九月二十九日・三十日・十月一日@ブダペスト

九月二十九日

久しぶりに朝、ランニングウェアに着替え走る。もうすっかり秋になり、夏とは違って朝は肌寒い。軽く公園まで行き、そのあとは市場に寄って野菜を仕入れる。土曜日が一番市場が賑わう日で、お気に入りのジャムや卵を買う。お気に入りの野菜屋さんは十月までお休みのようだ。

久しぶりに朝ごはんをそれに作る。パン二枚、野菜入りのスクランブルエッグ。それにミルクティー。お昼は大学に行こうかと思うが、疲れてしまって家にいた。残りのイタリアのパスタを食べてしまう。美味しかった。家の掃除をしたり、大量に洗濯物をさばいているうちに、何だか気分が悪くなりKálvin tér(カルビンテール)まで歩く。

目的のカフェがあったが、なぜか閉まっており、今まで入ったことがなかったが向かいのカフェに入ると二階が隠れ家のようになっており、落ち着いた雰囲気。ここで一つ論文を読み進める。マストドンをしながら。

夕方家に帰り、何か食べようかと思ったが昼が割と重かったのと、授業用の資料を作っているうちに面倒臭くなり、結局そのまま就寝。

九月三十日

朝起きて走る。昨日より寒い。昨日より長く、速く走ったが、アプリがおかしくなって正しく記録されていない。

朝ごはんは引き続きパンとミルクティー。大学に行って再び資料を作る。すぐに作れなくてもどかしい。圧倒的に読んできた論文の数が少なく、悔やんでも仕方ないのに、夏休み中に何もできなかった自分を責めてまた気分が悪くなる。

大した出来ではないが、資料を一旦先輩に送る。今度の授業は先輩と時間を半分半分にするのだ。先輩は私よりも大変な状態にあるようで、データの分析とか家族の事(インドのケララ地方の出身の方で、ちょうど夏の間に大洪水にあった)などで時間がないようであった。

夜は早めに寝る。いつも億劫だが、必ずお風呂に入ってから寝るようにすると、体が温まって寝つきがいい。前よりはましだが、何となく気分が晴れない日々が続く。

十月一日

朝起きて走ろうと思うが、確かそこまで早く起きれなかったのでやめておく。朝ごはんのパンが切れたので何も食べなかった気がするが、疲れているのかさっぱり思い出せない。

大学にきて、明日の授業のための資料作りを終わらせる。結局ちんたらしてしまって一日ぐらいかかる。夕方に気分転換に集合論の簡単な問題を解くが思ったより時間がかかる。高校でやったような内容だが、英語でやるとまた新鮮だし、今は必要に迫られているのもあるが、自分で理解したくてやってるので、あの頃のやらされている感じとは異なり、純粋に学習が楽しい。まぁ、こんなことしている場合ではないが。

数学をしていると、同じ部屋のシンガポール人のラボメイトが帰ってきた。六月にシンガポールに帰っていたのでかなり久しぶりに彼女を見た。どうも充実した日々を過ごしたようである。その先輩は自分より一つ上で、いつも私のことを特別気にかけてくれて(多分アジア人・特に日本人だから)、少し話すがまたもや私がネガティブになってしまい、不必要に心配させてしまう。

兎にも角にも悔やんでもしょうがないことを考え続け、悩みすぎて何に囚われているのすらよくわからなくなってきた。昔聞いていたボイシーの過去放送を聞き直し、自分の完璧主義をやめたいという相談の回を聞いていると心が少し落ち着いた。完璧主義な人にありがちだが、そもそも出来がいいとか悪いとか、相手は意外とわからなかったり、あるいは自分でいいと思っても他の人から見たらあまりよくないことだってあるのだから、あまり気にせず、優先順位をつけて、自分が楽しめる範囲で物事をこなせばいいのでは、という趣旨であった。全部を誰の目から見ても完璧にこなせる人などいないという。

別に私は完璧主義でも何でもないが、それでも何だか自分のやってることに関して昔から納得行くことがなく、どうなったら自分が満足するのかわからない。とりあえず未完成の自分を晒し続けることを恐れずに、至らないなと思いながらもいろんな場所に出かけたり、喋る機会があれば参加しているが、しかしながら遠くの方から至らぬ自分を見続けているので、精神の方が消耗していく。それは辛いし、自分で乗り越えるしかないのだ。

どうも今の私は数ヶ月ぼーっとしたことに気を悪くしているが、似たようなことが浪人の時期にもあって、夏休みの間全くやる気が起こらなくって、夏期講習もそんなに参加せず、ただひたすら図書館に行って松本仁志の『遺書』などを読んで、特にどうってわけではないがそのあたりの本を当たり障り読んでいた。

結局その数ヶ月何にもできなかったけれど、その後にやらねばというやる気というか使命感みたいなものが湧いてきて、結果的には運もあって志望校に合格したのである。なので、この例から考えるとぼーっとしたことがその後の行動にもしかしたら良い影響を与えるかもしれないし(しれないかもしれないし)、とにかくわからないからもう過去はほっといて前を見ればいいのだけれど。夜になるとやっぱり落ち込み、そして朝になるとなんとなく気分がいいというサイクルを繰り返している。