起きると言いつつ結局起きない彼女が愛らしい。私は朝ごはんを食べて大学へ向かう。

木曜日の発表のため、普段の授業を放置していたので、確率の勉強からしようと思ったが、ノートを書いたり、自分の日記を読み返したり、散らかしたオフィスを片付けたり、ネットサーフィンをしているうちにどんどん時間が経っていく。大学についてすぐパソコンを開くのがよくないのかもしれない。

しかしながらノートを書いたり、自分の日記を書いたりすることは、私にとっては振り返りの営みとしてとてもよく働いているような気がする。今がしんどいなぁと思っていても数ヶ月前を見てみたらもっとしんどそうなことが書いてあったり、あるいはとても楽しかったことなどが書いてあったりして、今の自分もそのうち過去の一部になるのだなぁとしみじみ思う。

そういえば高校は仏教系だったので、週に一度朝の礼拝という集まりがあり、学年ごとに朝集まって歌を歌ったり、静かに目をつぶってる時間(名前があったような気がしたが思い出せない)があった。生物の先生(同じ高校の出身)が、私は大人になってこの朝の礼拝がなくなってから、自分の振り返りができなくなって、うまく自分の状態を把握することができなくなってストレスを抱えていた、なのでこの時間をみなさんにも大切にしてもらいたい、のような趣旨のことを言っていたことがあり、当時は朝早くに学校に来ないと行けなかったのでただ単に面倒臭いなと思っていたが、今はなるほど先生が言っていたことがよくわかる。

結局そこまで集中することもなかったが、疲れているし土曜日なのでそれで良しとする。夜ご飯は揚げ茄子のそうめんを作って、揚げ茄子の美味しさに感動する。

十月七日

今日も朝から起きない友達、そのままにして家を出る。Kálvin tér(カルビンテール)にあるお気に入りのカフェが混んでいなかったので、そこで少し確率の勉強をしてゆっくりする。途中、団体客がきてうるさくなったので退散する。

学校についてからも確率の勉強をするがいまいち集中できない。昔やっていて長らくしていなかったタスク管理でも始めようかとアプリなどを見る。博士の出願の時とか修士の実験や論文を書いている時などは、なるべく細かくやることを細分化して、日々少しずつこなし、スケジュールに添えば(理論上は)目的が達成できるようなシステムを作るようにしていた。

これをやめてしまったのは研究計画書の提出が終わり、進級試験にパスしてから、取り組むべきことの課題が大きすぎて、どう分解したらいいのかわからなくなり、そのまま逃げて夏休みに入ってしまった感じである。

木曜日の発表を踏まえてある程度具体的な実験に必要な設定がわかってきたので、授業と研究と、両方少しずつ何をしなければならないか細かく考える。とはいえ、研究の方はやっぱりすごく細かなタスクに分けるのが難しい。

昼は両親とスカイプをする。帰国してから久しぶりに喋ったが、喋りながら、まぁまぁ自分は今の生活を楽しんでいるということにも気づく。進捗が見えない日々を過ごしているのではあるが、なんかこれが研究なのかなぁと思ったりする。

学部の時や修士の時は、実験環境を整えたり、実際に参加者を募集して実験したり、データを分析したりするのは楽しかったが、肝心の実験計画はそれぞれ元になる一つの先行研究に頼って、自分はちょっと条件を変えたりということをしていたので、ある種正攻法ではあると思うが、大きなアイデアの導出というところは鍛えてこれなかったのかなぁと思う。

(※当たり前だがほとんど研究は何かしらの先行研究を元にしているわけであり、今やっている実験計画が完全なオリジナルというわけではない。ここまで書いていてとりあえず手を動かせと心から思う。)

夜は滞在している友達がイタリアからレモンのタリオリーニを持ってきてくれ、それを茹でてさっぱりオリーブオイルとペコリーノロマーノ、バジル、黒胡椒であえて食べる。ハンガリーのトゥーレイのシャンパンと共に。昨日からずっと喋っているが、お互いの価値観とか、この夏にあったことなどを話す。異性の話が多かったが、内容についてどうまとめればいいのか適切な日本語が見つからない。