祖父の死と海外生活

最近祖父が亡くなりました。九十七歳で、認知症になることもなく、身体も丈夫で、一般的に見れば大往生といった感じでしょうか。海外生活が長かった祖父なので、大正生まれにしては珍しく、亡くなる少し前に病院に入るまで、食事も洗濯もゴミ捨ても全部一人でこなす、何においても自立した立派な方でした。

祖父に最後に会ったのは先月日本に帰った時、二回お見舞いに行きました。その時はもう病院から出ていて、いわゆる老人ホームのような施設に写っていました。痩せていたけど、普通に会話もできたし、リハビリも頑張っていたし、何より生きる気力を失っていなかったように思います。

私はイギリス留学中に初めて祖母を亡くしてから、忙しかったり疲れていてもなるべく日本に帰って会いに行くようにして、不思議なことですが日本に住んでいる他の孫たちと比べても、よく祖父母には会いに行く孫なような気がします。日本で働いていた時よりも、もしかしたら多く会っているかもしれない。

日本にいると、家族も友達も、あるいは場所でも、いつでも会えるから、いつでもいけるから、と言って結局行けなかったりすることってありますよね。私は海外に来てから、誰と時間を過ごすのかということはこれまでよりもずっと考えるようになりました。

家族関係、金銭状況と滞在場所など、いろんな要因によるとは思いますが、私の場合はおそらう両親や兄弟の死でもない限り、誰かが亡くなった際に日本に帰ることにないように思います。それをわかっていてか、両親も祖母が亡くなった時、祖父が亡くなった時、どちらも死ぬまでのことは全く教えてもらえなかったし、亡くなった後も報告をもらって、後ほどスカイプでゆっくり話す、それだけという感じです。亡くなった直後はもちろん向こうは色々忙しいのと、両親も気持ちを整理するのに時間がかかると思うので、しょうがないのですけどね。

私は過去にお葬式に出た事が一回しかなく、それはまだ日本に働いている時に亡くなった祖父のものでした。その祖父も九十一歳で老衰でなくなり、こちらも大往生だったのですが、それでも悲しかったし、それをお通夜やお葬式を通してみんなで共有する事で、なんとなく祖父のことを弔ってあげられたのかなぁという気がします。

海外に来て、祖母と祖父を亡くして、お葬式も出られずここにいると、情報だけでは心が追いつかずに、びっくりするほど全然悲しくなかったり、いきなり悲しくなったり、でも誰とも共有する人はいなくてどうしようもない気持ちに襲われる事があります。別に私は幸い博士学生だから勝手に休みをとって、数日一人お葬式じゃないけど、祖父のためにゆっくりしてもいいのかもしれないけど、結局そんなこと言っても世界は回っていて、何もなかったかのような顔で大学にいる。相談すれば話を聞いてくれる人はいても、わざわざ話す気にもなれないのです。

海外生活をしていると煌びやかに取られることも多いですが、物理的に近しい人と離れているのはどうしようもない苦痛です。もちろん苦労は多くても学ぶ事が多くて、私は本当に恵まれているなぁと思っているし、私は近しい人に背中を押される形でこの場所に出てこれたわけだから、後悔しているわけではないけど。

これまでは死期がある程度予想できる、と言ったら変な感じだけど、高齢の祖父母の死しか経験していないけど、これが突然の両親や兄弟の死だったり、友人の死だったら、どうなるんだろうと思う。先ほども書いたけれど、私の場合は、「○○が亡くなった」という切り取られた情報だけでは、悲しみもすぐにやってこないし、悲しみが来ても癒し方よくわからないのが怖い。

ともあれ、祖父の話に戻ると、私とすごく個人的に近いものを感じる人だった。日本が激動の時代にアメリカとかオーストラリアを駆け回って仕事をしたり、日本語より英語の方がジョークも言えて流暢に話せるし、京都生まれなのにお茶漬け嫌いでハンバーガー好きという、なんだかちょっと日本人離れした祖父で、その祖父の影響もあって今ここにいるんだろうなぁと思う。

精神的にも立派に自立していて、何一つ状況に不平や不満をいう人じゃなかった(思ってたかもしれないけど口には出さなかった)のも、私がなりたい理想像だなぁと思う。この留学がうまく終わる頃には、私も祖父みたいになれているかなぁ。今は祖父が少しでも安らかに眠れるよう遠い国から祈るのみです。