四月十四日・十五日@ブダペスト

なんだか気づいたらあっという間に一日が終わっている、前の日記を書いたのがもう二週間ほど前ということに驚きを隠せない。長い外出規制のおかげで時間の感覚が狂ってしまった。

四月十四日

今日はベイズ統計の最後の課題提出日なので、朝からひたすら問題をみて解き始めるが、これまでは間違ってるだろうなと思いつつ何かコードを書いてみたが、今回は全く何から始めたらいいのかわからない。

困ったと思うが今更教科書を読んで一から勉強している暇もなく、まぁ何か出せばB-とかCぐらいはくれるだろうと思っているので(よくない心構えだが多分事実)、半ば諦めモードになる。夕方ごろに先生から「あまりにも延長の声が多いので一週間締め切りを伸ばします」という連絡が来てガッツポーズ。

明後日指導教員とのミーティングがあってそれの準備が終わってないので、ベイズはやめて自分の研究をするが、なかなか思うように進まない。とは言え不思議なもので、外出規制前の崩壊していた研究生活よりはまだほんの少しだけましである。進捗に変わりがあるかわからないが、心持ちは少し余裕がある。

夕方はラボミーティングに参加して、先輩が計画している実験計画や実験刺激について議論する。赤ちゃんに見せる実験刺激(アニメーション)は、研究者がある「意図」を盛り込んでいるのだが、研究者ではない一般の大人にこのアニメーションを見せて、研究者が意図しているようなことは果たして読み取られているか、それを直接聞くのではなく潜在的な反応としてどうやって測れるかなどについて話した。

本当なら火曜日はハンガリー語の授業の日だが、残念ながら今期の私のレベルは人が集まらなかったのでなしになった。個人で先生を探すかどうか迷い中。

四月十五日

今日は夕方のコロキアムまでフリーなのでただひたすら明日のミーティングの準備をする。外出規制前みたいな、どうにもやる気がなくてただパソコンの前に座っているということは少なくなったが、とは言え少しずつしか進まないので思っていたものの半分もできない。

今までタスクに関する自分の見積もり時間と実際にかかる時間を可視化してこなかったので、毎回「あぁ思ったより時間かかった」「あぁ思ったよりできなかった」と思うだけで、ただただ精神の健康に悪いので、最近はどれぐらい自分の予測と実際が外れているかを計測することにした。大体思っているより二倍ぐらいかかってる。ただそれだけのことである。だからこれからは思ってる二倍かかるor半分しかできないと思った方が良いだろう。

夕方のコロキアムは、スタンフォードで発達心理学の研究をしているポスドクの人の話。感情や表情の研究だが、着目点が面白くて、それ自体の研究ではなく、大人の感情表出が子供の学習にどういう影響を与えているかという話だった。自分の分野と近かったので面白く聞けた。スタンフォードみたいな遠いところにいる人も招待できるのが、リモートコロキアムのいいところである。

どれだけ進捗がなくても、とにかく今は健康第一なので(というか通常時も本来はそうだろうが)、夜ご飯の時間になったら中断してちゃんと食べる。ご飯を食べながらYouTubeを見てると、なぜかバイリンガールの動画がおすすめされているので見てみる。あとで知ったがこれは今炎上している案件のようだった。

バイリンガールの動画は見たこともあるが、ハンガリーに移ってからはほとんど追っていなかった。経緯は知らないが、マレーシアに観光ビザで入っているけれど、現地の医療が不安だし子ども(幼児)もいるし両親もアメリカから帰ってくるし、今が日本に帰れる最後のチャンスかもしれないので、帰国することにしました、といった具合だ(細かいところは違ってるかもしれない、詳しくは動画を)。

私もハンガリーで外出規制が始まった三月十六日頃から帰ろうかどうか考えていたので、帰国者の話は自分事として考えてしまう。炎上したことに関しては色んな要因がありそうなのでなんとも言えないが、私は彼らが帰国という決断をしたことに対していいとも悪いとも思わない。それぞれ決断には理由があるので、個人の自由を尊重する限りはその原則に沿って行動するだけだ。勝手に行動されて困るのであれば、日本政府が日本国民を含めた海外からの入国禁止か、帰国後の徹底した隔離措置を用意しておくべきだ。

人間は文化の違いはあれど結局自分勝手な生き物なので、なんだかんだ自分の行動を正当化するようにできてるのだと思う。というかそういう認知バイアスがかかっていないと日々生きることは難しいだろう。私はハンガリーに住んでいて、帰国しないと決めた人だ。それは自分の日本の家族が健康で仕事もある(コロナのせいで失職する可能性が限りなく低い)こと、私も健康でこちらでの収入が途絶えないこと、ハンガリー語はできなくても周りのサポートが手厚いこと、現地の医療は日本と比べ物にならないぐらい悪いが移動中に感染する(無症状で撒き散らす)リスクが高いと踏んで、緊急ではないから今は帰らないと決めた。

大学は当初規制がかかる前、できるだけブダペストに残るように指示をしてきた。というのもハンガリーの外に出てしまうと、ハンガリー国内にいるのと同様のサポートを与えられるのかわからないからということであって、これは納得のいく理由付けだと思った。しかし実際外出規制が始まったあとは、国に帰る判断は個人に任せる、どこにいてもできるだけサポートは続けるつもりだという表明に変わった。これによって不安に思った学生もいるが、結局大学は各個人に意思決定を任せた。学業が全てオンラインで続けられそうということもわかっていたのが大きいかもしれない。

周りの同僚でハンガリーで外出規制がかかってからパニックになって一斉に帰国した人々をたくさん見てきた。特に他の大陸(主にアメリカ、アジア、オセアニア)の人たちは、早い決断をして帰国して行った。大体はハンガリーの医療と政治(独裁色が増している、外国人に対する差別)が不安なので、母国に帰るということだった。ちょうど三月の中旬は各国ヨーロッパからの渡航を制限し始めた頃だったので、飛行機がなくなってしまう前に帰りたいという人々のとても素直な行動だった。

帰国を決めた人たちの帰国する理由は私が帰国しない理由と同等に尊いものだと思っている。できる範囲の中で、自分の状況を考えて、どうするのか選ぶのだから、私はどっちがいいとも悪いと思わない。でも日本に住む人が、海外からの帰国者に対して特に敏感になっていることも分かるし、私みたいに帰国しないと決めた人(帰国まで大袈裟に言わなくても、ロックダウンで都市間の移動ができなくなった全世界の人々)が、この状況であってもなお「自分が動く」という決断をしたのかと少し残念に思う気持ちもわかってもらえると思う。

私はSNSにどっぷり浸かっているので(全く自慢することではないが)、緊急宣言が出る前の日本人が、いかにアメリカやヨーロッパの状況がひどくても他人事と思って、「何もないかのように」振る舞っているのを知っている。帰国者だけが特別自分勝手と思わない。前の日記に散々怒り倒したが、自分の両親を含めてみんな自分勝手なのである。外出を自粛して欲しいと言われていても、店が開いていたらそこに客は来る。なんならお店を潰さないようにという良心すら持って訪れているかもしれない。

人々に動いて欲しくないのであれば会社もお店も閉めるしかないのである。そうでない限り人々は仕事に出続け、店に通い続ける。もちろんほとんどの人がそうじゃないと信じたいが、開いている限り会社にも店にもいく権利があるということだ。

法と個人の自由。確かにハンガリーのように無期限で人々の行動に制限をかけ続けられるような独裁的なやり方も問題であるが、日本政府の個人の行動の自由を一見「尊重」したようなやり方が、この状況下で本当に個人の自由を守っているのか甚だ疑問に思った。バイリンガールと話は逸れたが、そんなことを考えて彼女に対する批判動画やコメントなどを見続けて悶々と考える。

結局今は日本も緊急宣言が出て、日本に家族がいる私としてはホッとしている。SNSを見る限りまだ飲みに行ったりご飯を食べに行っている人々を見かけるので、ヨーロッパで行っているような厳しい(罰則付きの)緊急宣言ではないのかもしれないが、出さないよりはましである。