七月十三日・十四日@ブダペスト

七月十三日

サマースクール五日目。今日も変わらず朝九時から講義。一人目の登壇者の方は反事実の思考と実行機能の発達について、実行機能を調べる様々な課題(抑制、注意の切り替え、情報の更新)を使って、実行機能のどの役割が反事実の思考に必要なのかなどを話す。だいたい6〜7歳ぐらいにならないと反事実の意味が理解できないようなのだが、それ以下の年齢でも十分な時間を与えてあげると理解したりするようなので、まだまだ分野の中でも議論が多いようであった。

午後二人目の登壇者が、反事実を考えた時に感じる後悔と安心(ホッとする気持ち)が、なぜ生じるのかということを哲学的に議論するが、やっぱり分野の違う(特に方法論の違う)話は論理が追いにくく、何を言っているのかわからなかった。過去を振り返って後悔することは、やってしまったことに囚われて考え過ぎても意味のないことなのだが、なぜだか落ち込んでしまったり、更に進むと鬱のような症状が出たりする。なぜそのようなネガティブな気持ちが生じるのか(あるいは逆の場合、最悪の場面を回避できてホッとするなどの気持ちが生じるのか)、ということを話していたような気がするが、結論はよくわからなかった。

最後のディスカッションには参加せず早めに帰る。家では残っていた豚のひき肉でパプリカの肉詰めを作る。上にチーズをトッピングする。タネさえ作ればあとはパプリカに押し込んで30分オーブンで焼くだけなので非常に楽で、これから定番になりそうだと思った。

七月十四日

本日はサマースクール最終日。朝起きたら使っていたiPodの液晶画面がおかしく(割れているのではなく、表示が変)、タッチパネルが反応しなくなり、全く使えない状態になった。これまでに相当落とし過ぎたせいだと思う。最後の一撃は多分その日寝ている間にベッドから落としたため。

ヨーロッパにきた二年前からスマートフォンを持っておらず、電話だけ使えるいわゆる昔の携帯電話とiPod touchを持って、基本的にはWiFiが使えるところでiPodを使うことでスマホの代替として過ごしてきた。ほぼ誰かから電話がかかってくることはないのと、これまで街中ではWiFiが使えるような場所に住んでいたので、特に不自由だと思ったことはなかったが、流石にiPodがないととても不便である。

というのもまだブダペストにいる間は構わないが、今月末に一人旅でペーチ ・セクサールドに行く時など、知らない土地に行く際にスマホ(WiFi)が使えないと非常に不安がある。そしてちょうどいいことに、前日にマストドンで誰かが言っていたFairphoneの存在を知り、再びスマートフォンを買ってもいいかなと思っていたところなのだ。

Fairphoneの細かい説明は省略するが、要するに修理できるSIMフリーのスマートフォンであり、部品も紛争地区から輸入したりせず、適切な労働環境で作られたものであり、流通過程を透明化したいわゆるフェアトレードの精神で作られた新しいスマートフォンだ。

私自身は日本にいるときはだいたい二年に一回携帯電話およびスマートフォンを買い換えており、特にスマホを初めて買った大学入学時の2009年なんかはスマートフォンというもの自体が新しくて、AndroidやiOSなど機種も色んなものを試してみたいという気持ちが大きかった。しかしながら働き始めて特にスマホを重点的に使うようなこともなくなり、だんだんスマホに縛られている生活が嫌になってきていた。スマホが繋ぐSNSの世界や、スマホを買うための業界の形態などに疲れてきたのである。

私はできるだけ長くスマホを使いたかったが、使っているうちに画面が割れたこともあるし、バッテリー機能が著しく低下することもあるし、それらを修理するのが非常に高く、買い換えた方が安いという場面にしばしば合った。最後の方の買い換えなどの理由は主にそれが理由であり、新しいスマホが欲しいということではなかった。

幸いヨーロッパに来て、学生生活を始めて、常に誰かと連絡を取らなければならない状態から解放されたので、スマホを手放すことができたのだが、Fairphoneは長く使えそうであり、理念に賛同しているのでサポートしてみたいと思っている。そしてちょうどiPodが壊れた(そもそも充電の能力がかなり落ちていたので買い換えようとは思っていた)ということで思い立ったら行動が早く、その日のうちに注文してしまった。注文したことは後悔していないが、使うクレジットカードを間違ってしまい、そこまで大した問題があるわけではないが、この衝動性がどうにかならないものかと考える。

ここまで長くなってしまったが、サマースクール最終日の一人目の登壇者は反事実思考における子どもの後悔の気持ちの発達や後悔の気持ちによって将来の選択をいかに変更するかなどの議論や、どのように後悔という複雑な感情を心理学的に測定することが可能かなどという話であった。やはり6歳以下の子ども達は反事実の思考がまだ発達していないのか、自分が損をしたような場面でもあまり後悔の気持ちを表さないようなのである。そして個人差も大きいようであった。ディスカッションでは後悔と罪の気持ちの判別をする実験手法はあるかどうかなどを話し合う。

午後はずばり反事実の話ではなかったが、記憶(False alarm:有名な現象だが日本語の適切訳を忘れてしまった)の分野で神経科学・計算科学的な手法を使って過去を思い出すこと、未来を想像することなどについての研究を行なっている研究者の発表。コロンビアの方であるが訛りはあるけど非常に英語がうまく、そういう方を見ると特に自分も英語を頑張らなければと思う。また質疑応答の受け答えも素敵だなと思った。手法的には神経科学なんだけれども、登壇者の方が哲学のバックグラウンドも持っているようで、論理がなかなか複雑で(簡単に説明してくれていたけど)、うまく要約できないが面白そうであった。

夜のバーで飲んで踊るというソーシャルイベントは当たり前のようにパスし、自由橋に行って同じ大学で他学部の修士課程のアメリカ人、他大学でもうすぐブダペストを去るモンテネグロ人、そのルームメイトのカメルーン人の友達と合う。今日から三週間ほど週末だけ自由橋は閉鎖され、歩行者天国になるのだ。ビールや食べ物などを買い込み、橋に行ってさらに橋に登り、割と高いところで腰を下ろして、たくさんの歩行者などを見下ろしたり、ドナウ川をクルージングしている人たちに手を振ったりして過ごす。