ウィーン暮らし、日記の書き方、採用プロセス

ウィーン暮らし

ウィーンに移って二ヶ月ぐらいしたが、なんだか日記を書く頻度が落ちている気がする。と思ってどれぐらい過去に書いているのか遡って見たが、日本に帰国している時より少ない。生活が忙しいということもないし、前ほどSNSにのめり込んでわけでもないし、一体何をしているのかよくわからない。なんてことない、日常の記録としての日記を昔は書いていたが、最近はそのスタイルをすっかり忘れていた。

前に散々書いたようにウィーン生活には何の期待もしていなかったが、ブダペストにいる時よりは心地よい。ウィーンがいいのか、新しい場所に引っ越した新鮮さがいいのかわからないが、これは良いことに思う。ブダペストにいた頃私の周りには悪い人もいなかったし差別を受けた記憶もないが、それでもハンガリーの政治的・経済的な状況があまりよくないのを、身体は何かと感じ取っていたのかもしれない。

ウィーンに長期滞在するためには滞在許可証が必要だが、その申請は今も続いていて、なんだかんだ時間がかかるなと思う。今はハンガリーの滞在許可証でオーストリアにいるので、規定だと90日以内に帰らないといけないが、この期限内に発行されるのかよくわからない。まぁ何とかなると思っている(何とかならなかったら日本に帰るかハンガリーに帰るだけである)。

最近ドイツ語を習い始めた。ハンガリーにいる時にもハンガリー語を習ったが、三年目にして初めてだったので、特に何も習得することがなく終わった(ハンガリー語は難しすぎる)。ハンガリーに引っ越した当初は英語もまともに喋れなかったので他言語をする余裕がなかったが、今は英語がある程度喋れる(というか頭打ちで伸び代が少ない)ので、ドイツ語をやる余裕があるのかもしれない。ドイツ語は複雑だが、英語と共通点も多いのでわかりやすい部分もある。

日記の書き方

そもそもこのブログを書こうと思った動機は、なんてことない普通の日常を、特にいいとか悪いとか意味付けしたりすることをせず、ありのまま記録しようということであった。イメージは武田百合子の『富士日記』みたいな感じで、何月何日、何があった、美味しい美味しくない、気にいる気に入らないみたいな、主観だけれども感情も含めて客観的にありのままの事実が淡々と書かれているような日記だ(とはいえ所々すごく感情を揺さぶられる箇所があるのはもちろん読んだことがある人はご存知だと思うが)。

『富士日記』に出会ったのは前職でお世話になったミズモトアキラさんが、私の職場のイベントスペースで富士日記の読書会をやらないかというお話を持ちかけてくれたのがきっかけで知ることになった。当時は忙し過ぎたのと若過ぎたためかあまり『富士日記』の魅力に気づくことができなず、イベントは長続きしなかったのだが(ごめんなさい)、ミズモトさんはご自身のブログで詳細に『富士日記』を読み込み、二年ほど前に第一弾が書籍化された。

ある程度のまとまりをもって日記を書こうとすると、どうしても何かしら意味のあるイベントに注目があたりがちで、どうでもいい日々の細かいことは忘れてしまう。しかしそういうどうでもいいことこそ後から読み返してハッとすることが多くなるべく残して置きたいのだが、怠惰のせいで最近はまとまった記事を書くことが多くなっていた。少し日記の書き方を見直したい。

採用プロセス

今私の在籍している学部では新しい教員のポジションを二つ募集していて、最終候補に上がった人々のジョブトーク(研究の話)が週に二回ほどある。二つのポジションはある程度研究分野が絞られているのだが、それでもそれぞれの研究は全く異なってバラエティに富んでいて面白い(好き嫌いは分かれるだろうが)。

今まで六人ぐらいのトークを聞いたが(それでもまだ半分も聞いていない)、その中には既にうちの学部と共同研究をしているほど分野の親和性が高く人脈的な繋がりもある人がいる。一方で、全く違う文脈から来てほぼ繋がりがない人もいる。

この募集はもちろん完全に公平な公募なのだが、分野が近いと当然ながら学会で会ったりして既に交流がある人からの応募がある。コネで雇うわけではないが、一回だけのトークとインタビューで人を判断するのは難しいので、予め多少なりとも交流がある方が職探しでは有利なのではないかと私は思っていた。

しかしこれまでに気になった候補者は不思議とむしろこれまで学部と関わりが薄い人ばかりだった。複数の同僚と話をしたが、皆同じような感覚を持っているようである。その人たちの研究や議論の仕方が素晴らしかったと言うのもあるが、研究の意外性や新鮮さと言うのもキーポイントなのかなと考えた。

今回のポジションは教員(おそらく任期なし)レベルなので、ポスドク以上に学部に新しい風を吹かせてくれる人が好ましいということを考えると、研究の(学部にとっての)新規性と言うのはとても重要な要素だと思う。学部と繋がりの強い候補者の研究に関しては、当たり前だが既に知っているので良くも悪くも意外性は少ない。もちろんそれぞれうちの学部に来たらどういう研究をしたいと言う未来の計画も述べるわけだが、その計画も過去〜現在からの延長なので、違う分野から来た人と比べると新鮮さは少ない。

繋がりがないのが必ずしも良いわけではない。現に候補者の中では繋がりが少なくあまり議論が活発に行われなかった人もいて、確率的に言えば既に繋がりのある人というのは「一発アウト」になりにくく、「保留」のリストには入りやすいとは思う。まあ、要は無難なわけだ。

アカデミアも人間の営みで、特に教員みたいなポジションを雇う時には研究の力だけではダメで、人柄とか教える能力とかその他もろもろの社会的要因、そしてランダムな時の運に左右されるのだなと思った。候補者の中には既に私たちがよく知っている人も混ざっていて、トークを聞いても素晴らしいし人柄も素敵なわけでだが、こう言った人が必ずしも選ばれるわけではない。というわけで自分が職探しをする時にも、そう言う気持ちを持って色々応募してみるのが大切なのかと考えたりした。そろそろ職探しをしなければならない時期である(まだいつ卒業できるかすらわからないが)。