五月十六日・十七日・十八日@ブダペスト
五月十六日
今日は土曜日なのに早起きしてしまう。朝ご飯は和食を食べる。土曜日は混んでるから市場に行きたくないなぁと思いつつ、先週あんまり買い物できなかったので午後から行くことにする。
市場に行くとまあまあ混んでいる。必要な物は予めメモしているので、ささっと購入して去る。また苺を一キロ買ったが、そろそろシーズンが終わりそうな気がする。
お昼は久しぶりにネット上でボードゲームをする。カルカソンヌが好きだが全然うまくないし、うまくなろうというモチベーションもないのがよくないと思う。私はやっぱりゲーマーではなくて、みんなと何かするのが好きなだけなんだなとつくづく思う。
ゲームをやってる途中、今日オルバン首相からブダペストを含めハンガリー全体の外出規制を緩和するという発表があったことを友達のメッセージで知る。二ヶ月ぶりに公園で会おうと言われ、久しぶりに遠くまで行くことにする。
公共交通機関も乗りたくないので歩いて行ったら一時間ほどかかったが、ヴァーロシュリゲット(Városliget:市民公園)に着く。ノンアルコールのチェリービールを一本飲んで、のんびり最近何をしていたかなど話す。三人いたが、最近一週間以内にZoomでミーティングなどをしたので特に久しぶりという感じはしない(物理的に会うのは六十六日ぶりなのだが)。
なんだかんだあっという間に自粛期間が明けそうである。自粛中に生活改善できた部分はたくさんあったけど、それでも思い描いてた分の半分もできなくて、私の高望みのくせなのか怠けているだけなのか、なかなか目標を達成したなと思うことは少ない。
五月十七日
恒例の家族とのZoomご飯である。こんだけ毎週喋っていたら喋ることもなくなりそうだが、意外となんだかんだ何かを喋っている。大阪も規制が緩和されたようで、少しずつ街の経済が復活しそうな気配である。ハンガリーは爆発的に広がってはいないが、それは外出規制がかなり早くにかかったからだ思っているが、日本はなんだかんだ一ヶ月ぐらいで規制緩和になり、特に感染爆発していないのがなんでだろうと思う(日本人のそもそもの衛生意識の高さだろうか)。
お昼ご飯は遅めに食べる。先週は美味しいピザをテイクアウトしていたので、今週もそうすればいいと親に言われる。週に一回ぐらいピザを食べても別に良いじゃんと言っていたが、この家庭にいたからぶくぶくと太ったのだろうかと今更ながら感じる(母親はぽっちゃり、父親は標準体型)。
日曜日だから何もしなくて良いんだけど、何もしないことに罪悪感を感じたりどうでも良いやと思ったり。私は一体将来何になるんだろうか。とりあえず博士号は取って終わってしまいたいという気がする。取れるのかわからないけど。
夜は鶏胸肉の豆腐ハンバーグを作ってみる。最近こちらのバイオ豆腐が美味しくてハマっている(日本の豆腐とは異なる)。
五月十八日
今日からレストランやカフェなども外の席ならオープンして良いということになっているはずである。ちょっとした買い物にしか出かけていないので街の様子はわからないが、それでも自分の家のすぐ近くの店が長らくしまっていたけど、外の席を出してるのを見て「あぁ、ようやく再開するのかな」という気持ちになって嬉しい(そこには一度も食べに行ったことはないが)。
日本はいろいろ店が潰れたりして経済が落ち込んでいるのをニュースで見るが、ハンガリーはどうなのかわからない。落ち込んでいるのは確実だが、自分の通っていたようなお店を見る限りはどうも持ち堪えているようで、まだ潰れたという知らせを聞いてはいない(その間クラウドファンディングのようなことをしている店もあったし、政府から税金納付の期限延長など様々な対策が取られているからかもしれないが)。
今日は割とやる気だったのに日中何もやる気ならず、私はこうやって一生を終えていくのかとネガティブでもポジティブでもない気持ちで料理をして運動をし、最低限のメールを返したりなどしている。この前日本でやっていたリスク認知のZoom講演会が面白かったので、結局やっぱり自分は自分が研究者になるより研究周りの社会活動を面白いと思っているんだろうなと思う。
とはいえ科学哲学とかサイエンスコミュニケーションが好きというのも、嘘ではないが結局隣の芝生は青いだけかもしれない。方法論的に哲学などは私が一番苦手そうな部分であるし、そのやり方では実践者として科学をわかることは難しいのだから、とりあえずのキャリアとして認知科学の博士は悪くないと思っているのだが、さてどうなんだろうか。もう三十歳なのに、大学に入った二十歳ごろのような気持ちである。楽しいような情けないような。