四月二十三日@ブダペスト

朝、何故かすっきり起きることが出来ない。今日は学部で一番怖い(ように振舞っているだけで、酔っ払うとお茶目)な先生が、夢の中で恋人のように(というか恋人だったのかもしれない)優しくしてくれたところで目が覚める。その時点で六時半ぐらいだったが二度寝して起きたら九時だった時の絶望。

たくさん寝ているのにどう考えても最近疲れているので、いつも家に置いてある個人的な日記帳(不定期更新)を大学に持ち出し、四月になってから始めたこと、四月になってからやめたことを書き出したら自分が思っているよりたくさん新しいことを始めていることに気が付いた。何が自分の脳を疲れさせているのかもなんとなくわかり、それを取り除くのは簡単ではないけど徐々にそれなしで過ごしていけるように努力していこうと決意する。

何が疲れるかというと、意味のないだらだらとしたネットでの情報収集である。もちろん日本のニュースを見たり、ノートをチェックしたり、記事を読んでインプットを増やしていきたいが、私の場合本来やらなければやらないことがある時に逃げとしてネットサーフィンをしていることが多い。それが結果的に脳を休ませることになっておらず、目も脳も疲れさせ、さらに疲れているからやらなければならないことに対する生産性が下がるという悪循環。

当たり前すぎるが改めて気づいたのは、やらなければならないことは苦手で時間がかかるから億劫になってしまうのであった。しかし苦手を克服し時間を短縮するには、やるしかないのである。それしか今のところ方法がない。思考回路が高速化される神経ブースターみたいな薬かデバイスが将来開発されればいいのに。

明後日のミーティングに向けて資料を作る。新しいポスドクの方が加わってくれるらしく、できるだけ有益なものになるように質問をリストアップしたらどう?と先生に提案してもらった。

三時から一時間、キッチンのピアノで基礎練習とショパンの『告別』の右手を練習する。子どもの頃にしていた指使いの変な癖がなかなか直らない。気を抜くとスムーズに弾けなくなる。

夕方は最後のアートセラピーのセッション。最後の回をすごく楽しみにしていたハンガリー人の男の子が何故か来なかった。どうも最近私生活で何かあった様子。セラピー自体は、ほとんど関係性の話だった。友人関係、恋人関係、家族関係など。私以外の人がいかに人と衝突し、複雑な人間関係を気づいているのか、セラピー全体を通して知ったことである。

私は今となっては友人関係も恋人関係も家族関係もさっぱりしたものである。いつからそうなったのかわからないが、とてもドライ。全ての関係において一度は傷ついた経験があるので、それが起こらないようになるべく人と距離をとろうと努めた結果だが、そのせいで感情がものすごく鈍くなってしまった。傷ついても関わることをやめない、大多数の人間が羨ましく思える。