博士課程の折り返し

気づけば博士生活三年目に入りました。うちの大学ではだいたい四年から五年で博士課程を終えるようなプログラムになっているので、今がだいたい折り返し地点ということでしょうか。なるべく早く終わりたいですが、あと三年ぐらいはヨーロッパにいるのかなという気がしています。その後の仕事次第ではもっと長く海外にいるのでしょう。

修士のためにイギリスに来てから丸三年ヨーロッパ生活を終えました。気づいたら三十歳になっていました。確かにあっという間に時は過ぎていったのですが、しかしながら自分が大学を卒業したのが2013年でまだ六年しかたってないかと思うと、それはそれで信じられません。卒業が十年以上前ぐらいように思えます。

何となく大学卒業後からのことでも書いておこうかなと(自分のことだけど忘れそう…)

0. アカデミアに戻るまで

卒業してから大学院に入るまでの三年の間に色々ありました。卒業してすぐに就職先がみつからなかったので、京都グラフィーという京都での国際写真祭のお手伝いで大西清右衛門美術館で働いていました。

私がお手伝いしたのは第一回目で、その時の立ち上げの人たちと話したりした感じだとすごく資金繰りに苦労しているようだったので、その後どうなるのかなと思っていたのですが、もう今年で七回目ということ。続けることは難しく、それだけに素晴らしい。

そのあとは京大のこころの未来研究センターというところで、センター長の秘書として働いていました。事務的なことから実験や授業の手伝い、アウトリーチのイベント運営や記事を書いたり、外国人研究者のお世話など、とりあえず研究まわりのあれこれ補佐をしていた時期でした。

センターに一年お世話になったあとは、二年間恵文社一乗寺店という本屋で働きました。店頭販売はもちろん、ウェブの更新やオンラインショップの運営、その他在庫管理、仕入れ、ギャラリーの設営、イベントの企画など、良くも(悪くも)何でもやりました。

そのあとロクでもない恋愛をしたのがキッカケで、イギリスの大学院に行こうと思い始めます(このあたりの非論理的な感じが割と好き)。大学在学中ならまだしも、一旦社会人になって海外の大学院に行きたいと思ってもそんな簡単にいけないものですが、大学時代の先輩、こころの未来で出会ったイギリス人の先生と家族のサポートがあって、恵文社をやめてからわずか半年後にイギリスへと渡航できました。

1. イギリスでの修士生活

2016年の秋から一年の修士課程に入ります。イギリスでは一般的ですが、半分授業で半分研究のコースで、日本や大陸ヨーロッパの研究中心の修士ではありません。もうちょっと勉強したいとか、修士から分野を変えたり、あるいは社会人からの復帰もしやすいようなシステムなのかと思います。

(※ちなみにイギリスでは博士課程に行くために修士号は必要ないので、ハナから研究一筋の人は学士から博士へ行けます)

初めての海外生活、最初の一ヶ月こそウキウキでしたが、その後冷静になると毎日不安でした。卒業後すぐに博士に行くなら、入ってすぐ(年末〜年明けごろ)に応募しなければならず、まだ修士に入って何にもしてないのに博士の志望書を書くという状況でした。

結果的には良い成績で卒業できたのですが、普通の日常会話も九割がわからないというか頭に入ってこなくてただその場に存在しているだけのことが多く、数分だけでもプレゼンしなければならない時は吐き気がして堪りませんでした。英語に対する拒絶反応というか。

幸か不幸か、日本人の知り合いはほとんどおらず、動画、映画やポッドキャストなどで日本語を聞く機会はあっても喋ることは滅多にありませんでした。ハンガリーに行くため修士課程を早めに終えたのですが、その時に一時帰国して関空でペコペコお辞儀する人々(お疲れ様でした〜など)を見て、涙が出そうなぐらいホッとしたのを覚えています。

2. ハンガリーでの博士課程一年目

イギリスにも結局十ヶ月ほどしか滞在しないまま、次の国へ移動になったのですが、家探しもスムーズに行き、あっという間に学期が始まります。博士課程なのに、一年生の間は授業と研究計画書の作成ということで進級試験までは研究はなし。授業は修士の時よりも多く、また少人数クラス(六人ぐらい)のため必ず何か発言しなければならずかなり辛かったです。

海外生活二年目であり、大学の公用語は英語なので、毎日英語に触れるのですが、それでもいきなり上達することもなく、何気ないことで喋りかけられるのさえ怖かったです。ただ、非ネイティブが多いので、英語が下手でも割とわかってくれるし、自分も心が開きやすかった気がします。

もはや二年前の感覚すら薄れゆくので怖いのですが、結構サボっていた記憶があります。文献を読むのが辛くて、本当だったら五倍ぐらい読めていたと思うけど、ろくに読まずに計画書を書いた気がします。計画書もそこそこのボリュームだったので書き上げるだけでも辛かったです。質がよかったのかどうかわかりませんが、進級試験通ったからいいのかな…。

学期終わりの夏に日本に帰りましたが、この時には既に祖母が亡くなっていました。大学と高校の友達と中心に遊び、前の職場に帰ったり、ネットの友人と会ってみたりなど。まだ日本が安心する感覚。

3. ハンガリーでの博士課程二年目

年々しんどくなっているように思うだけかもしれませんが(そして直近の感覚を鮮明に思い出せるだけで本当は昔の方がしんどかったかもしれませんが)、特にこの二年目が辛かったです。最初の実験がうまくいったので、そのまま何も考えずにやればよかったのですが、自分が自分の人生において研究する意味がよくわからなくなったのと、人恋しさでひたすらSNSに逃避した一年でした。

イギリスとハンガリーの一年目は良くも悪くも環境に適応するのに精一杯で、研究の意味とか人生の目標とか考える暇がなかったんですよね。それが二年目になると少し余裕が出てきたのと、自分で自分の時間を管理できるようになったから、余計にその部分に気を囚われてしまったように思います。

私は研究者に憧れていて、自分なんかがこういう世界にいることにずっと違和感を持っています。私なんかが何で研究する道にいるんだろうという。だから修士から博士に行くときもお金が取れなかったら行かないし、お金が取れるってことはそれだけの能力がある(と見込まれている)んだろうと思おうと思っていました。博士に行ったからといって必ずしもみんなが研究者になるわけではないし、そこで得られるスキル自体にはものすごい価値があると信じていたから。

それが二年目に入ってよくわからなくなりました。研究を好きでやってるのかと言われると、そうだときっぱり言えない自分が恥ずかしくなりました。博士に行けば何かスキルが身につくと思っていたけど、そのスキルというのは非常に曖昧なもので、テクニカルなスキル(プログラミング等)であればむしろ会社に行った方が身につく気がするし、コミュニケーション能力(協働、プレゼン、英語等)であれば本当に自分が必要としているのかもわからない。

博士で得られるスキルとして大きくは問題解決能力であると思うのですが、それが研究を通して得るべきものなのかよくわからなくなりました。結局研究に対して真摯に向き合えない自分というのが情けなかったのです。

人生の中で研究より大切なものがあるんじゃないかと思い始めました。それは自分が三十になって、青春時代をともに過ごした仲間たちが一斉に家庭を持ち始めたこともあるし、自分も人生で何をしたいのか(できるのか)ということを実感を持って考え始めたからだと思います。二十代は、まだ何でもやれる気がして、本当に自分の人生で何をするか真剣には決めてこなかったような(だからよかったような悪かったような)。

今年も夏に日本に帰りました。今年は祖父が亡くなりました。今までの感覚とは違って、日本にいても安心する気持ちが減って、今まで通り家族も友達も元同僚もいるけど、これはもう私の過去なんだなと思いました。未来のための関係が日本にないことを恐れた私は、主にネットで知り合った人々とたくさん会いますが、これが私の本当に愚かなところで、焦ってしまっていい関係が築けなかったんですよね。

それもおかしな話で、私が大切にしてきた関係というのは、そういう意図的に作ろうとした繋がりじゃなくて、もっと生垣みたいに有機的に自発的に立ち上がるようなもので、自分の意思とは関係なく、ゆっくりと、絡み合う人とは絡み合うし、絡み合わない人とは絡み合わないというようなイメージ。

それには時間がかかるから焦ってもしょうがないんだけど、如何せん日本にいる時間が限られるから、いる間に出来るだけ関係性を作りたいと思ってしまってうまく行かなかったように思います。

もちろん全てうまく行ってないわけではなくて、元同僚の人とはまた面白いことしたいねということで、お店の将来のことなど考えたりして、とりあえず私の生活を寄稿することで新しい連載を始めてみたりしました。これで何かが変わるというわけではないけど、私の生き方をちょっと面白がってくれる人がいるのは嬉しい。

今年の冬は帰らないし、来年の夏も多分帰らない(オリンピックだし)。これは長く日本に帰らなくなりそうだなと思いつつ、もう過去しかない日本に帰る意味もあまりなくなってしまって、悲しい気持ちです。

なんかここまで考え抜いた(?)おかげか、ふと、あぁこれが私の人生だなぁとストンと腑に落ちる瞬間があったのがここ最近の出来事です。研究をすることしか私はできないんだ。好きなことをして生きるとか、そんなかっこいいことは私に言えないけど、私にはこれをするしかないんだ。

そう思うと、研究にも向き合えるようにちょっとずつなってきたんですよね。失った一年は研究的な意味では痛手で、卒業が一年遅れるのかもしれないけど、でも人生の中ではむしろ出会いが多くて良い一年だったと言える(ようになりたい)。今すぐ繋がる関係はなかったけど、これも種をまいたと思って数年、数十年後にふと絡み合うことがあるかもしれないから、無駄じゃなかったらいいな。