留学したら英語が上手くなるのか(アカデミア編)

この記事では主に英語の論文通読・執筆、口頭発表について自分の所見でも述べておこうと思う。英語で生活し始めてからもう四年だが、まだ有用な勉強法というようなものは自分でも見つけれていない。日常会話編は前に書いた。

下記に指す「論文」は基本的に科学論文のことだと思っていただきたい。

論文の通読

通読ということで、ざっと読む時の私のやり方を書いておく。私は科学論文ばかり読むので、大体通読することが多い。哲学の文章などのように、一文一文味わって精読するやり方ではない。

まず留学する時に初めて知ったが、英語の文章には(基本)ルールがある。つまりパラグラフライティングだ。極端な言い方をすれば(科学論文のような余計な修飾が必要とされない場合は特に)、このルールに則っていなけれ質の悪い文章とすら見做されるだろう。

読むことだから書くことと関係ないじゃんと思われがちだが、構造をわかっているかどうかで読み方が変わる。もしかしたら高校・大学受験でもこういうことを教わっている人もいるのかもしれないが、私の時はあまりそこまで言われなかったので、留学するときに初めてハッと気づいたことなので改めて書いておく。

パラグラフライティングのことがわかっていると、おおよそどのあたりに大切なことが書いてあるかわかるので、そこに集中して読むことが出来る。英語が苦手だと途中で単語を検索したりするので、そもそも読むスピードが遅い。その上どこに着目して読んだら良いかわからないと、全部一応訳して意味はわかったけど全然内容が頭に入っていないということが起こりがちだ。文章の構造がわかっていると大体の流れを追いやすい。

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科学論文ということに話を限ると、パラグラフだけではなくてセクションの流れまで決まっていて大まかには

Abstract (要旨まとめ)
Introduction (論文の背景、研究の目的など)
Methods, Materials etc. (論文で使われた材料や実験のデザイン)
Results (結果)
Discussion, General discussion (結果の解釈、将来の話)
Conclusion (結論まとめ)

となる。もちろん研究分野によって若干違いが出るのは当然である。もちろん科学以外の分野やレビュー論文はこの限りではない。

問題はこのセクションの中でどこに着目して読めばいいかということだが、それは難しくて私もまだよくわからない。一応知らない分野だったらAbstractとIntroduction、Discussionあたりから読み始めることが多いが、知ってる分野だったらむしろMethodsやResultsに注目している気がする。背景知識によらず必ず見るのは図だろうか。

意外とこういうことを他の人とも話すことがなくて、今までこれでいいのか…と色々不安だったが、最近聞いているResearchatfmというポッドキャストの中に論文回があって、三人の生物学者の先生があれやこれや談議しているのを聞くと、思った以上に色んなバリエーションがあって面白い。興味がある人は聞くことをおすすめするがとても長い(笑)。

一応私の読み方としてはこんな感じだが、やっぱり数をこなしてなんぼだと思う。あと一つ一つの論文を完全に理解しきれなくても、どんどん次に行き、時にはまた一度読んだ論文を読み直したり、ということが必要だと思う。私はよく一つの論文を読み終わった後、読んだはずなのに意味がわからなくて、何回も何回も読み直したりわからない単語にいちいち訳を書いていたが、そこに時間を割くよりも一回で理解し切れるわけないのだからという軽い気持ちで、ただひたすら読み続けるのがモチベーションを保つ上でも良いと思った。

その他一般の書籍を読む時と一緒だが、あとで読むと意外とわかったり、あるいは意外にわかっていないことが出てきたりして、理解というのはいくら科学論文みたいなシンプルで合理的な文章であってもそんなに簡単なことではないように思う。

論文の執筆

読む方に比べると書く方は全然経験してないので(日常の英語メールならまだしも)、さらにこれと言って書くこともないのだが、基本はやはり先ほど述べたパラグラフライティングだと思う。この構造が頭に入ってないと、そもそも非母国語で何かを論理立って書くということが非常に難しい。

先ほども書いたように科学論文の場合は大枠が決まっているので(というかそれに沿わないといけないので)、各セクションを埋めていくという感じである。気をつけていることといえば

Introduction & Discussion
1. まずパラグラフの一文目だけ書いて、論の流れを作る。一文目はそのパラグラフで言いたいことの結論(それが不自然な場合は、パラグラフのテーマとなるようなキーワード)を書く。

2. 各パラグラフの内容は、基本的に一つの主張(及びそれを支える説明)しか入れない。複数入るようだったら別パラグラフに分ける。それでもパラグラフが長い場合は、最後の一文にもう一度言い換えて一文目の主張を繰り返す。

3. キーワードとなる単語はあまり同義語で言い換えすぎない(これは分野によるかもしれないが、同じ概念を説明するのに多様な表現を使いすぎると意味がブレてツッコミを受ける)。

4. とはいえよく主張文・接続詞などは言い換えて、似た文章の反復を避ける(参考ページ)。

5. 先行論文の読みすぎなどで、過去の自分を含む誰かの文章及び文章構造をパクってしまわないことに気を付ける。

MethodsやResultsは事実の羅列なのであまり悩むことはないと思う(5は当てはまるかもしれないが)。IntroductionとDiscussionは上にあげたようなことを気をつけているつもりだが、もちろん必ずしもその通りではないし、まだ自分もとても未熟なのでもっと気を付けるべきことがあれば知りたいと思っている。

科学論文の場合はご覧のようにかなり型が決まっている。学部生のときに初めて書き方を教わった時は「なんて自由度が低くて創造性も低いんだ」とさえ思っていたが、今ではむしろこのようなルールがないと読むのも書くのももっと大変だっただろう、(非ネイティブなので特に)このようなルールがあることに感謝すべきとさえ思っている。

逆にいうと型が決まっているので表現の幅が少なく、5にあげた剽窃のチェックをどうしたらいいのかというのは今後の問題かなと思っている。もちろん剽窃チェッカーなるソフトもあるのだが、一文一文見ていったらそりゃ同じになってしまうところもある気がして、どこまで神経質になれば良いのだろうかと考える(パラグラフ丸々一致とか、そんなのはもちろん論外だ)。

ここで注意なのだが、私の書き方は日本語を介在して英語にするやり方ではないので、もしそういう書き方を好まれる方がいたら下記が良さそうだなと思った。

私は海外に長期(一年以上)住んでいるので、なるべく日本語を翻訳するというやり方でなく、日本語を介在せずにアウトプットする(書く、話す)ことを目標としているけれど、ものすごく英語が苦手だとか、日本語じゃないと論理構造が整理できないという場合は、やっぱり母国語で書き出すのが良いかなと思う。論理構造の整理というと私も日本語の方が早い気はするが、結局普段のコミュニケーションが全部英語なので、いちいち翻訳するコストもそれはそれで高いため、なるべく英語で書き出している。要は自分の持ってるもの(能力・環境)を最大限に生かせれば何でもいいように思う。

機械翻訳使ってもいいのか

最近はGoogle TranslateDeepLなどと言った翻訳サイトの発達もあって、機械翻訳で論文を訳して大まかな流れを掴んだり、あるいは大まかな論文下書きを作ったりということも可能である。これはこれで一つの選択肢かなと思う。

ただ当たり前だが機械翻訳も完全ではないので、思いっきり嘘の翻訳がされている場合もあるし、結局は人の目を通さなければならない。おそらく英語の論文を読み書きするような職業の人は基本的な英語の文法知識はあるので、時間をかければ英語の文章を読めるし書けるが、翻訳ソフトを使うときに得られる時間の短縮が問題なのだろうなと思う。いくら時間をかけたら読めるからと言って、一本の論文を自力で二時間かけて読むのと、さっと三十分で読むのでは、積もり積もって物凄い時間の差が出来る。

つまるところ自分の環境次第な気がして、基本的に日本で活動して主に日本人と関わって研究するとか、短期的にしか海外に滞在しないとか、英語アレルギーだというような人は、機械翻訳で時間を削って生産性をあげるのは良いかと思う。結局フォーマルなコミュニケーションは論文や学会の発表という一つの「作品」なので、それがうまくできていたら過程はどうでもいい気がする。

とはいえ私自身は海外で生活して英語でのコミュニケーションの中での研究が必須なので、このような機械翻訳は正直言って全然役に立たないどころか、成長の機会さえ奪われている気がするので使っていない。かなり苦痛ではあるが、なるべく日本語を介在せずに訓練をすることで、論文の読み書き以外のところ(例:普段のディスカッション)でも自分の考えてることをその場で表現出来るとは思う。

逆にいうといくらネイティブとはいえ、私は日本語で論文を執筆することは愚か、自分の研究のことを説明することさえ、もしかしたらかなり下手くそかもしれない。何かを得るということは何かを捨てるので、結局自分で判断が必要だなと思うが、これが私の機械翻訳について思うところである。

口頭発表

英語の口頭発表はもしかすると、海外留学していない人だと一番気になるところかもしれないが、ここでは「話すこと」に着目して、スライド作りなどには言及しない(それはあまり言語に寄らないと思う)。

何事もそうだが、口頭発表は特に慣れていない場合だと、兎にも角にも練習しかないと思う。私的には音楽の発表会などと似ていて、スピーチもパフォーマンスだ。練習で出来ていないのに、本番で成功するわけもない。日本語のように生まれてから今までずっと使っている言語だと、もしかしたらプレゼンが上手な人は練習しなくても出来るという人もいるかもしれない。何なら練習しない方がその場の状況も加味して、話の流れを変えたり出来るかもしれない。

しかしながら慣れない母国語でそれを行おうと思ってもまず出来ない。一度試しに今まで自分が日本語で喋り倒した(でも英語では話したことない)テーマについて、即興でやってみて録音してみるといい。日本語で喋り倒してるから何を話すかは決まっていて、単純に英語で言い換えればいいだけだから何も難しくないように思えるかもしれないが、これがそもそも出来ない。

1. 日本語が先に出てきてそれを訳すことに注意がいくので、自然なスピードで話せない。

2. 辛うじて発話できたとしても余裕ができないので、聞きやすいリズム・発音で話せない(リズムや発音が著しく悪いと、理解を妨げる)。

3. 自分が思っている以上に「えー」「あー」「うー」というフィラーの多用や無意識に反復する自分特有の癖があって、そのせいで何を話しているのかわかりづらい。

4. 最悪、聴衆の前にするとそもそも何を話すのかさえ忘れ、頭が白紙になって死ぬ。

英語特有のことでいうとこの辺りだろうか。それがさらに自分が話慣れていない分野のことになるとさらにこれがひどくなるのは容易に想像できるだろう。

私は日本語で発表するときにはあまり練習をしたことがなかった。おそらくそれは自分の能力への過信で、最悪何かは(日本語なので)喋れるから、と思っていたが、おそらくパフォーマンスとしてはとても低かったように思う。英語になると、それさえできないので初めて練習が必要だと実感するし、実際にするようになる。

私のやり方としては、まず最初は話す言葉一言一句書き出す。書き出せない時点で絶対即興で喋れない。日本では箇条書きぐらいしかしたことがなかったので、留学当初はこんなことさえも出来ないのかとまるで赤ん坊に戻ったかのような屈辱すら感じたが、出来ないことは出来ないのでしょうがない。

一度原稿がかけたら、それを声に出して読み、なるべく自然なリズムになるように推敲する。自然なリズムとは?と考える始めると、それは英語の総合力に関わるのですぐにわかるものではないと思うが、とりあえず自分が発音しやすい、流れが自然だと思えるやり方でいい。この辺りは数をこなせばこなすほどうまくなると信じている。

あとはただひたすらその原稿が自分に馴染むように練習する。客観的にみるためには録音が良い(余裕があればビデオも撮って、体や手の動き方をみるのも良い)。自分の声を聞くのはかなり苦痛だが、それでも変な癖や聞き取りにくいところなどがわかるので、後の練習に生かせる。留学当初から二年目ぐらいまでは、この原稿が体に染み渡るまで読み込んで、ほぼ暗記状態で発表していた。一応原稿も手元に置いておくが、発表中に原稿を読むのが得意じゃない上、一文でも抜かすと不安でパニックになるので、それを見なくても大丈夫なぐらいには練習をした(別に暗記しようと思ったわけではないが、結果的に暗記になっていた)。

最近では流石にここまでやらなくても大丈夫な英語力&適当でいいやという心構えになったので、練習はするけど暗記はしない。大体箇条書きを見ながら喋るようになった。とはいえ必ずスライドと箇条書きを見ながら一通り喋ってみて、うまく喋れないところは何を喋るか書き出したりする。あとは自分が自信を持って発表できるなと思うところまで練習を重ねる。

以上のような感じで練習しているが、これが正しい方法なのかはいまいちよくわからない。イギリスで修士課程にいたときにTransferable Skillsという授業があって、要するに発表に関するあれこれ(スライド、ポスターの作り方、発表の仕方など)を教えてくれる授業だったのだが、その中で教えてもらった方法(原稿を書く、録音する、ビデオを撮る)を未だそのまま実践しているだけである。

これまでに述べた読み書きに比べると、話すということは普通は誰かがいて初めて成り立つ行為なので、やっぱり上手な発表のためには常に英語を話し続けるというのが一番の練習になるとは思う。なので私はなるべく他人との会話を拒まず、誘いがあれば一緒に遊びに行ったりなど、英語喋る環境を作るようには心掛けている。とはいえそのような状況がなくても、一人でも最低限上記のような形では練習できると信じている。

結論:確かに上手くなるが、日本で勉強してもさほど変わらないと思う

ここまで色々書いて何だが、アカデミアで必要な英語力というのは、あまり留学しているということとは関係がない気がする。先ほども書いたが、結局アカデミアで必要な英語は「論文」「発表」と言った形でのアウトプットがよければ良いので、別にネイティブのようになる必要もない。日本にいようが海外にいようが、論文は英語で読むし、書かなければならないことが多いだろう。最近は機械翻訳もあるし、英文校閲サービスもあるので、そう言った力を借りれば問題なく研究できるように思う。

ただし英語の勉強というのは単なる文法の勉強だけではなくて、様々な文化にも関わる話なので、海外生活などをして複合的に英語に触れて勉強している人の英語と、日本にいて日本人と交流しているだけの人の英語ではかなり違った質のものになると思う。それは留学した方がペラペラになるとかそうことではない。広い意味で英語を学ぶというのは、いわゆる教科書的な勉強だけではなくて、本を読んだり映画を見たり、あるいは外国人と交流することが必須になる。あくまで私は言語はコミュニケーションツールだと思っているので、そのツールをうまく使いこなすには、ツールを持ってコミュニケーションするような環境にいなければならないと思う。

私はアカデミアに限っていえば大切なのは研究の内容であって、英語の良し悪しではないと信じている。もちろん文法的に破綻してるような文章は中身が良くても読んですらもらえないが、本質的にはどの言語で書かれていても内容が評価されるべきであると思っている(特に科学論文の場合)。もちろん人間が審査するわけだから、英語の流暢さによって多少評価が変わることもあるかもしれないが、それでも英文校閲などでネイティブの目を通した英語であれば、最終的なアウトプットとしてはそこまで差が生じるものではないと思う。

もし私が今学部生に大学院から留学するべきですかと聞かれたら、必ずしもイエスと答えるわけではないなと思う。留学する前は、留学したら英語がうまくなるだろうなと漠然と思っていたが、それは前も書いたように環境次第なので、人と関わらないような研究生活を続けていれば英語もうまくなりにくい(とはいえ海外にいる時点で、そりゃ日本人に囲まれているよりは英語が上手くなる環境にどうしてもなるが)。英語の勉強が苦痛で、研究内容の「表現(翻訳)」のために英語が上手くなりたいだけだったら、むしろ日本にいて慣れ親しんだ母国語で考える方が自然だし、思考も深まる気がする。

もちろん英語及び言語習得一般に興味があるとか、そう言った場合は研究の英語に限らないので、海外に行った方が色んな文化経験をする可能性が高いし留学をオススメしたい。人生の中で、自分が「外国人」になってみるのはなかなか面白い経験で、外国人であるがためにとても楽なこともある一方で、外国人であるがためにとても困ることも日常生活をしているとたくさん直面するので、それは実際に「外国人」にならないとできないことであろう。文化一般に興味がある人は、そう言った側面も含めて丸ごと楽しいと感じることができるはずだ。

最後に、もし海外の研究者とメインに付き合って研究するのであれば留学した方がいいのかどうか、と聞かれると非常に難しくてまだ答えが出ない。正直言うと、海外での研究生活においては、自分の考えを「英語で話せる」と言うことは、非ネイティブでも出来て当たり前のことなので、必然的にできなければそもそもそこに存在することができない。先ほども述べたように研究のアウトプットは結局「論文」という形になるわけだが、海外で研究するためにはそのアウトプットにたどり着くまでのコミュニケーションが英語になるわけで、そこを避けて通るわけにはいけない(聴覚障害とかどうしても喋れない理由がない限りは、基本的に日常のコミュニケーションは会話が大半を占めるだろう)。

ただその言語習得のために海外留学しなければならないのか?と言うと、人によればオンラインの英会話やラボにいる外国人と話すことで補填できる人もいるだろう。とはいえ私がこれまで会った海外で活躍している日本人の先生のほとんどが、アメリカかヨーロッパで学位(博士号)をとっているか、あるいは長期研究で海外に滞在しているかのどっちかだと思う。第一線で活躍しているような先生は博士号までとってる人が多いような印象があるが、それはインターネットもない時代に海外留学していた話なので、今の色んな選択肢がある中で、海外留学を選ぶメリットが昔ほどあるのかといえば疑問である。

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