七月十八日@ブダペスト

スマホをいじらずに寝るとこうも睡眠がスッキリするのかと実感し始め早二日。見ながら寝落ちしてベッドから落とすことがたくさんあったので、今回はその悪しき習慣をやめているが、とにかく眠りやすい。今までにもスマホを見ながら寝たら良い睡眠がとれないと頭ではわかっていたけど、なぜ実行する気にならなかったのか。

朝ご飯はパンとチェリーのスープの残りを全部飲む。なんだかんだ用意して、バスに乗り、九時ぐらいには大学につく。月末に友達がくるので今月は市内乗り放題のパスを買ってほとんど歩いていないが、なぜか体重は増えない(筋肉が落ちているのかもしれないが)。

着いたらまた何か余計なことをタラタラとしていた気がするが、とりあえず哲学の論文の続きを読み始める。読んでいるとまだ意味はわからないが、しかしながら私の研究トピックのそもそも定義が読めば読むほどわからなくなり、どうしたものかと考える。

いつか別の記事で書きたいが、二人以上で一緒にするとき、共同行為(Joint action, Joint activity)と言われる現象が日常生活にしばしばある。例えば机を誰かと運んだり、一緒に楽器を引いたり、ダンスを踊ったりなど。私は専門家が初心者にある技術を伝達するときに、どういう共同行為をしてるのかを研究しようと思っている。二人以上で何かをすると簡単に言うことは出来るが、つまるところ二人で「一緒に」やろうと思ってやっているのか、それとも二人が「たまたま」やっているのか、どう区別できるのかという話。ちなみに読んでいる論文はこちら(「共同行為」とは何か:古田徹也, 2011)で、Bratman(2009)の話を元に、日本語としての解釈や、Bratmanへの批判検討をしている。

共同行為の話で大切な定義の部分で、私も去年の共同行為入門の授業でBratmanの原論文を読んだけど、なんかあまり内容はもちろん、どれくらい重要な話なのかもよくわかっていなかった。今、具体的な実験計画案を出して、試験に通過してやっと実験できるという状態になって、果たして私の測ろうとしている行為はそもそも共同行為と言えるのか、かなり疑問に思ってきた。

実験をやってる人からすると、多分定義について考えることは大切だけど、あんまり考え過ぎても話が進まないので、とりあえず複数人いて何か目的を共有して行動しているなら共同行為ということでやっていきましょう、ってことになっているが、なんかそれでいいのかとモヤモヤし始めてきた。

実験計画自体の問題じゃないけど、そもそも論というか、なんとも解釈に困る(というか解釈が一通りじゃない)現象を測定するのが、心理学や認知科学の醍醐味とも思いつつ、果たしてこれを科学と呼んで良いのだろうか、と常々考えてしまう。とか書いているうちにとりあえず手を動かして、実験用のプログラムを組めともう一人の自分が言ってるような気がする。

そのあとはピアノを今日も二時間練習する。練習曲はドハーニの、指を広げて独立性を高めるもの。ドビュッシーのパスピエの練習。パスピエはまだ弾けないので、指の運動という意味でのテクニカルな部分で難しい。そのあとはショパンのワルツやドビュッシーのプレリュードも一通り弾いてみるが、響きが音楽的に面白くないような気がするが、どこをどう直したら良いのかよくわからない。

家に帰り、今日は豚肉を二枚焼いて食べる。穀物だけを夜ご飯から抜き始めて早二ヶ月ほど経ったが、あんなに好きだったものも、なければないでそんなにストレスはない。