九月二十日@ブダペスト

早起きして脊髄エクササイズのレッスンに行く。朝は汗を書くような運動がいいなぁと思ってたが、やっぱりヨガ系のエクササイズでもいい気がしてきた。夜にスピニングなどにいって、そこでシャワーを浴びて帰れば家でお風呂に入らなくてもいい(ヨーロッパはお風呂に浸かるという概念がないので、シャワーしかないから家でもジムでも一緒)。

またファイルの整理をしつつ、今日は夏にCurrent Biologyに出ていた『認知とは何か?』という特集を読むことにする。これから初めて論文を投稿するので、一度分野のことを考えてみたいと思った。答えが書いてあるわけではないのは百も承知であるが。

心理学の分野だと、人間の行動やこころの働きを研究しているので、何かの物質というよりは概念を取り扱うことが多い。オーソドックスなところだと、注意、記憶、学習、推論など。古典的な認知心理学では、こういう概念があるとして人間の行動を計測することでメカニズムを解明してきたわけである。しかしながらあくまで概念であるため、分野自体の定義を聞かれるとしばしば答えにつまる。

心理学は人の学問なので、一般の人にも一見わかりやすいが、実際に「注意って何?」「記憶って何?」「学習って何?」と突き詰めて考えるとよくわからない。そのさらに大きなところで、認知心理学や認知科学で言っていいる『認知』とは何かね?というのを色んな分野の研究者の考えを元に振り返ってみようという特集であった。

実験心理学者、神経科学者、動物科学者、哲学者…様々な人々の寄稿は面白いがやはりピンと来ない。個人的には単なる知覚を超えた情報処理である気がするけど、何が必要な要素なのかと聞かれるとよくわからない。(そもそも知覚自体も完全に主観からは切り取れないので、ピュアな知覚すらあるのか疑わしいということは、この特集の視覚科学者も書いていたことである。)

読み終わったところで一日終わる。長い特集でもないのに私は一体何をしてたんだと思うが、これまでの蓄積でこの実力だからしょうがない。これからコツコツ頑張る。

夜はMiradoorとかいうコミュニティースペースでの映画上映会に行く。

上映会のあとはみんなでちょっと喋ったりする。まさかのこの映画の舞台のThuleがあるグリーンランド出身の人がいて驚く。彼によると地球温暖化系の映画を撮るためにグリーンランドを訪れる撮影チームが多く、商業利用されていて脚色されている部分があるという。映画が嘘をついてるわけではないが、完全な真実を伝えてるわけでもない。善意でこのような映画を作ってるのだろうが、複雑な気持ちだということ。

私自身こういう話に疎くて勉強不足なのだが、ドキュメンタリーを見終わって、地球温暖化はかなり深刻な問題だと実感するとともに、もう止められないというようなある種絶望感みたいなものも感じた。

リサイクルとかエコバッグを使うとか、そういう小さな試みから世界を変えていく必要もあるけど、大きな部分はやはり社会システムが変わらない限り温暖化を止めることはできない。車や飛行機、パソコンやスマートフォンなど、どんどんエネルギーを使う社会に生きてる私たちは、それがなくては生きていけないのだ。彼らを守るために、私たちの生活を変えれるのかというとそれは難しい。

また同時に、climate refugees(地球温暖化による難民)という言葉も初めて知った。上記の映画のような場所に住んでいる人は、立ち退きを余儀なくされている。私はこんなことも知らなかったのだ。

家に帰ってとてもお腹が空いたので、日本から持って帰ってきた宮津のオイルサーディンとレンジでチンしたジャガイモを絡めて、クミンとコリアンダーシードを少しかけて食べる。素朴すぎるが美味しい。