二月八日@ブダペスト

朝は残っているライ麦30パーセントのパンを食べる。なんだかだらだらしてしまって、ゆっくり大学にいく。オフィスに行く前にパン屋さんにより、お昼ご飯用のキッシュと次の日からの朝ごはん用のライ麦パン(今度は100パーセント)を買う。

オフィスにつくと既にインド人の滞在研究者は働いている。それもそうだ、もう11時。しかしなぜかうちの研究室はスロースターターが多いので、ゆっくりするかそもそも来ない(家で作業する)人が多い。

兎にも角にも疲れているので、全てがスローである。noteに日記を書いたりしつつ、SNSしつつ、昼からの音楽の輪読会の論文を読む。

輪読会は、新しいメンバーが一人、郊外のペーチという場所から来た。ギターリストらしいが、今ペーチで同じく博士課程をしてるらしく、色々物知りだった。他人を見てはすごいな〜と思う日々である。輪読会では突然ポスドクから途中の部分をまとめてなど振られて、あんまり対応できず落ち込む。なんとなくしか読んでないからこうなるのだが。

とにかく疲れている要因は、大学の委員会関係と、良くも悪くもモチベーションの高い先輩や同僚に囲まれていることにある気がする。なぜ自分が博士課程をしているのかは何回も考えて、それなりに合理的な理由を持って納得しているつもりではあるが、いまいち具体的な将来像が見えないので、こういうとダサいが自分をどうブランディングしていけばいいのかよくわからないなと思う。

基本的に私は憧れをモチベーションに色々挑戦して、それなりに失敗し成功してきたような気がする。例えば、中高生時代は京都に憧れて勉強していたら、念願の京都で大学生活を送ることができ、そのあとはサイエンスコミュニケーションとか研究者を手伝いような仕事に憧れていたら先生の秘書になることができ、小さな個人規模のビジネスに憧れていたら本屋兼雑貨屋のお店に就職できた。そこからはもっと思考力を鍛えたい、しかも日本語という身体に染み付いた言葉じゃなくって、一から思考体系が作れるような場所に行ってみたいと思っていたら、イギリスの大学院で修士をとって今は博士課程でハンガリーにいる(アメリカの大学だけど)。

もちろん砕け散った夢もいっぱいある。昔はそもそも大学に行きたくなかったし、許されるならグラフィックデザイナーか服飾デザイナーになりたかったし、大学卒業後の就職は東京で広告会社に勤めたかった。まあでも憧れることで、それ自体になることができなくても、得られるものは多かったんだと思う。それが今は正直研究者になるのかもわからないし、かと行って会社で働くのかもよくわからないし、どう自分の将来を定めていいのかよくわからない。

こうしたモヤモヤを持ちつつ、SNSをしてると疲れがピークにきて、ようやくもう見たくないレベルにまで達したようだ。そういえばこの感覚は前にも味わったような気がして、思い出したのはイギリスにいた時は日本語のポッドキャスト中毒だった。幸か不幸か、私はハンガリーでもイギリスでも、日常的に日本人が周りにいる環境にいないので、圧倒的に日本語を使う機会が不足していた(特にアウトプット)。

こう書くとありきたりだが日本語が恋しい。日本語が、日本文化は私の一部なのにだんだん私の一部が欠けていってしまってる感覚だ。そんなに恋しいならば将来日本に帰ればいいのだが、日本で働いている姿も想像できない。日本人でもないし、ヨーロッパ人でもない、どこにも所属しない自分になりつつある気がする。日本でいたら、何年生まれでの、どこ出身の、どこ大学を出て、どこに就職して、などなど良くも悪くも経歴に守られて社会に存在していた気がするが、ヨーロッパだとそんな経歴全くないのと一緒である。そして長くヨーロッパにいることで、もう日本社会の一員ではなくなってしまった。

そして書きながらまた考えていたがやっぱり根本は日本がどうこうという気でもない気がしていて、今まで当たり前に思っていたことが当たり前じゃなくなってきていることへの不安と苛立ちなのかもしれない。