七月十一日@ブダペスト

サマースクール三日目。今日は主に哲学の観点から反現実の考えについて迫る。最初の登壇者の方は、意味論と語用論の観点から反現実を記述する文章についての話だったが、発表はわかりやすくまとめられていたのに、全然論理が追えなくて、何を喋っているのかついにわからなかった。でも面白そうだったので、紹介されていた論文を読んでみようと思う。

午後はまた哲学の方だったが、さらに複雑でかつ発表がわかりやすく作られていなかったので、正直一パーセントも言いたいことがわからなかった。何が問題なのかとか、どうやって解決しようとしてるのか、登壇者の方の見解など、全く話を自分の頭の中で再構成しなから聞くことができず。

夕方は昨日の午後にも講演した、多分このサマースクールでメインの研究者の方が、ちょっと違ったトピックで学部全体でのコロキアムでトーク。その後はみんなで夕食に行き、たまたま向かいに座ったそのコロキアムで講演された先生と、もう一人一日目に登壇した先生と喋る。左隣はカナダ人のハーバードの大学院生で、その人の発表も面白かったのでその人とも楽しく話をする。右隣の人はアメリカ人で、自分の知ってる人としか話したくなようであった。私は牛肉の頬肉を食べご満悦。

帰り、右隣のアメリカ人を挟んで向こうに座っていたブラジル人の同僚が私の方に寄ってき、その人がいかにみんなと話をしようとしないかと言うことで、不満を述べていた。わからなくないが、そんな人世の中に五万といる気がしたので、「ずっと自分のことばかり喋り続けて、アイコンタクトすらできなかったよね。悲しいよね。でもそんな人いるよ、たまに。」と返しておく。

みんなはサッカーを見るためにバーに行ったが、私は家に帰ってマストドンを開きながらサッカーを見たり、家事をしたり。よくあることなのだが、寂しいなって思ってインターネットに頼る(例えばマストドンのようなソーシャルメディア、ブログを読み漁ったりなど)と、頼ってる瞬間はいいが、いざそれがなくなると、もっと寂しくなったりしてよくない気がしてきた。初めての経験ではなく、正直何回この負のスパイラルを繰り返してきたかわからない。

自分の中でも何事も中毒っぽくなる前の閾値を超えなければ、自分がリラックスできたり楽しくなるためにネットを使うことはいいと思っていたけど、そろそろマストドンは閾値を超えそうな気がするので、ここらへんでやめようかなとも思い始める。(マストドン自体は面白いSNSだと思う。)

mixiもTwitterもFacebookも、自分の現実世界の人間関係とリンクしていてそれがそのうちしんどくなってやめてしまったけど、マストドンは誰一人知らない、みんな匿名の架空の人たちばっかりなのに、なんだか顔見知り(というか名前見知り)が増えたり、同じ人と会話を続けているとまるであたかも現実世界の一部のようになってきて、自分の感情が影響されそうになる。

幸い誰かから嫌なことを言われたということはまだ一度もなく、むしろそれよりもポジティブなコメントをもらうことが多いのだが、それもなんだか変な感じがして、悩み始めてきた。

まだアカウントを消すには早いかもしれないけど、しばらく見ない方がいいのかもしれない。新しいメディアとの付き合い方はいつも悩ましい。