他人の離婚、内的不安、ハリポッター

最近散歩の仕方を変えた。今までは風景に飽きないように、同じ道は二度と通らず教会の周りをぐるっと一周三十分ほど歩いていたが、最近はもう少し運動時間を伸ばしたいと思い、ある一定の箇所を二周して三周目は教会の前を通るという流れだ(ざっくり六キロ一時間ほど)。ウォーキングとしても時間が長くなったので身体にも良いし、何より同じ場所を回っているのであまり景色に注意を払わずに、色々考えたり考えなくなった時間ができた。今日は散歩中の雑多なことをメモ。

他人の離婚

すでに結婚した人も多い年頃になったが、周りで離婚する人も見かけるようになった。身近な離婚のプロセス(離婚するという発言を聞いて、実際に離婚するまで)を見ることができたのは、昔の同僚一人とこちらにきてからの友人一人である。

二人とも国籍も違うし年齢も違うが、共通するのは二人とも女性で、夫が個人事業主(といっていいのかわからないが、自分でビジネスをしている人)である。会社が小さい時、二人とも夫のビジネスを支え続けた。子供にも恵まれて、子育てもこなした。

子供がある程度大きくなって学校に通い始めた頃、彼女たちは自分の模索を始めた。というかいきなり始めたわけではなくて、夫のビジネスと子育てに隠れてずっと心に温めてきた夢や期待だと思う。それをこれまで我慢して他の人を優先に生きてきたわけだから、それをそろそろ広げはじめようということだと思った。

詳しいことは書かないが、要はそれぞれの夫はこの二人の女性が自分の庭を超えて自由に生きようとする様が気にいらなかったようだ。それそれ思い描く(自分が制御できる範囲内の)理想の妻であり母親像があり、そこに収まりきらない優秀なパートナーを目にして、縛りつけようとしたというわけである。

ここまで書いたが私は離婚は愚か結婚すらしたこともないし、夫側とは面識がないので、二つの離婚の認識にバイアスがかかっているだろう。なのでどちらが正しいとか悪いとかそういう判断をするつもりはない。

他人の離婚を見て思い出したのは、人生で身近な夫婦である両親のことで、父と母は今も仲良く暮らしているが、家庭内のヒエラルキーは常に父>母であり、それは主に経済的な理由からくるものであった。父は外ではどれだけ母に感謝していると言っていても、基本的に収入面で支え続けた自信もあってか、母のことを低く見ている節があったのは娘の私ならわかる。

母はとても気持ちの良い人で、そういうことを全て分かった上で家庭を支え続けてくれたように思う。私からすると父も母も同等に尊敬しているが、たまに父親の女を下に見るような発言を聞くと、本当に心の底から母に申し訳なくなり、彼女をどうにか開放してあげたいと思う。何故だか二人の友人の離婚を見て同じような気持ちになった。

とはいえ結論は簡単で、肉親とはいえ(まして他人など)、私がどうにかしてあげられることはない。相談にのって話を聞いてあげることはできても、私は結局無力なただの他人である。

ジェンダー論を語るつもりもない。ただ、長年連れ添った夫婦(でおそらくお互いを分かり合えているような二人)が、自分の範疇に収まらなくなる恐れからか、離れ離れになってしまうのは悲しいと思った。私にはパートナーがいないが、例えば将来誰かと一緒に住んだり、子供を授かるか迎えるかして誰かと深く関わり合うことになった時に、相手を制御することなく、しかし繋がりを持って関わるにはどうしたらいいのかと考えると怖くなった。

内的不安

少なくとも私は昔は不安というと外的不安のことを主に考えていたと思う。食べ物とか虫とか注射とか、そういう物理的に嫌なものに対して不安の原石みたいなものを抱きはじめ、家だと親(父)に叱られるという恐怖と、そのうち社会生活を送るようになって学校で友達と仲良くなれるかというような社交不安を抱くようになった。物理的・対人的、どちらにせよ何かがあって不安な気持ちになるというものである。

中高の間も社交不安が大きかったが、そのうち成功と失敗がわかりやすい「受験」というものの存在が大きくなり、何度勉強してもわからないとか、試験で全く理解できない問題がでたらどうしようとか、具体的な実態が持ちにくいなんとなくボヤッとした不安が現れるようになった。これも外的な「受験」によって誘発される不安だが、不安の対象は(個人的な感覚としては)心配してもしょうがない、自分の内側で生成されるようなものに移り変わっていったような気がする。

浪人時代で一度そのピークを迎え、大学時代は平凡に暮らしつつ卒業研究で同じような不安にまた出会った(それは受験の不安とは少し違った)。働き出してからは長らくこの感覚を忘れていた。業務に対して「できないかもしれない」というような不安を抱くような仕事をしなかったというのが大きいかもしれない(時間がかかっても能力的に不可能と思えることは少なかった&そもそも裁量がないので自由度が低かった)。

イギリスで修士過程にいたとき、その後ハンガリーに移って博士課程になると、この不安がもっと大きなよくわからないものに変わって、ぼんやりと日常的に感じるようになる。受験の時はまだ試験範囲があって有限の範疇であった(それでも大量の情報だが)。研究はその性質上、ほぼ無限大の世界にポツリと一人置かれたようになり、また異国に一人文化的にも切り離された状態のためか、自分の内側に存在する不安に(たとえ前から存在していたとしても)意識的に気付くようになる。

もはや特定の何かが怖いというのでなく、強いていえば自分が怖い。よくそのような気持ちになるのは論文を書いていたりコーディングをしている時なのだが、これらの作業は何も書いていない白いところから(一応)自分なりに文字を埋めていく作業であり、無限大の可能性がある。良く捉えると完全な自由なのだが、この完全な自由がとてつもなく怖い。

ハリーポッター

ハンガリーのNetflixではジブリが全シリーズが全て見れるのに加えて、『ハリーポッター』も全作見れると知った。昔数作みたことはあったが、通して見たことはないので、これを機会にお昼休憩などに少しずつ見始めることにした。

居住地のせいか、基本的に日本語の吹き替えもなければ日本語の字幕すらない(字幕ぐらいあってもいいのにと思う)。なので、必然的に日本語の作品でない限りはお隣韓国の作品であっても英語の字幕で見なければならない。

別に英語の勉強をしようと思って見始めたわけではないが、さすがにハリーポッターは英語の勉強になるなと改めて感心した。Netflixで他の映画も英語で見ているが、そこまで英語の表現に引っかかるようなことはなかったが、イギリス英語のせいもあってか気になるものが多々出てきて調べずにはいられない。

そういえば一言一句追いかけてるわけでもないが一応それなりにプロットは終える程度には英語がわかるようになったんだなと感じた。四年前、関西国際空港から香港経由でロンドンヒースロー空港に向かうキャセイパシフィックの飛行機の中で『ラ・ラ・ランド』を見た時はミュージカル調であるにも関わらずなんのことか細かいところがよくわからなかった程度には英語が下手だったが、何事も毎日100%でなくても諦めず継続することが大切なのだと感じた。