十二月二十日@ウィーン

先々週ぐらいからオランダの恋人のところにいたので全然日記を更新しなかった。書けないわけではないけど、誰かといると内省的に何かを連ねると言う気がなくなるのが私なんだと言うことに気づく(一緒に住んだりしたら別なんだろうが)。家族と暮らしながら詳細な富士日記を書いた武田百合子のマメさには驚く(しかも手書きで)。

もうすぐで博士課程も終わってしまうからなるべくたくさんのことを書き残したいと確かこの五冊目のマガジンを始めた時に述べたような気がするが、おそらく一番少ないまま終えてしまうことになるのかなと思う。厳密には九月に新学期が始まってから新しいマガジンにすべきだったのだが(今は五年目のマガジンに書き続けている)、すっかり忘れていたのと投稿数が少ないのもあってこのままだらだら書いている。

月曜日にウィーンに帰ってきて、今日は寝坊した。ゆっくり起きて大学に行く。オランダで買った友達へのクリスマスプレゼントを梱包して郵便局にて発送する。一人の友人にはチーズを買ったのだが、もしかしてチーズをプレゼントってあんまりよくないのだろうかとちょっと考えたりした(ソフトチーズじゃないけど途中で腐ったらどうしよう、大丈夫かな)。

とりあえずもう博論提出まではウィーンに居続けるし、ホリデーシーズンだから大学の行事もないし、何にも邪魔されない環境があるのだけど、しかしながら思い描く博論の凄さから生じる恐怖から全然手が動かないのはしょうがないけど、本当にやらないと間に合わない時期になってしまった。いつも聞いている『チャポンと行こう!』というポッドキャストでちょうど不安になっている時って、それだけで体力や気力を消耗してしまってキャパシティーが狭くなると話を聞いて、まさに今の自分(そして過去の自分も)そうだなとしみじみ感じる。

直近だと似たような感覚になったのは、博士課程の一年生の時の進級試験で、一応博士課程には合格したけどこの進級試験で落ちたらそこから先には進めないというそれなりに大事なものがあったので、今はその時と同じような感じになっている。あの時は今以上に英語が喋れなかったし妙に完璧主義というか理想主義だったので、提出物がきちんと完成された形で期限までに提出できなかったらどうしようとか、口頭発表中に頭が真っ白になって止まったらどうしようと考えただけで、提出物もかけず発表準備もできず、ただひたすら恐怖に怯えてネットサーフィンをしていた。

今はもう少し自分のことがわかるようになったり、存在しない(あるいは決して辿り着けない)理想や完璧を目指そうとはしなくなったので、とりあえず手を動かすことはできるようになった。そういう不安を感じることが事態がものすごく自分のこころにも仕事にもマイナスに働くと経験してきたので、むしろいいものを作りたいのではあれば、ただ今に集中していくこと、それが一番いい形に近づく道筋なのではないかと思っている。そういう意味でヨガとか瞑想に出会えてよかったなぁと思う。

しかし完全に不安な気持ちは消えるものでもなく、ただただ日々時間が過ぎていることに焦りと恐怖と吐き気を感じる。一方で不思議なことに、妙な高揚感とやってやるぞというような気持ちも同時に存在していて、それは一年生の時の自分とは違うなと思った。プラスとマイナスが混在するような気持ちってあんまりならないから、私の人生の中ではなかなか貴重な時間なのかもしれない。

もう一つ『チャポンと行こう!』のエピソードの中で、人生で大きな変化がある時、それがポジティブでもネガティブでもそういう時にはストレスがかかって居心地が悪くなってしまうけど、でもそれもあとから考えたらいい思い出になるんだろうな、そしてこういう気持ちになったことやその時経験したことで誰かの役に立つかもしれないなと思うことで、辛いことも乗り越えていけるみたいな話を聞いて、私もそうでありたいなと強く思った。

幸い、例えば無理やりやっていた受験勉強なんかと比べると、しんどいということは同じでも全然方向性が違うし、今やっていることは自分のけじめとしてなんとかやり切って終わらせたいと思う。日々感じる吐き気もいつか自分のいい思い出となりますように…(苦笑)。