八月十三日・十四日・十五日@ウィーン

八月十三日

オーストリアビザの取得に必要な書類の申請のためにウィーンに行く。後はついでに先輩にパイロット実験を手伝ってもらう予定。別に趣味で行くわけではないのだが、先生がお金を出してくれるかわからなかったので、ケチってバスとAirbnbで安宿を予約する。結局お金を出してもらえたのでバスじゃなくて電車にすればよかったと思う(しかしバスも電車も時間があまり変わらないのが不思議である)。

ウィーンについて早速大学に向かう。前来た時はまだトラムが工事中で大学までは歩いていかなければならなかったが、すでに完成していてウィーン中央駅から一本で着くようになった。めちゃくちゃ近い。歩いても20分程度なのだが。

入り口で新しいオフィスの鍵をもらう。するとラボマネージャーと指導教員に会う。特に指導教員は四ヶ月ぶりに生身の身体を見た(というと変だが実際そう)。明日ミーティングの予定なので挨拶だけして終わる。

オフィスに着くと自分がブダペストで使っていた椅子と机、モニターがそっくりそのまま置いてあった。後はオフィス用品や本という名目で半分ぐらい私物を詰めた段ボールが二箱。今回ウィーンに来るにあたってさらに家のものを半分ぐらい持ってきたので、スーツケースごと置いておく。オフィスの壁に写真やシルクスクリーンのポスターを貼ったりして、ブダペストのオフィスと同じように再現した。

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荷物を置いたらラボで先輩にあったりしたがゆっくりしてる暇もないので、そのまま大使館へ直行。大使館までは大学からトラムDに乗れば一本で着くので便利。大使館の近くにフレンチカフェがあって、そこは昔両親とウィーンに来たときによく言ってた場所で懐かしくて久しぶりに行ったらちょうどランチピークで入れず。近くのカフェでコーヒーとバナナブレッドを頼む。8ユーロ、高い。

大使館のことはどこまで書いてもいいのかわからないが(いや別に秘密にしろと言われているのではないのだけど)、出生証明書と無犯罪証明書を発行してもらうために申請書を書いた。思ったよりたくさん書く書類があって(特に無犯罪証明書)、数分で終わると思っていたのに結局一時間ぐらいかかる。さらに無犯罪証明書の指紋提出方が明治時代ですか?というような旧式のやり方で、東京都のコロナのFAXの件も合わせて、日本ってテクノロジー的にどうなってるんだろうと本当に心配になる。出生証明書は次の日に発行されるので、明日また来ることにする。

今日の安宿は大使館からトラムで一本だが少し離れたところにある大学生のカップル(か友人かわからないが男女二人)の一室を借りた。二人ともとても優しくしてくれたが基本的にみんな用事があったので実際滞在中は挨拶以外ほとんど喋らんかった。まぁまるで一緒に住んでるかのような居心地の良さはあってよかったと思う。

プログラミングが終わってなかったからしばらくやるが、眠いのでそこそこにして寝る。私が寝た後に二人とも帰ってきた模様。

八月十四日

今日は先生とミーティングで実験プログラムを完成させたがったが中途半端なところまでしか終わらなかった。最低限の教示(インストラクション)の画面とか大まかなトライアルの流れはかけていたので、とりあえずそれを持って大学に向かう。この宿から大学までトラムを乗り継いで一時間かかるので遠かった。

トラムに乗ると義務だから当たり前なのだがみんなきっちり守ってマスクをしている。なんならフェイスシールド(透明の顔を覆うプラスチックの板みたいなもの)をつけている人すらいるぐらいだ。ブダペストは危機感が少なくてマスクしてる人は半分ちょっとぐらいだと思う(スーパーでは割とつけてる人が多いけど)。

大学について四ヶ月ぶりに先生と対面でミーティングをする。世間話から始まって実験プログラムを見せて調整をする。いろいろやることが多すぎ&私は来週もブダペストにいない&先生も科研費の申請で忙しいらしいので、次のミーティングはウィーンに引っ越してからすることになった。

大使館に向かう。早めに行って昨日は入れなかったカフェで遅めのランチをする。思い出のムール貝を食べるが、めちゃくちゃ量が多かった。しかし食べてしまった(夜ご飯はその代わりなし)。

大使館に行って出生証明書を受け取る。出生証明書は元の戸籍謄本がアポスティーユがついてないからもしかしたら認可されないかもしれないと言われてがっかりする(がっかりというか…ため息がでる…)。ちなみにこのアポスティーユというのは外務省が国の公的文書を正しいと証明する簡易のやり方なのだが、万一オーストリアの移民局から元の戸籍謄本のアポスティーユがないとダメと言われると、今パンデミックで帰れないので両親に新しい戸籍謄本を取り寄せてもらって、外務省にアポスティーユをもらって、さらにそれをオーストリアまで送ってもらって再度こっちで出生証明書を発行するという…気が遠くなるような作業なので本当に勘弁してもらいたい。

夜はプログラムの最終調整。なんだかんだ時間がかかって日が変わる前に終わって寝る。

八月十七日

朝からプログラムをデモで走らせて、大体どれぐらい時間がかかるか確かめる。40〜50分ぐらいの模様。一応できてるが、大学に行ってから自分も被験者としてやってみることにする。

大学について走らせてみたらなんでかわからないがプログラムが思った通りに動かない。というかプログラムに問題はないが、なぜか練習用に作った実験刺激を正しく読み込まず、midファイルなのに「これはmidファイルじゃない」みたいなエラーが出始めて、先輩にきてもらうギリギリまで直す。というか直し方もわからないので実験刺激の方をもう一回生成して移してみるが直らなくて困る。

ギリギリになってそもそも練習用に作った実験刺激が入ってるフォルダーごと削除して、改めて作り直したらうまく行った。詳しく確認していないが多分隠しファイルか何かが勝手にできていて、それを読み込んでmidファイルじゃないと言っていたんだと思う…こういうことがよくあるから焦る。

二人の先輩にお願いしてやってもらう。フィードバックをもらう。実験自体は刺激選定のための実験だから本当に参加者を募集してする実験ではないのだが(なのでまぁまぁ適当に作ったけど)、プログラムがキレイにできているねと褒めてもらえる。嬉しい。

アメリカから帰っていた先輩と話しながら中央駅に戻る。先輩はニューヨークから帰ってきたこともあるのと、多分個人の傾向にもあるのだろうが、マスクをつけない人たちへの不安とか怒りみたいなものでかなりストレスが溜まっている模様。例えば私の指導教員たちは大学の中でマスクをつけてない。大学の職員(セキュリティーの人とかIT関係の人)もつけてない。みんながマスクをつければどれだけリスクが減るか、どうしてつけないのか、コロナに付随するあれこれを話す。

自分では自覚がなかったが、なんか私の声が風邪っぽいと先輩は言ってちょっと躊躇っていたし、実際風邪かもしれないのだが、発熱とか咳とか普段とよっぽど違う症状が出ない限り体調が悪いのかどうか私にはわからない(という程度には別に私自身は普通だった)。マスクは自分の予防だけでなく相手を守る手段でもあるわけだから常につけておいた方がいいのだが、「自分は感染してるかもしれない」「周囲の人は感染しているかもしれない」ということを考え続けるのが心の負担になっている。

今回のウィーン訪問だって、理由づけとしては「大使館に行く」ことであって別にウィーンのカフェで喫茶するとかではないのだが、そんな理由なんてどうでもよくて、コロナの観点からみたらただブダペストからウィーンにバスで移動して三日過ごしてまたブダペストに帰ってきたのである。この間にもしかしたら感染を広げているかもしれない。大使館に行くという理由づけが自分の心を少し軽くさせているが、正直そんなの言い訳になるんだろうか。

結局自分の一番納得できる理由で自分を正当化してるんだなと思った。大体怒ってる人も、その人はその人なりの正当化の理由があるが、他の人から見たらそれは必ずしも正当化されるわけではないのだ。怒れるということはそういう観点を捨てて自分の視点が強い人なのかなとぼんやり考えたりしていた。つまり私にはもう何が正解で(許されて)何が許されない(不正解)なのかわからない。