日常のふとしたきらめき

心を亡くすと書いて忙しいだが、確かに本当にそうだなと最近思います。とはいえ、私の生活はいわゆる日本の社会人の方が経験しているような忙しさではありません。例えば指定の時間は会社にいなければならないとか、誰かとの予定で埋め尽くされているとか。つまりどこかの場所に拘束されるという意味では、ありがたいことに、私は自分で自由にスケジュールを決めることができるし、何をするのも、どこにいるのも、ほぼ全て私の裁量なのです。

しかし心を亡くすという意味では、あれやこれややるべきことが頭の中に積もり積もって、最近若干のキャパシティオーバー気味です。主に研究のこと、大学のこと。研究のことは、とにかく手を動かすだけで動かしてるけど思ってるより進んでいないので焦るし、大学のことは、会議に参加すること自体は楽しいけれど、これが実はかなりストレスで疲れてしまって研究にいまいちのめり込めない原因にもなってる気がします。

とにかく身体を壊さないように、特に精神的に、と思って頑張りすぎないようにしてます。同じ部屋のラボメイトと昨日話していたら、彼女は1・2年生のときに頑張りすぎて、授業の単位も人より早く取り終わったし研究も進んだけど、かなり精神的に辛かったそう。

That's not the way you live your life.

日々のやることにとらわれてると、生きるって何かっていうことを改めて考えることもなくって、自分の生活の暗いところばかりが目に入ってしまうし、その闇に引き込まれてしまう気がする。研究もうまく行かないし、英語も喋れないし、友達も恋人も家族もいないし。

でも今日ちょっと朝に時間をとって走り、ゆっくりご飯を食べたあと、食べ終わった食器を片付けようとふとお皿に目を向けた時、窓から差し込んだ光が木漏れ日のようになって、それは写真で納めてしまうとただのパンくずが広がったお皿なんだけど、そのワンシーンがとても絵になって。なんだか久しぶりに日常に美を感じたのです。

こういった何気ないワンシーンに自分の美的感覚が触発されて、なぜかそれが生きてるなぁっていうある種の身体感覚に繋がる気がします。人それぞれ生きるという身体感覚は違うと思うのですが、私はそんな日常のきらめきのカケラみたいなものに惹かれるし、その日常を当たり前と思わずにできるだけで大切にしたいなぁと思った十一月中旬のとある日の午後でした。