自信なさそうで自信ある人

ちょっとしたメモ。特に論理的でない。

最近自分がどういう人に惹かれるのか考えてると、表題の通り一見自信がなさそうなんだけど心の底では自信のある人間なのかもしれないと思うようになった。

自信は持つことにこしたことはないだろうが、なかなか自信を持つのは難しい。というか持つものなのか付けるものなのかよくわからない。親との愛着関係なんかで、存在してるだけでも自分は素晴らしいと思える自己肯定感の高い人もいるかもしれないが、そうでない場合は自分の人生(経験)の中で得られたものを根拠に少しずつ自信を獲得するようになると思う。

先ほどあげた「理由はないけど自分に自信がある」というスーパーマン・ウーマンの仕組みはよくわからないが、後天的に自信を手に入れてそれを見せびらかすような人間は苦手だということに気づいた。いうならば自信ありそうで自信ある人である。自信に具体的な根拠があると言ったらよいだろうか。

自信を見せびらかすのはおそらく他人からの称賛を得れることを期待しているのだろうが(そうでなければ無駄な行動である)、称賛を得れるということは社会一般に通用する概念の中での成功を元にしているのではないかと考えた。例えば学歴、年収など(適齢期だと結婚、子供なども入るのだろうか)。

そういうものは大多数でなくてもある程度の人類が持ってるものであるので、比較的社会的な基準も定まっているため、「自分は自信を持つに値する」という気持ちになるのもわかる。

私も過去の色んな体験を元に自信を獲得して、きっとそのうちの一部は世間一般から「すご〜い」と言われるようなものも含まれるだろう。学歴とか海外在住とか。自分もそういう自信に守られて生活しているだろうに、なぜかそういうものを振りかざして存在証明をしている人を見かけると、どうにも明るい気持ちになれない。

何か嫌いなものの側面を考えるとき、嫌いというのはきっと一部自分を反映している何かな気がする。だからこの嫌いな気持ちはきっと自分の何かだろうと思っているが、何なのかはわからない。自分がそのような忌々しい行動をとっているかどうかもわからない。

しかし私が言いたいのは自信が悪いというわけではない。自信がない人は全く魅力的に見えないのだ。なので自信があるにこしたことがないが、なぜか自信があっても全然魅力的に見えない人と自信があってとても魅力的にある人がいることに頭を悩ませている。そこで私が好きなのは「自信がなさそうで(つまり常に自分に対して疑問を投げ続けているような)自信のある人」なのかもしれないと思ったが、だからどうなんだという話である。